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わたしのスピリチュアルと人生

幼稚園の頃から
多少へんくつなところはありました。

中学生の頃は
ザ。青春を
普通に過ごして
部活に燃えたり、
それなりに振ったり、
振られてこの世の終わりみたいに
おいおい泣いたりしながら
生きていました。

ほんとうにほんとうに極ふつうです。

そして、なんとなく
予定も計画にもなかったのに
あれよあれよ、と大人になって

なんだか報われない、満たされない想いを
ごくあたりまえに抱えながら
ぼんやりと、ふらふらと過ごしていました。

周りを見渡せば、
結婚や出産という文字がちらつき
毎年、なれなれしくも親しげにやってくる誕生日、
加算されていく疲労感と年齢

日々に疲れたり、笑ったり、泣いたり、喜んだりしながら
過ごしていました。

そして、あるとき、

「もう!こんな生活はいかんです!」と
自分を奮い立たせる”タイミング”がやってきて

その頃の私は
ひび、本屋さんに通いつめていて、
何かの”こたえ”を
探し、さまよっていました。

本の中に答えがあると思って、
そしてあるときは
若い頃にありがちな、
「自分探しの旅」みたいなものも
繰り返していました。

そんな身も蓋もない
時間を過ごして、あるとき、また

「”こたえ”は外にはない!!!」

ということに気が付いたのでした。

じゃ、どこあるんかいな、と
考えついたのは、

”こたえ”は自分の中にしかないということでした。

そこからは、”己”というものを
理解するために
結局また、本を読み漁り、インターネットにかじりつき。笑

そして、結果的におさまったのは

「スピリチュアル!!!」でありました!!!

わたしは今回、スピリチュアルを
否定も肯定もするつもりはないことは
先にお話しておきます。

このスピリチュアルという分野?
を知ることで大きな恩恵を受けたことも事実で
それは、精神世界であっても、
現実に大きく影響してくることも実際にあったので
否定はできないのです。

そして、少し前までの
わたしの心の支えであったこともまた事実

しかしながら、
スピリチュアルというのも
本当にピンからキリまであって
ほんとうに色々なのです。

それによって救われる人もいるのもまた事実です。
これは身をもって体験したので、よくわかります。

ですが、わたしのとらえ方では
スピリチュアルは完全にどっぷり
いかないと、結構つらいものだということ。

わたしはかなり中途半端な人間なので
現実にどっぷり浸りながら
スピリチュアルに片足を突っ込んでいる状態だった。

それは、つらい。

だって言ってみれば、こころと体がバラバラの状態だから。

今はこの世に存在する魔法みたいな瞬間を大切に大切に感じながら生きています。

幸せであることが有り難いことなんだと。

ちょっとだけいいことがある

これはもう神さまからの奇跡のギフトなんだと捉えるようになりました。

そこに深い理由もあまりつけずに
ただただ感謝して受け取っていたら、
あまりに不思議な流れでそのワケがわかったりして、
なぁんだ。とか言ってひとりで
微笑んだりしています。

生きていくのは基本的にどうしようもないことの連続ですが、
それでも一瞬のヒカリヲ信じて
できるだけ身を心を整えて
暮らしていきたいものです。

わたしのスピリチュアルと人生は
時間をかけて
カタチを変え、

ひと時か、これはわからないけれども
一度おさまるところにおさまったかんじがあります。

今は
スピリチュアルにあまり関心もなくなってしまいましたが、本当に出会えてよかったなぁと思います。

スピリチュアルを通して
自分の内側を深く掘って
そしてまた外をみると
いつもとは違って見える世界が広がっていたりして

この世は本当にふしぎだなぁ、と思います。

長々と読んでくださりありがとうございます。

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