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1回生だった私が4回生になって思うこと

大学の友達から「彼氏ほしいブログまだなん」と言われた。それを聞いていた後輩からは「あーりーさん、そんなブログ書いてるんですか⁉笑」と言われた。誤解である。そうやって広めるのやめてくれ。

4回生になってしまいました。悲しいです。内海です。久しぶりのnoteです。今回は、尼崎ENGAWA化計画での活動を振り返ってみようと思います。


尼崎ENGAWA化計画&藤本さんを知ったのは、2016年11月だった。1回生だった。地域を良くしよう系の学部(教授から怒られそう)に所属していた自分は、何か地元でしたいなあ、なんてことを多分思っていたはず。そんな時に、「尼崎で長期インターンシップあるよ!」と友達が紹介してくれた。家の近所にある都市計画コンサルが載っていた。学祭でのかりゆし58のライブの整理券を求めて、列にいたときだった。

しかし、もろもろあって藤本さんを紹介してもらい、今はなきamareにいくことになった。その時、amareで開催されていたのは「オトナテラコヤ」で、テーマは中国について語る。大人がめっちゃ熱く語り、はしゃいでいた。へえこんな場所があるのか、こんなイベントがあるのかと新鮮だった。

その後、藤本さんと塚口のココイチへ行って、説明を受けた。大人と話す経験はあまりなかったのでリアクションをとっていいのかわからず、真顔を極めた。あとカレーが辛かったので、顔が死んでいた。今でもこの話はネタにされている。

顔には出ていなかったが、面白そう!と思って活動に参加することになった。人見知りだったので、人と話すことが苦手だったが、「人と話して関わりつくっていきや」と言われたので、がんばった。今では主体的に人と話せるようになった(と思う)。

細かいことはあまり覚えていないが、「amareに行っていろんな人と話したら元気になれる」と思っていたことは覚えている。所属・年齢が異なる人と話すことは、自分にとって新鮮で新たな発見や問いがうまれるので、とても幸せだった。そんな考え方があったのか、と多様な視点から物事を少しづつだが、見れるようになった。もっと想像できる人間になりたい。

なんとなくお手伝いしたり、いろんな人と知り合ったりしていたが、2018年9月にインターン制度が始まった。なんで参加しようと思ったかあんまり覚えていないが、企画が作り上げられる過程に関わりたいと思ったからだったと思う。

しかし、9月以降はゼミで忙しくてあまり関われなかったので、いくつかの企画に絞って関わることにした。「まごころ薬局」のコミュニティスペースをつくる企画に力を入れた。家の近くだったということもあったが、場が作り上げられていく過程に関わりたかったことが参加の目的である。今は、4月7日のオープニングイベントが終わり、ひと段落している。これからは薬局の利用者さんの関わりを少しづつ増やせるように頑張っていきたい。


さて、尼崎ENGAWA化計画に関わって2年半くらいが経とうとしている。活動に参加しだしたときは1回生だったのに、もう4回生になってしまった。何となく活動を始めて先輩方に甘えていたのに、今は私が姐さんと呼ばれている(謎に年上の子からも)。先日行われた「尼崎ENGAWA化計画インターンシップ報告会&交流会」でインターン生が語っている内容や参加者の方の感想を聞いて、尼崎ENGAWA化計画も変わってきたなあと思った。それが今の尼崎ENGAWA化計画なのだろう。他のインターン生は私の何百倍も熱心に活動しており、すごいなあと思う。皆に任せておけば尼崎も将来安泰だなあと思うときもある。私はみんなみたいに軸もないし、熱い思いもない。目的意識がないままで活動を始めた子はいないのではと思う。

そんなこんなで学生生活もあと1年になってしまった。どう過ごしていくのか、目的を考えながら過ごしていきたい。だた、目的を考え始める中で迷走も繰り返している。なぜ人は関わりを作ろうとするのだろう、自分の思いを伝えるのだろう。今まであたりまえだと思っていたことに対して疑問が生じている。

しかし、今まで特にしたいことないと思っていたが、最近になってしてみたいことができた。ただ公園でいろんな人とのんびり過ごしてみたいと思っている。日向ぼっこしながら話したい。

次、尼崎ENGAWA化計画主催のイベントに参加するのは「藤本さんの生誕祭」である。インターン生が企画をがんばってしてくれている。本当に熱心だと思う。そんなみんなを取りまとめている藤本さんは今日お誕生日らしい。おめでとうございます。29歳ですか。2年前に尼崎ENGAWA化計画に関わっていた学生で誕生日祭を企画した時(写真のやつ)は、27歳だったのに。年取りましたね。


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