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文章をかくこと

私は文章を書くのが好きだ。

感じた事をつい文字に起こしたくなっちゃう。
楽しい事もしんどい事も文章に書く事で心が鎮まっていく。

どうしようもないような切ない気持ちになる時には一心不乱に文章を書く。

写経のような…ラマーズ法のような…
まぁ写経もラマーズ法も経験ないんだけど(帝王切開)

文章を書くのが好きになったきっかけはなんだろう?

子どもの頃、学生時代、文章を書く事が好きだった記憶はない。

文系だった覚えもない。
かと言って理系でもない。
体育会系でも芸術肌でも無い。
取り立てて秀でるもののない人間だった。

唯一小学生の頃に作文コンクールで入選した思い出はある。

『たった150円の夢』という題名の作文。

散歩の途中に道に生えていたおじき草。
おばぁちゃんが「触るとお辞儀するよ」って教えてくれて夢中になって触っていた。
という内容だ。

150円で種を買えば自分の家でも育てられるけれどおばあちゃんと見たあの思い出が大切で種を買いたくはない…でもいつか育てたい。
150円出せば手が届くのに手が出せない夢…

そんな作文。

賞を取ったのが嬉しくて見せたら「へー」って言いながら読んでいたばあちゃん、数時間後にその作文がゴミ箱に捨てられていた切ない思い出…(ばあちゃんはちょっと破天荒な人だった)

20歳を過ぎた頃に松尾芭蕉に憧れていたことはある。

日々旅にして、旅を栖とす

この言葉カッコいい!
そんな軽い気持ち。
松尾芭蕉については全く詳しくないし奥の細道を読んだ覚えもない(最低)

旅をしながら文章を書きたい。
なんて漠然と思っていた若き日の私(かなり痛い)

当時松尾芭蕉になるためにブログを始めたような気がする。

カフェめぐり→移住記→子育て記
歳を重ね環境も変わり、書く事も変わり…
大した反響もなく松尾芭蕉にもなれず。

子育ても少し落ち着いていよいよ書くことが無くなった時に出会ったのがTwitterだった。

特に書くこともないのでただひたすらにアラフォーの哀愁を書いていたあの頃。

仕事で大きなプロジェクトの真っ最中。上司に「お疲れ様。頑張ってるから今度美味しいもの食べよう。」と労ってもらった。
「勤務時間中にして下さい。一刻も早く家に帰りたいです」と答える非情な女は私です。
「帰りたいのに帰れない〜♪」
というグロ○サンのCMを見ていた小学生時代。帰れないって迷子かな?
なんて可愛い勘違いをしていたけれど、30年以上経った今、身をもって体験している。
帰りたい。いや、帰るつもりなんだけどさ…。

特に反響もなく、いいねなんて殆どもらえず。

そのあと推しにどっぷり浸かり哀愁がなくなった私は推しへの愛を叫び続けることとなった。


そのお話はコチラ



スキアラバ文章を書き続けている私だが文章がうまいと思っているかというと全くそんなことは無い。

他の人の映画のレビューとか見にいくと何だかみんな知的で深くてかなわないな…と思うもの。
人生で一度も使ったことの無い言葉の羅列に感動すら覚えてしまう。

知的さを手に入れるタイミングを逃して大人になった私としては、もう今さらそんな文章は書けないんだろうけれど、せっかく文章を書く楽しさと出会えたのだから、知的さと引き換えに手に入れてきたくだらない経験をコラムとして少しずつ書いていきたいなと思っている。

8歳年下の弟にかつて言われた言葉。

「お姉ちゃんみたいな人生は送りたくない」

フラフラと生きていた私に高校生だった弟がかけてきた言葉だ。

フラフラしながら見てきた景色はなかなか楽しくて寄り道したおかげで手に入れたものもきっとある。

そんなどうでもいいような経験を徒然なるままに書いていきたい。

ちゃんとしてなくても人生っていいもんだよって伝えられるようなそういう人に私はなりたい。


雨音


























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