見出し画像

『わたし』の目に映る世界

4歳の愛娘が、わたしの顔を描いてくれた。なんだか口うるさそうなわたしである(笑)。しかし怖くはない、かわいいようにも見える。

娘の描くわたしは、いつも、でっかい。複数いる絵になると如実で、ママがずば抜けてでかい。

娘はパパっ子で、パパが世界一イケメンと豪語している娘だが、もしかしたら彼女を構成するもののなかで、わたしの比率が多いのかもしれない。彼女の中で、わたしといる時間がやはり長いので(正確には保育園の先生といる時間が長いのだけど…)、わたしの価値観や感覚が受け継がれてる可能性があるね。そう考えてみると、バイオリズム的なものもシンクロしてるのしもしれない。

一枚の作品から、ここまで思考を巡らせることができた。この作品は、娘を通してみた「わたし」であり、娘の中にあるわたしのスガタ。彼女の中で自分がどんな存在なのかが見えてくる面白さ。

ギャーギャー口うるさいけど好きだよ~ と、娘が言ってくれているような気もしてくる。(勝手な解釈)

そうすると、今度は自分の作品について考えがおよぶ。もしかしたら、どんな作品でも、その作品をこしらえた時点のわたしの価値観ってものがあるんだろうな。描いた本人は、それを見ると「このときはかっこつけたかったんだよな~」とか、恥ずかしい記憶がよみがえったりするものだけど、それが第三者の目からみてどうなのか、気になるね。

わたしの目に映る世界、価値観を表現していくという楽しみがわいてきた。意識していなかっただけで、ずっとそうだったんだろうけど。意識してみるとまた、違った感覚。

だって、わたしの世界はわたしが思い描いていいんだ。常識など関係なくて、わたしが「これはねー、こういうもんなの。わたしの世界だから」って断言できるのだ。

昔から「これはこうだからこう描きなさい」と指摘されるのが本当に嫌いだった。※仕事ならそれが当然なのであるが、小学校とか授業で指図されるというのは本当に腹立たしいのである※ それをとっぱらってOKなのだなぁ。

今年ももう後半になりますが、アウトプットしていく機会を増やそうと思っています。それが仕事であればかなりありがたいのだけど、そうではなく、色々な出展の場を増やしていきたいと思っています。私の世界を広げていくためにも。 娘の描く絵は、私を自由にしてくれる。ありがたいし、娘が描くことを好きになるといいなぁ。一緒に描いていけるといいなと期待しております。(ま、親の心など彼女の将来には関係ないけどね)



しがない絵描きですが、サポートいただけますと幸いです。 活動の幅を広げてゆきたいと思います!