8年越しに小説を褒められた

 部活の思い出というお題に沿っているかは分からないが、先日、こんなことがあった。

 8年ぶりに高校の頃の友人2名と会った。私が関東に引っ越したことがきっかけだ。8年の間に、それぞれ、大学に入学・卒業したり、就職したり、転職したり、結婚したりと本当に色々なことがあった。けれど、顔を合わせてみれば、最後に会ってから1か月しか経っていないようなテンションで、あの頃と同じように漫画や小説の話で盛り上がれたのは、本当に幸せなことだと思う。

 喫茶店に長居しながら、カップの中身がほぼ空になった頃になって、友人の片方がふと言った。

「そういえば君が高校生の頃に書いてたSF小説、あれすごく面白かったよ~。8年越しになっちゃったけど、伝えられて本当に良かった」

 当時、私は文学部に入っていた。彼女が言っていたのは、恐らく、卒業年度の部誌に載せていたSF小説のことだろう。文化祭で頒布したので、同じ部活の人間以外にも読んでもらう機会があったのだ。

「えっ、そんな。8年も前に書いた小説のこと覚えてくれてるの?」

「覚えてるよ~本当に面白かったもん。この子はいつかデビューするかもしれないって思ったよ」

 その時の私の気持ちをどう表現すれば良いのだろう。小説を褒めてもらえたことに対する喜び。技術が拙いころに書いた小説を覚えられていた気恥ずかしさ。油断すれば緩んでしまいそうな涙腺を押さえ付けながら、私は必死に言葉を絞り出した。

「ちょっとやめてよー。嬉しすぎて泣いそうじゃん」

 言ったことに嘘は無かったけれど、実のところ、私の心の一番ひろい場所を占めていた感情は「喜び」ではなかった。

 混乱だ。

 彼女があの小説を褒めてくれたのは、再開した時が初めてではない。

 8年前の文化祭が終わってから数日後、彼女は確かに私にこう言ったのだ。

「君が書いた小説読んだけどすごい面白かったよ。先が全然予想できなくて、本屋さんで買った本みたいだった」

 あの時、少し照れながらそう伝えてくれたことを、友人はすっかり忘れていたのだろう。

 私は、その言葉をずっと覚えていた。大学の小説サークルで「こんなつまらない小説を書いて恥ずかしくないのか」と罵られた時も、Pixivの評価が思ったより伸びなくて落ち込んだときも、何回も彼女の言葉を思い返していた。「中々、想像通りにはいかないけれど、面白いと伝えてくれた人もいたんだ」と、そう自分を励ましていた。

「すごい面白かったよ」

 私にとっては、とっても大事な、宝物のような言葉だったけれど、言った当人はすっかり忘れてしまっていたのだ! 言葉というのは何て不思議なものなのだろう。あっさり忘れてしまえるくらい、出力するのにエネルギーがかからないのに、受け取った側には、生涯輝き続ける宝石のように価値のあるものになってしまう。

 私は彼女に、8年前にもそう言ってもらったことを伝えはしなかった。友人にとっては「へ~そうだったけ?」というだけのことだろうし、些細な言葉をいつまでも覚えていることを気持ち悪いと思われたら立ち直れない。 

 ただきっと、これから先、一生、彼女から貰った言葉を忘れないで生きていくのだと思う。私の書いた小説を面白いと思ってくれた人がいたのだ。感想を伝えたことを忘れてしまっても、私の小説が面白いと思ったことを、覚え続けてくれた人が、ほんとうに存在したのだ。

 なんだかそれだけで、これからの人生も自信を持って生きていけそうな気がするのだ。

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