ひっそりと佇む美術館に耽る書

5月、更新を忘れていた。もう6月だ。
呼吸器内科のローテを終え、今は某地方都市の基幹病院で約1ヶ月救急外来に従事している。
人生初の3次救、兎角日々圧倒され忙しなさに右往左往だ。

とはいえ、土日はフリーであり、近郊をドライブ三昧もしている。
悪くはない、楽しい、のだがどこに行っても家族連れや夫婦やカップルであり、独り身の私はどこか寂しいのも事実。
いかんせん今の病院には気軽に話せる友人もおらず、いやはや本当に寂しい。
退勤後はアニメを観まくって寂しさを紛らわせる、悲しき限界独身男性医師である。
ダンジョン飯、面白い。

さて、先ほどこんなツイートをした(ポスト、とは言わない、頑なに)。

今日も今日とてドライブをしていると、人里離れ、見渡す限り牧場と畑しかない広野の真ん中に森があり、その中に美術館があった。
今回は惜しいことにその美術館を訪れはしなかったのだが、しかし心惹かれる故、上記のツイートである。

村上主義者というには烏滸がましいが、それでも私は村上春樹氏の作品が大好きだ。
氏の書く作品に出てくるような、青年〜中年男性でどこか厭世的で独りで音楽が好きでバーやレストランでふらっとビールやコーラとオニオンリングなんかをつまむ、そんな人物像に心のどこかで憧れている。
だからいまだに独り身なのかもしれない。いや、性格に難があるからだろう。

あの美術館、帰宅して調べてみると開館日がかなり限られている。
来週末にでも訪れたい。
それはそれとして、あの建物に、あの存在にある種恋焦がれているような今だからこそ、ちょっとした書き物をしたいわけである。
いざ。

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嫌な夢を観た。
いつかはそうなると知ってはいたが、しかし夢として突きつけられるとどうしようもない気持ちに苛まれる。
そもそも自分は舞台にすら立っていなかったではないか。
結局また、強がりと見栄と羞恥と意気地無さと踏ん切りの無さで何も出来ず、指を咥えて見ていただけ。そして彼女は旅立っていく。
ここまでの人生、ずっとその繰り返しだった、そして今も。

日々の疲労と嫌な夢の後味は快晴な日曜日の朝を曇らせた。
無為に過ごせどまた明日はやってくる。癒えるはずの無い疲労と、やり場の無い自己嫌悪を抱えて日常に従事するのだ。
仕方無い、出かけよう。
シャワーからあがった私はそう決意した。

どこへともなく愛車を走らせはじめる。
もう10年目になろうとする車は、それでも軽快にエンジンを猛らせ滑らかに加速する。
この車のアクセルを踏む時、多分私は何よりも自由だと、そんな錯覚を覚える。
そうしているうちに徐々に向きが定まってくる。
南へ、南へ。
駅前を抜け、住宅街を抜け、太陽のある方へ向かう。
水無月の空は絵の具のような青さをしている。
冬から春先にかけての透き通るような青さとは違う。印象派のような青さ。
自宅から持ってきた缶のコーラを開ける。
甘ったるくない甘さと弾ける炭酸が喉を駆け抜ける。
青い空と白い太陽、赤いコーラと銀色の車。
夏の始まりは鮮やかに、晴れぬ心を置いていく。

だだっ広い世界には、小麦の畑と牧草が広がる。
ちらほらと家がある。
そんな場所の真ん中に、こんもりと森があった。
1本の小道がその森の中を申し訳なさそうに走る。
なんとなく、その小道を1人にしたくなくて私も続く。
砂利道を煙を上げながら進む車は気付けば洋館の前にいた。

「ようこそ」
誰だかは知らない画家の美術館、客は私しかいない。
50代、いや40代にも見える女性が応対してくれた。
「ここの館長を務めております。どうぞごゆるりとご覧になってください」

音楽も流れず、静寂が支配する。
そして何点もの絵画と、幾つかの彫刻が眠るように並べられている。
春の川を、夏の山々を、秋の平野を、冬の夜空を精緻なタッチで描いている。
画家は89歳まで生きた。
この地を愛し、生涯絵を描き、たまに彫刻を彫った。
何かの賞を何度か取り、褒章も授与されたことがあるらしい。
格段心打たれるわけではないが、落ち着く風景画の数々だった。
そんな中で一枚だけ肖像画があった。
女性の絵だ。
黒く長い髪を携え、面長で目尻が下がり柔らかな笑みを浮かべている。
この画家の妹だと書かれている。
画家が晩年、最後に描いた絵だという。
その妹は画家が26の時に、ここから少し離れた山で遭難し亡くなった。
それ以降、画家は狂ったように山に入るようになった、画材と共に。
彼は63年間、山で泣いていた。
その涙の数々が今ここで飾られている。
この肖像画は、その画家のわずかばかりの報われであってほしい。

洋館をあとにする。
陽はまだ傾くには早い。
西の方には山々が見える。彼女の命を奪った山もその中にあるのだろう。
その舞台に、立とう。

西へ西へ。
ぬるいコーラが餞別だ。
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