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学部最後の授業・テストを終えて

本日で学部の全ての授業、テストが終わりました(まだファイナルエッセイが残ってるけど!)

せっかくなので少し振り返って、自分語りをさせてください。

私にとって、上智は長らく憧れの大学でした。地方出身の自分にとっては東京は(地理的にも、心の距離としても)すごく遠いところでした。また、ハイセンスな立地と国際的な雰囲気を併せ持つ上智の環境は、まさに理想郷でした。どうしても通いたくて、「合法な手段ならなんでも使って受かる!」と豪語してやまない高校生でした。笑 

そんな学校に在籍し、もうすぐ卒業しようとしていることを非常に感慨深く思っています。

話は変わりますが、私は、家族で初めての四年制大学出身者になります。

私の家族のことを少し話させてください。
私の父は長らく留学を夢見ていたそうですが、家庭の事情と経済的理由で海外で学ぶどころか、全日制四年制大学の進学さえ叶いませんでした。(後に働きながら、通信制大学を卒業しています)
母はあまり学生時代のことを話さないのですが、中国東北部の貧しい家庭に生まれ、さらに兄弟が多かったため、高等教育のチャンスは乏しかったことを明かしています。(後に来日し、私を育て、福祉の専門学校に通って介護福祉士の資格を取得しました。)

もっと前に遡ると、私の祖母は貧しさ故に高校の進学さえ出来ませんでした。自身が十分な教育を受けられなかったこと、そしてもっと勉強を続けたかったことを、83歳になった現在でも嘆いています。

私が僻地の公立校から上京し、私立の四年制大学に通えたことには様々な要因があります。
そのうちのいくつかは、自分の努力に寄るものです。自分は昔から読書や勉強が好きでしたし、大学に通いたいという野望ももっていました。がんばって勉強もしました。しかし、それだけではない。自分が合格し、卒業しようとしている、その裏には、家族のたくさんの後悔、そして想いが詰まっています。

一人娘の私を大学に通わせようと、家族は全てを尽くしてくれました。幼い頃から海外旅行に頻繁に連れて行ってくれ、ほしい本は買ってくれ、数々の外部試験も受けさせてくれました。4回にわたるフィリピンの語学留学はその最たるものです。私の父の口癖は、「〇〇(本名)は、一段上に上がってほしい」です。
高等教育を経験することで社会階層を1つあげて、豊かな世界を知ってほしいという思いが詰まった言葉だと思います。

「もっと勉強したかった」。そんな気持ちを抱える家族たちを見るたびに、自分はさらに勉強に励もうと思っていました。せっかく与えてもらったチャンスを、無駄にしたくなかった。
もちろんプレッシャーに感じなかったと言えば嘘になります。しかし、教育を受ける特権を得られなかった家族を見ているうちに、自分の「大学に通っている」「学ばせてもらっている」という「特権」を自覚できたのです。

自分は未熟ですが、「努力できる環境」を当たり前だと捉えたくありません。

福山雅治さんの「家族になろうよ」という曲に、「明日の私はそれほど変わらないとしても、一歩ずつ与えられる人から、与える人に変わっていけたなら」という歌詞があります。
この曲を聴くと、決まって家族のことを思い出します。そして、自分が置かれている環境に感謝し、いずれは自分が与えてもらった最上のものを、誰かに与えられる人になりたいと思います。綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、自分がこれからの時間をかけ、追い求めていきたいことです。

4年間の学部生活を支えてくれた全ての方々に感謝します。ありがとうございました。

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