世の冷たさと人の温もり

今日は日常のふとした話をしようと思う。

今日の昼頃、トイレに行った際に少し珍しい出来事があった。

大便器の全ての便座が閉じられていたのである。
私はふとした偶然や、いつもと異なることが起こった際には、どちらかと言うと気分が良くなるタイプの人間だ。
それゆえ、今日はいい日だなと思いいつもより気分のいい一日をすごした。

などということは無かった。

私は、トイレの便座が降りている状態は好きではない。
むしろ苦手だ。

というのも、閉じたトイレは、時として中身が流されずに残っていることがあるからである。
私はそんな時、宝箱を開けたらザラキを食らって全滅したかのような気分になる。
考えてみてほしい、視覚的な暴力のみならず、蓄積された負レグランスに鼻の中までも凌辱されるのである。
私の人生にセーブゾーンはない。
耐えられない。
ただ、その確率はかなり低いものでなんならむしろ運がいいとさえいえるものである(ウンがインは×)。

ここで私に与えられた選択肢は大きく分けると2つある。
撤退、あるいは突撃である。
他のあいている(席も便座も)トイレを探すために泣く泣く撤退をする。
あるいは、玉砕覚悟の突撃だ。

先ほど言ったように玉砕する確率は低い。
しかし、私はそういうのを引き当てるのには少し自信がある。
石橋を叩いて渡るということわざもある。
このことわざを聞くとときたま思うのだが、石橋を叩いて渡った人間が原因で橋が崩れやすくなり、被害を被る人間もいるのではないだろうか。
テロ行為である。
蓋の閉じたトイレは使用しないに変えた方がいい。
あなたもそう思いませんか?

小学校の時にクラスでディベート大会があり、あなたもそう思いませんか、という度に高ポイントが加算されるという攻略法があったのをたった今思い出した。

私のキャンパスのトイレは最近まで温水便座がoff水便座だったため、温かい時といえば人が前に座っていた時くらいだ。
冷たい世の中とはいうが、そんなことでひとの温かさを感じるなんてまっぴら御免こうむる。
あの時の私は、便座が暖かいかどうかで一喜一憂していたものである。
しかし、今となってはすべての(検証した訳では無いが)便座から温もりをもらえる。

そんな生活にほだされてしまったのだろう。
私は、突撃することにした。
便座に手をかけ、
トイレを開いた、
するとそこには、






波一つ立たない綺麗な水面が広がっていた。

あぁ、世界というものはなんて素晴らしいものであろう。
私は排泄した。
私が初めて使った時に、驚いて避けてしまい家を水浸しにしてしまったウォシュレットの水も今となっては心地よい。
卒業論文の内容に頭を悩ませながら、私は今日も尻を拭くのであった。

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