親父の影

親父の紹介で就職した会社だから辞めてはいけない。

苦痛だった。仕事も面白くなくなった。はやく淡路島に帰りたいと思っていたのに行き所をなくしてしまった。誰のために働いているのかわからなくなった。

それから半年間地獄だった。その窮地を救ってくれたのが今の嫁様だ。
※「今の」と書いてるけど何人もいたわけではないので念のため。

そして、残り一年の修業期間はよく働いて、今の嫁様とは同棲していた。一年と二年の経験は全く違うけど、二年やるのも三年やるのも同じかなと思った。しんどかった三年間だった。月の休みが2日ほど、一日平均12時間現場、安全靴の履き過ぎでこの頃、水虫になった(笑)

あれから一度も常滑市を訪れていない。会社のみんなは元気だろうか。自動車産業をはじめ、産業が山ほどある東海地方だからみな元気にやっていることだろう。

体力に自信があって稼ぎたい人には東海地方をお勧めする。残業は24時まで、希望を出せば休日出勤もいくらでもできる会社だった。プライベートが要らないなら20歳そこらでも手取りで50万ぐらいは稼げる。そんな業界だった。もう二度とごめんやけど(笑)

名字の変わったお姉さん方や同僚たちからは数年間年賀状が届いた。定年間際の親方連中とは気が合った。きっと一生懸命に仕事しているアピールが伝わっていたのだろう(笑)親父とは正反対の修業坊主を受け入れてくれた親切なオモシロおじさんばかりで仕事もやりやすかった。今でも感謝している。

みんな生きていたら85歳前後。元気にしているだろうか。

あの先輩はとうに辞めているだろうな(笑)

noteを書いていると懐かしい人に会いたくなる。機会があれば会いに行きたいけど、なかなか時間も労力も難しそうだ。相手がそれほど私に会いたいと思っていなかったら凹むし(笑)

今を生きることの大切さをあらためて噛みしめている日々。

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