昔話(娯楽)

これは、昔話です。日本海での操業、イカ釣り漁船の日常の物語です。船員は故郷の街では別格の尊敬を受けて、財布を持たなくても街を歩けるほどの待遇を受けておりました。船の名前を出すだけで全てが顔パスです。そんな船員達も船の上では、わずかな娯楽以外を除いて全てを海に捧げて生きていた。

起床15:00 エンジン室の真横、船体の外から見ればスクリューの軸の根元にベットがあり寝床だ。ズズズーとなんともそこでしか味わえない音がする。それは世界の軋みというか、マントルのうねりを思わせる重低音と低振動のなせるもののようだった。
起床の合図は異常を知らせる非常ベル。この音は何はともあれ船外に出ろという意味だ。船員達は狭い行き違いも出来ない階段を駆け上がる。もし本当の異常なら、最後の船員は助からないかも知れない所だった。
船員はまず生きる為の用意だけをする。まず寝巻きが無い。そのまま河童を着て、水分をとったら船上甲板へ直行だ。喉の渇きには最新の注意を払った。

次は気象のチェックはそれぞれが行う。
誰も頼れない海の生活は生きるを感じさせる最大の場所だった。その頃ボースン(船員長)がボサボサの頭を書きながら起きてくる。みんなボサボサだ。誰かが煙草を全員に配りだす。「ああ、今日も生きている」空気と害をもたらす煙は私たちの命の代わりに酸化して燃えていた。
わずかばかりのコミュニケーション。
屈託の無い笑顔達が並んでいた。
沢山の釣り針の付いたテグスを器械が巻いたり下ろしたり、それは移動する時以外は規則正しく動きを止めることはない。
海と空しかない世界では水平線が人の住む世界との線。我の命も一本の糸の上にある。この頃、私達の寝ている間に操業していた。機関士が変わりに眠りに付く。
20時〜21時この船だけだろうか、機関士も起きて来て 朝飯(夕飯?)だ。船長を除いてみんなで食堂に集まる。船員の食事時間はまさに毎日が晩餐だ。なんの取り決めも無い。盗み食いもコミュニケーションだ。生きてく為の願いの場所にタブーは必要無いのだろう。その笑顔は地の上で暮らす人の中には忘れてしまったものも多いかも知れないものだ。あとは想像に任せることにする。わずかばかりのコミュニケーションが人を繋ぎ人を支える。

作業:イカが釣れたら貯める。溜まったら片手に4匹のイカをそれぞれの指の谷間にはめてはタッパに並べる。並べたものを積み方は慎重に、それは船というのは絶えず揺れているからだ。これが何度か崩れたことがある。大概どこかの隅に拾われそこねたイカが数日後になんとも言えぬ匂いを発する事になる。
冷凍庫から凍ったままの前回の釣果を取り出す。冷凍庫の中は-40度の獄寒の世界。
それと交換で生きたイカを冷凍室に並べるのは奥行きのある冷凍庫の奥の船員にタッパを送るのはまるでカーリング。テクニックがいる。わたしはとても苦労した。冷凍庫の中は寒く手が思うように動かないのだ。

AM3:00おやつタイムだ。ここでは間引くが忙しい時はこの時まで座ることはない。
時間が無い時は、凍ったままのパンをかじる。まさに生きていくためのおやつだった。

AM6:00仕事終わりの時この時の開放感は雄叫びをあげたいほどだ。後は夕飯(朝飯?)、風呂、そして娯楽の時間だ。
食堂で食べながら、煙草を吸うやつ、酒を飲むやつ、裁縫するやつ。本を読むやつもいる。顔にはイカの墨が全員についていた。14インチのテレビに放送はまず映らない。すべてはVHSのビデオが優位つの娯楽だった。そのころはモーニング娘が多かったと思う。ボースンはエロビデオマニアだったが…。忘れていた。ここで洗濯をしなければならない。娯楽の時間は命と着衣の洗濯の時間だった。
料理長だった私は食堂からボースン一人だけになりエロビデオを見てる音声だけを聞いて皿洗い。それはAM9:00くたくたの上のグタグタだった。皿を持ったまま寝て気づいたらAM11:00ということもあった。

この地球上では、いろんな人がいていろんな考えがあり、それの全てを尊重してあげたいけど限界もある。私の中で最もシンプルな生き方であり、最も限界を超えた生き方もこの船上生活でした。世の中には戦地を逃れて難民となった人たち、伝染病の蔓延する世界で死体を運ぶ人達、日本にも、放射能におののきながら廃炉作業をされている有志達への想いは計り知れません。
たぶんそこにも娯楽は残されていると思います。
私は娯楽を娯楽と笑ってはいけないと思います。
娯楽に一所懸命になるのも生き方です。

私は他人の娯楽、私の娯楽を軽く笑う人にはなりたくない。

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