損得感情で生きている
近頃自分のことで気がついてしまった事がある。
それはこれだけ小さくとも
戦争や貨幣経済、
勝ち負けや損得勘定に反対だとおもっていたのにも関わらず
私の根底に流れているものがやっぱり
そういうもので
実はいっぱいであったということだ。
私はちいさな頃から負けず嫌いで
負けるのがとにかく嫌いであった
人に負けるなら最初からやらないほうが
ましだと本気で思っていたし、
勝負は勝ってこそなんぼだと思っていた。
この私の土台とも言えるものとは
すっかりおさらばしていたと思っていたのだが、
気が付いてしまったのだった。
”まだ残っている”と・・・
一番強いと自覚したことは
私はいろいろなことを損得勘定するということだった。
これはべつに言わなくてもいいことかもしれない
だって、こんなことを言うなんて
なんて恐ろしい”損”なのだと思うからだ。
”できれば人からはよく思われたい”
という、これも損得のうちだ。
私にとって「損をする」ということは
(お金、モノ、時間、感情)すべてにおいてである。
お金はもっともわかりやすいし、モノは買って損をしたと個人が思うもの(これは同時に感情と時間を損している。)
あの「損をした」という苦い感情はできれば味わいたくないと思っている。
この世にはいろいろな考えがあっていいと思うのだが、
お金をどんどんつかって経済をまわそうとする。
お金に善の意味をもたせようとする考えと
お金は悪いものだとする
お金に悪の意味をもたせようとするものがあるが、
私はもともと後者のほうであって
お金という存在をひどく憎んでいた。
けれども、金は便利だ
一見自由だし、豪華だし、
人はお金で判断したりするから見掛けもいい
魅力たっぷりだ。
お金に対する価値観を変えようとなんどもなんども
試みたが、長年の蓄積とはかなりがんこで
なかなか変わろうよ、と言っても首を横に振るばかりであった。
私の人生はおおよそ、
金に笑い
金に泣かされている
貨幣経済なんて終われ、
といつも思ってきたけれど、
いまの世の中相当な努力と気力、体力がないと
そこからは抜け出せないようになっている。
そして、また金に泣かされるんだろう。
何を見ても「金、カネ、かね、Kane,」
損をしたのか、得をしたのか、
それで昔、
高校3年生のときに
誕生日プレゼントを贈った相手が
翌年自分への誕生日プレゼントはおろか
お、め、で、と、う
の、一言もなかったことに
怒りを覚え、「人に何かを与えるときは見返りを求めない」
と心に決めた。
しかし、勘定くせはなかなか治らず、今もずっとある。
みんないったいそのところどう思っているのだろうか?
プレゼントを返してほしいからプレゼントする
会いにきてほしいから連絡する
食べたいから一口食べるって聞く
貢いでおけば、何か報酬が当然あると思って貢ぐ
事実あったことをなかったことにはできないと思うのだけど、
みんなはどうやってこのへん折り合いをつけているんだろうかと思う。
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