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また脳溢血やりました(プチ認知症体験??)

 年末に持病の定期検診にいってMRIを撮ったら、またもや一ヵ所脳溢血起こしてた。やっぱりな~、調子悪いと思ってたんだよな。
 持病ってのは海綿状血管腫っつって、すごく簡単に言うと脳溢血を起こしやすい先天性の病気なんだけど(詳しくは『学校が合わなかったので、小学校の6年間をプレーパークに通ってみました』参照)、10年以上前に発覚して、5年前にも言語障害っぽくなってる?と思ったらてんかんの大発作を起こして救急車で運ばれて入院して、今回その時と同じような軽い言語障害になったわけ。

 検査してみたらたぶん新しい場所から出血してて、けど反応は同じって、その辺不思議じゃのう。出血の規模はまあ小さかったんだけどね。
 ある日急に頭が痛くなって、すぐに痛みは引いたんだけどさ、その後から人の話すことが理解しにくくなって。あれは一回経験しててもやっぱヤなもんだな~。
 分かんなくなったってことは分かるんだよ。でも相手が言ってることが理解できない。
 聞こえてるけど意味がつかめない。日本語だってことは分かるんだよ。今まで理解できてたことも知ってる、なのにって、焦るしどうしたらいいか分からないし不安だしめっちゃツラい。
 「頭悪くなってる…!」って、それはもう恐怖。ガラスのドームに突然ひとりだけ閉じ込められて、周りが喋ってることは分かるんだけど上手く聞き取れないし、出してくれって思っても相手に伝えられないような感じ?

 こういうのって認知症の場合とは違うのかなー? 私は認知症の人と触れ合った機会がないから分かんないんだけど。
 あと年寄りで怒りっぽくなってる人って、歳とって機能が衰えてきたことを、認めたくないし不安だし焦燥感にかられるし恐怖感でいっぱいなのかもしれないな~と思った。でヘンな年寄り扱いとかしてくる相手や世間に腹が立つのかもしれない。「俺を無能な年寄り扱いするな!」って。
 それは出来ない人間に対しての差別感や能力主義にとらわれてる証かもな~とかね。あと年寄り差別も。それを整理できなくて怒りとして相手にぶつけてしまうのかな?
 だってねえ相手の言ってることは分かんないけど、相手が自分のことをどう思ってるかは分かるんだよ。顔みりゃさ。そこから察するに、非言語的コミュニケーション能力は言語的コミュニケーションと使う脳の部位が違うのかもな。

 それはさておき、そういう能力主義に私もどっぷり浸かってんだね。相手に怒りをぶつけたりはしんけどさ。
 だからこれは、私が差別的な人間にならないための生まれ変わり作業なのかもなーとかね。産みの苦しみってやつ? 苦しいは苦しいけど、差別しない人間になれるなら良いことなんだろうな。これでそういうことで人を差別しない人間になれるなら儲けもんだなー。うん、それじゃ脳溢血になって良かったなってことで。
 
 しかし死ぬことはたいして怖くないんだよな~。あんまり切迫感がないだけなのかもしれんけど。でもやっぱ「このまま死ぬのかな?」とかは考えるよ。何年かに一度、自分が死ぬってことについて考えるのは悪いことじゃないなって思う。メメントモリ~。

 年末に来年のビジョンマップを作る機会があったんだけど、来年とか生きてるかなと思って参加できなかったもんな。まだちょっと直面した自分の死に向き合えんかったわ。

 死にたくないとは思わんけど(人間は必ず死ぬしな)、でも生きててやりたいことはあるんだよな。いろいろと。本やマンガ読みたいとか絵が上手くなりたいとか、家族と仲良くしたいとか娘の成長が楽しみだとか、仲間と楽しくいろんなことしたいとか、いろんなところでトークショーしたいとか。

 でもまあそういうことを落ち着いて人と楽しく考えられる状態じゃなかったのよ。頭痛かったし。まだ血液が脳内に残ってるからかな~。調子悪いなって思ってから1ヶ月以上たつんだけど、すぐ頭痛くなるんだよな。微熱も出る。困るよねー。って誰に言ってんだ。
 5年前、自宅療養してた頃よりはずいぶんマシだけど、それに近い状態だなあ。
 今やりたいことに本やマンガ読みたい、絵が描きたいが入ってたの、ホント―――にラッキーっていうか。最高にぴったりのタイミングだよ。調子悪い時はそれくらいしかできんもん。すごいな私。最高じゃん。
 ありがと神様! よぉぉし、やりたいことしかやんないからなー!! 

 これを持ちまして新年の抱負とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

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