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1453日 素数日

 9月は素数日が多い。
 2日前の9月7日の1451日めも素数日だった。
 maa noteを初めてお読み頂いた方は、
「素数日って何?」
と思われるかもしれない。
 初めてではなくでも、理解できないと思う。
「いや、分かるよ。」と仰る方は、余程このnoteを開いてくださる珍しい方である。
(感謝いたします❣️)

厚洋さんと

 大好きな厚洋さんが亡くなって、一般的な仏事を行い、その度に
「四十九日を執り行うことができた。 
 厚洋さんがこの日まで、
 生かしてくれていた。次は…。」
と考え、卒哭忌・初盆・一周忌・3回忌…と行っていくうちに、その間隔が長くなることが切なく、3回忌が終わったあたりから、
《厚洋さんが彼方に言ってから、何日め》と数えるようになった。
 すると不思議なことに、良い事があった日は、必ず「素数日」になっていたのだ。
 良い事と言っても、厚洋さんを思い出して泣くことが多いのだが、「厚洋さん大好き」と言い続けたい真愛にとって、(必ず、彼が思い出させてくれる日だ)と思っているのだ。
「素数日」を見つけてからは、世の中の「良い数」の多くが素数なのではないかと思う時期もあった。
 1.2.3.5.7.9.11.13.17.19.…
 1とその数でしか割れない数。
(割れない=破れない=壊れない)なのだろう。昔の人は、言葉や数にも思いを託したのだ。愛しい人を亡くすと宗教や縁起なんてわからないものに頼りたくなる気持ちが理解できる気がした。
 数が無限にあるのならば、素数も無限にある。不思議な力があるのかもしれないと思ったのだ。
 そして、仏事ではなくても真愛だけに訪れる厚洋さんからのメッセージだと思ったのだ。
 だから、その日は積極的に行動する。
 買い物に出かけたり、交渉事を入れたり、応募作品を作ったり、送ったり、大掃除をしてみたり、新しい事に挑戦したりする。
 厚洋さんが守ってくれる日だからだ。

やってごらん!

 ところが、9月に入って2回もある素数日なのに、両日共にデレデレとして生活していた。
 白露にもなって、毎朝晩が涼しくなった。
 通っているスポーツクラブがメンテナンスのために1週間のお休みなので、運動の代わりに「畑仕事」をよくした。
 それもあってか、健康体なのかよく寝られる。コロナ感染者数も多いんだか、発表されていない分がわからなくなるらしいし、幸いにもまだ感染していない。
 にも関わらず、怠惰な生活をしているのだ。
「完全自由」を貪っているのだ。
 あと1週間で、厚洋さんが逝ってから、4年が経つというのに、切なかったあの日が巡って来るというのに、心がモヤモヤしたままで、
「今日は、素数日。
 絵本大賞の作品を郵送しましょ。」
なんて頑張れなくなっている。
 厚洋さんが褒めてくれた
「お前はなんでも
 面白がるところがいい!
 その感性は大事にしろ!」
という面が、死んだように動かない。
 厚洋さんが真愛の体の中に一緒にいるという感覚もない。(変だ!)

絵は描いてみたが

 昨年、星野富弘美術館展に応募した。
「三船山の山百合」
 百合もそうだが、どの花の蕾も膨らむところが愛しくて、(この膨らみは夢が大きくなって来るから膨らむんだ。)と幼子のように感動して、詩も添えることができた。
 今年も出品しようと思って、桜を描いてはみたが、3月の思いのまま一度塗りで止まっていた。
 描きたいテーマはあるのだが、画材と花と思いが一致しない。
 仕方がないから、桜の背景に手をつけた。
 この絵に詩をつけるのだが…。

もう一度筆を入れたが

 コバルトブルーで、宇宙の深さを花房を揺らす風を描きたかったが、春の空の色ではない。 
 春の空は水色に近い。もっと軽い色だ。
 仕方がなくやっているから、いくら素数日で厚洋さんが応援してくれていても、納得が行かない。
 納得しないが描いておかないと応募することすら出来ない。
 折角、好機を紹介してもらった先輩にも申し訳ないと思うから、参加するだけの作品として描いていた。もう絵ではない。
 このやる気のなさは、なんなのだろう。
 4年しか経っていないのに、厚洋さんの逝った歳に近づいて来ているのに、
「彼の逝った歳までに、
 彼に育ててもらった恩返しとなる証を…。」
と考えていたのに、何も出来ていない。
 だからといって焦る気持ちも湧いてこない。
「困ったぞ!」とか「変だ!」の後に、その気持ちを解消しようとするアクティブさがないのだ。
「素数日」「吉日」なんて言葉に頼らなくても良いくらい惰性になれてしまったのかもしれない。
 変化のない毎日に慣れてしまい、自ら静かな湖面に石を投ずる気もないのだ。
 なんとも、読んでいて倦怠感しか残らない悪文になってしまった。
「素数日」だというのに…。
 打開策は、プールにでも行って、運動をする事だと思うので、今から出かける。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります