3年目以降を語らう書

初期研修医として働き始めて4か月が経過した。
2年間の初期臨床研修は長いようにも思えるが、24か月のうち4か月がすでに過ぎ去った事実に驚いている。
2年間の初期臨床研修はしかしある種受け身な2年間でもある。ある程度は決められたカリキュラムに則り、その中でいかに主体的に日々を過ごすかである。
だが3年目以降はそうはいかない。
ここまでの人生は小学校、中学校、高校、大学そして今の初期研修とある程度敷かれたレール、定められた枠組みの中で動いてきた(徐々にその枠組みの自由度は増しているが)。が、医師3年目以降は本格的に主体的に動く必要がある。
何科になるのか、そして専門医を取るためにどうするのか、はたまた研究の道に進むのか、自由診療の道に行くのか、当直や健診のアルバイトや産業医を主体とした働き方にするのか、あるいは医療から離れることも選べる。言ってしまえば医師免許さえあって初期研修を終えてしまえばどうとでも出来るしなんとでもなってしまうのが現実である。

これはあくまで2023年8月の段階での私の将来への展望を記している場である。数年後10年後の自分がこれを読んでどう思うかは今の私には到底分からない。10年前高校1年生の頃の自分が今の自分のことなんて微塵も想像できていなかったように。

元々の志望もあり、最終的には病理診断科になりたい。これは変わらない。だが、実臨床の現場にもう少し触れていたいとも思う。恐らく内科である。ここで私が今現在初期臨床研修に励んでいる病院について語ろうと思う。ざっくり言うと、昨今話題のハイポ/ハイパー論争的な分け方をすると弊院はハイポである。ぶっちゃけてしまえば臨床実習の延長、やろうと思えばもう少し主体的にやれはするがしかし程度は知れている、と思う。でも、個人的には悪くないと思っている。長い社会人人生(社会人、労働者として生きるのが人生の本分とされている常識には個人的には疑問ではある。マルクスは労働を通して人間の存在価値は発揮されると考えていたようだが)のスタートで心身をダメにしてしまうくらいなら、程々のペースで動き出す方が少なくとも自分には合っている。
しかしである。「出来ない」と「出来るけどやらない」には大きな隔たりがある。更に言えば「やったことがあるが無理だったのでやらない」と「そもそもやっていない」にも大きな隔たりがある。
一度は野戦病院のようなところで仕事に振り回される経験をした方が良いのではと思い始めている。特に臨床をもっとやろうと、内科を志すというのなら尚更だ。しかし大学病院の医局には所属したくない。それではその地域に縛られてしまう。別に風来坊というわけではないが、しかし不可抗力を以てある地域に縛られた挙句、医局の都合でその地域内のいたるところに数年単位で振り回されるのは申し訳ないが嫌なのである。我儘といえばそうだが、その我儘が許容される時代になりつつはあるだろう。
仕事に振り回される野戦病院を経験し、「やらざるを得ない状況」で「出来ること」を必死に歯を食いしばって増やして、その上で「無理なのでやらない」という選択をし、臨床の酸いも甘いも経験したうえで病理診断科の道に行きたい。
初めから病理診断科の道に進めばいいじゃないか。
そんな気持ちもないわけではないが、しかし後ろめたさがある。
病理診断科が所謂世間一般で言う「ハイポ」だからとかではなく、doctor's doctorとも言われる病理診断医になりたいのに、そのdoctorの主戦場たる臨床をたかだか初期研修2年の経験のみで知った風な顔をして行くべきではないのではとも思っているからだ。
故に私はまず実臨床に行こう、今はそう思っている。
とはいえ結局2年目の終わりにはやっぱり病理診断科に行こう!となっているかもしれない。
病院、医療業界の人間関係というのは、いやそもそも私自身が根本的に人間関係というものをそこまで好んでいないがために、必然的に数多の人間に関わらざるを得ない実臨床に耐え切れなくなる可能性は大いにある。
果たしてどうなるのか。
内科を選んだとして、どの内科になるのか。脳神経内科、膠原病内科、総合診療内科、循環器内科などなど興味はある。そして内科をやるとしてどこまで進むのか、総合内科専門医で留まるのか、サブスペシャリティも取りに行くのか。
いや、そもそも3年目でどこに行くのか。
今私は地元にいるが、野戦病院を経験しようとするのならば3年目は首都圏の病院に行くのもありなのかもしれない、そんな気持ちも芽生えてはいる。

どうしようか。
まだ何も見えてこないし分からないのが現実だ。10年後の自分に教えて欲しい。

なんだかんだ叫んだってやりたいことやるべきです
あんたなんだ次の番は やりがいあふれるレースです

藤井隆 『ナンダカンダ』歌詞より

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