1番にならなくったって

「自分の好きなことをして生活する」

なんとなく聞こえがいいし、やりたくないことをやって生きるよりもずっと良さそうだ。そんなふうに思うのは私だけじゃないだろう。

でも、自分の好きなことって言われても何をしてどうやって食べていけばいいんだろう。こんな考えにすぐにぶち当たる。当然のことだ。夢だけでは胃袋は満たせない。

私もイタリアに来てからは、できるだけ自分の心に素直に生きようと決めていたものの、往年の癖で何が好きなことだったのか、何をやりたいのかわからない日々が続いていた。

最初に思いついたのは「食の道」だ。食べることが好きだから、これを仕事にしたらさぞかし楽しいだろうと予想したのだ。ところが、「食べること」と「人に食べさせること」とは違うことだということに後から気がついた。料理を提供している間は味見はできても自分は食べることができない。

新型コロナも流行しだした時、私は立ち止まった。もしかするとこれは私の道ではないのかもしれない、と。

好きなことを探るには子どもの頃に好きだったことを辿るといい。私の場合はそれは編み物だった。誰に教わったでもなく、一人で本屋と手芸屋に行って、必要なものを買い、見様見真似で始めたこと。

思い出してやってみると、楽しくて仕方がない。手に触れる糸の感触や糸が形成されて別の姿に変わっていくのを眺めているのは理屈抜きで好きだ。時間が経つことさえ忘れて没頭してしまう。これだ、私の道は。

ただ、このインターネットが発達した時代に生きていると次なる疑問が湧いてくる。「私よりももっと上手い人はいくらでもいるんだ…。」やる価値はあるのか?

私はやる価値があると思う。たとえその世界で一番でなくても。というか、そもそも一番なんて目指さなくてもいいんだと思う。自分らしい作品ができること。自分が使えば自分が心地良い。もし人が気に入ってくれたら、その心地良さを共有できる。

そうゆうふうに生きていければ十分幸せだと気がついたんだ。

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