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冬至に柚子の贈り物

「桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿20年」と聞いたことがあるが、本当にそうだ。
 亡くなった厚洋さんが26年ほど前に植えた常緑樹に実がなった。彼がまだ元気な6年前黄色い実をつけたが、
「変だな?
 檸檬が欲しくて買ったのに、
 檸檬の形をしてないな。
 病気になっちゃったのかな?」
と言うので、大きくなったその木を思い切り剪定した。
 檸檬のスライスをおつまみにウイスキーを飲むのが好きだった彼が「自家製の檸檬」を食べたかった気持ちはよく分かった。
 その後、その木に実はつかないまま。
 彼も逝き、3年3ヶ月が過ぎた冬至の日の午後。

 ふと見上げた葉の影に、黄色の柑橘類の実を見つけた。見える部分だけで3個の実がついている。
 檸檬ではない。
 以前、彼が言っていた「変な形のレモン」が実ったのだと思ったのだが、温州蜜柑も夏蜜柑も金柑も柚子も育てている今の真愛には、(厚洋さんの植えたのは檸檬ではなく本柚子なのだ。)と考えを改めさせられた。
 その木の枝には太い棘もあり、真愛が8月に踏み抜いた柚子の棘に違いない。
 大きさは夏蜜柑よりやや小さいくらいで、「柚子だよ。」って言われれば納得する様相である。
 檸檬の中には「メイヤーレモン」と言う品種もあって、例のあの形ではなく、やや丸みを帯びたオレンジ🍊のようなレモンもあると言う。
(ウーン。
 厚洋さんは「このレモンは甘いんだぞ。」って
 言ってた気もするけど、今となっては分から
 ない。切ってみれば香りでわかるはずだが、
 高い所にあるので、下手にもぎ取りに行って落
 でもしたら、柚子より大馬鹿だよね。)
と、言うことで、厚洋さんが
【冬至の日に柚子の贈り物】
をしてくれたと喜ぶことにした。

 冬至なので柚子湯に入る。
 カボチャを食べる。
 季節の行事をすることが好きだった真愛に付き合ってくれた厚洋さんは、晩酌をしながら、「冬至の日のイベント」もおつまみにしながら楽しむようになり、真愛よりも早くその材料を仕入れてくれた。
「日照時間の少なくなるこの頃に、ビタミンA・C
 カロテンは大事。
 カボチャと柚子を買って来たぞ。
 結構高くなるんだな。
 この時期の柚子。一個100円だぞ。」
 だから、我が家で収穫できたら良いと思って、柚子を植えたのかもしれない。
「桃栗三年。柿八年。柚子の大馬鹿20年」
 物事は一朝一夕にできるものではない、それ相応に時間がかかるものだという教えが含まれている諺なのだろうが、この後にも続く言葉がある事を知った。
(因みに、柚子の大馬鹿18年が一般的だ。)
 雑学博士だった厚洋さんが知ったら喜びそうな話題だった。
 18年と言うのも、映画「時をかける少女」の中で、先生が「柚子は九年でなりさがる」を紹介した後、
その続きとして主役の原田知世が「梨の馬鹿めが18年」といって大笑いされる場面が有る。
 また映画の挿入歌「愛のためいき」の歌詞にもなっているからかもしれないが、真愛は、「20年」と聞いていた。
 柚子生産者に言わせれば、
「柚子は九年でなりさがる」に違和感はありませんが、「柚子の大馬鹿十八年」は長すぎます。
 柚子が実をつけるのに十八年もかかりません。「柚子は九年で花盛り」とか、
「柚子は九年でなりさかる」ともいわれているのです。」
と言う事だ。
 人からの聞き伝えで、リツイートしてはいけないのは昔も今も同じなのだ。
 さて、聞き伝えでもう一つ。
 長いフレーズに、
「桃栗3年、柿8年、梅は酸い酸い13年、
 梨はゆるゆる15年、
   柚子の大馬鹿18年、
   蜜柑のまぬけは20年」
 と言うのもある。
 梅の実は13年と言うが、我が家の接木の盆栽は、3年ぐらいで実をつけた。
 我が家の蜜柑もだいぶ賢かったらしく、厚洋さんの亡くなる3年前(植えてから3年ぐらい)で実をつけた。更に温州蜜柑なのに8月には温室みかんのように緑の実をつけ、彼のせん妄症を治してくれた。
 まっ、諺であり一般的なだけだ。
 人も様々であるように木だって様々なのだ。

「桃栗三年、柿八年、梅はすいすい十三年、
 柚子の大馬鹿十八年、
 林檎にこにこ二十五年、
 銀杏のきちがい三十年、
 女房の不作は六十年、
 亭主の不作はこれまた一生」
というのもある。
 厚洋さんに知らせたかったなあ。
 生きているってことは、知らなかったことを知る時間が残されていると言うこと。改めて厚洋さんに守られて生きていることに感謝したい。
 女房の不作は60年。
 結婚43年で、彼は逝ってしまったのだから、真愛か素敵な実をつけるのを見ないで逝ってしまったのだ。勿体ないことをしたね。
 しかし、60年。
 82歳になった真愛を88歳の厚洋さんが
「いい女房だ。いい女だ。」
と褒めてくれても嬉しくないかもしれない。
 まだ、若くてちょっと綺麗だった真愛の記憶のまま逝ってくれてよかったのかもしれない。
「亭主の不作はこれまた一生」
 こりゃ名言かもしれない。
 厚洋さんが豊作であったのは、真愛の惚気であるが、旦那さんの無理解に苦労している奥さんの多くいることに納得である。
 この中の「梅」に代わって
「枇杷は早くて十三年」というのもあるし、
 蜜柑に代わって
「胡桃の大馬鹿二十年」というのもある。
「桃栗三年、後家一年」
というのもあり、世の未亡人が人恋しくて直ぐに再婚してしまうと言う気持ちも分からないでもない。
 そこのところ、未だに
「厚洋さん大好き💕」
と言っている真愛をあちらの厚洋さんは喜んでくれていると思う。
 江戸時代の『役者評判蚰蜒』(1674年刊)
という本に、
「桃栗三年、柿八年、人の命は五十年、
 夢の浮世にささので遊べ」という歌謡がある。「ささ」とは酒のことなので、たった50年の短い命だ。酒を飲んで楽しく遊べと言う。
 厚洋さんが泣いて喜ぶ歌である。
 もっと元気に生きて居ればこんな諺にも会えただろうに残念だ。
 いや、雑学博士は知っていたのかもしれない。
「女房の料理は三日でなれるが
     旦那の馬鹿さは一生付き合い」
って、真愛の料理を褒めて?くれたこともあったからなあ。

 彼がいないひとりの冬至のディナーもカボチャと柚子を使った。
 ほうれん草と豆腐とカボチャのグラタン
 トーストの柚子ジャムのせ。
 柚子と蜂蜜のホットドリンク❣️

 さて、明日は足場をしっかりと作って、あの黄色い実を収穫しよう。
 レモン七日。
 柚子七日。

綺麗な甘夏みかんだった❣️

笑笑❣️

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります