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伝えたい気持ち

 国際交流協会というところで、ボランティア活動をしている。文化交流委員会に所属しているのだが、そこは、折角、日本に来てくれたのだから、日本文化を伝えたいという思いでイベント企画や文化紹介(掲示板やホームページ制作)をしている。
 ボランティア活動というよりは、真愛の好きな事をやらせてもらっているようなものだ。
 コロナ禍になる前、その協会のフェスティバルがあり、多国籍の方とたくさん触れ合い楽しい思いをした。元々、外国の方と下手な英語で会話をするのが好きだった真愛は、「日本語教室」もボランティアでやっていることを知り参加するようになった。
 国際交流協会の主たる活動は「日本語教室」であるべきだと今は思っている。
 我が街にもたくさんの外国籍の方が住むようになっているのに、日本語が分からず苦労をしている方が多いのではないかと思っているからだ。
 今日は、ベトナムから働きに来ている女性と学習をした。
 真愛の日本語教室での経験は、
・日本の男性と結婚し子どもさんもいるベトナム
 の女性の漢字学習をサポートした。
・小学校に通うベトナムの男子児童と中学校に
 通うベトナムの男子生徒の学校の課題処理の
 サポートをした。
・ネパールから来た男性の日本語初級学習のサポ
 ートをした。
・日本の男性と結婚して隣街に引っ越して来た
 中国の女性の生活の悩み相談を聞きながら、
 日本語2級の試験サポートをした。
・中国から仕事の関係で、家族ぐるみで隣町に
 住んでいる中国の男性の日本語1級の試験対策
 サポートをした。

フェスティバル 

 全ての方が「日本語を習いたい!」と思って訪れるので、とても熱心な学習態度であり、頭が下がるほどの勉強家達だった。
 コロナ禍でもあったため、学習者は自国に帰ったり、転勤をしたりと長くは接しられなかったが、みんなある程度の日本語が通じる段階での出会いだった。
「日本語が通じない。」
と、ポケトークを使ったのは、ネパールの男性だけだった。しかし、彼も英語が話せたので、真愛の下手な英語でコミュニケーションはなんとか取れたのだ。

❣️

 ところが、今日から担当したTさんは、「テキスト・みんなの日本語」の4課をやってはいるが、
まだ、挨拶の言葉で引っかかる。
 最も困ったのは、共通言語を持っていない事だった。英語も話せないという。
「今日は、私と一緒に勉強しましょう。」
というと、
「あっち?」
と聞き返された。受け付けた時が「あっち」の部屋だったので、そのことを言ったのかと思い、
「今日は、ここの部屋を使います。」
と言ってはみたものの通じない。
 お互いに自分の思いがあるのに伝えられないもどかしさって【辛い】。
 そうなると、ボディランゲージ・ジェスチャーである。側から見てると笑えるようだ。先輩ボランティアのIさんに
「そうだ!それが大事だ!頑張れ❣️」
って笑いながらの応援を頂き、大奮闘。

 学習部屋に入って、直ぐに翻訳アプリを使った。
 日本語を書きながら声に出して読み上げ、ベトナム語に翻訳した画面を見てもらった。
 彼女のわかった時の笑顔が可愛い。
「分かった。」のリアクションで、お互いが「安心」の気持ちになる。
 テキストを元に、ひらがな・カタカナの復習をし、現在何課を学習しているのかを確認した。
 彼女はよく平仮名を読めるようになっていた。
 ベトナムの方が陥りやすい「つ」の発音も気をつければ綺麗に発音してくれた。
 凄い努力をしているのだと思った。
「上手!綺麗な発音です。」
と誉めたが分かっていなそうだった。
 ベトナム語で伝えるのは最終手段としたので、ジェスチャーと笑顔と拍手でなんとか分かってもらった。
「素晴らしい。」と伝えることができないのは切ない。
 1課の復習に入る前に、ベトナム語で
「Nếu anh không biết, giơ tay lên và đừng
  nói nữa.」
と読んでもらった。
 うんうんと頷いてくれたが、その後、手を上げることはなかった。
 お国柄の違いなのだろうか、彼女の性格なのだろうか、とても心配になった。
 真愛なんか分からなければ、
「Just moment Please speak slowly」
「Excuse me I don't understand 
 what you're talking about」
なんて何度も何度も聞き、最終的には日本語で話した内容を確認してしまう。
 とんでもなく面倒くさい奴なのである。

何をか語る花

 1課を復習した。
 会話文をスラスラ読むから、内容も理解していると思ったが、内容は分かっていなかった。
 平仮名は一文字一音であるため、五十音を理解していれば、読むことはできるのだ。
 しかし、言葉としての意味が分かっていないのだ。
 引っ越してきた男性が、隣の部屋の人に手土産を持って挨拶に来る場面の会話では、「ほんの気持ちです。」と使われている。
 日本人だって、あまり使わないような内容だった。
 引っ越して来た。
 となりの部屋の人。
 挨拶「よろしくお願いします。」
をベトナム語で捕捉する。
 すると、
「よろしくお願いします。」
と言って、うんうんと納得した。
 これからは、その課の内容に関係する言葉、名詞や動詞をたくさん「音韻認識」をしてもらいながら、分かってもらえたらと思った。
 真愛が中学校の時にやった単語帳ではないが、単語そのものの理解ができていなければ、ただ読んでいるだけ、音を発しているだけになるのだ。

 しかし、彼女は素晴らしい人だった。
 一生懸命に分ろうとしているのだ。
 そんな彼女と一緒に1時間半学習をして強く思ったことがある。
 伝えたい気持ちを持つということは、伝えたい人がいるということであり、その人が生きて反応してくれる人であれば、それはとても幸せなことであると思ったのだ。
 厚洋さんが逝ってしまって、伝えたい気持ちが山ほどあるのに、その気持ちを何度も何度も語っでも、何の反応もなく何の言葉も返ってこない。
 切なくて悲しくて気が狂いそうだった。 
 彼と一緒に真愛の心も死んでしまった。

 時の流れは、あちらに逝ってしまった真愛の心を蘇られる方法を教えてくれた。
 厚洋さんに語りたいことはちゃんと彼の写真の前で話したり、真愛の心に向かって話すことができるようになった。
 厚洋さんは必ず真愛の耳元で、彼の言葉で語ってくれるようになった。
 AIが学習するように、彼の考え方、彼の使う言葉、彼の口癖の43年分を真愛の心が思い出し、彼の言葉として返してくれるのだ。
 納得したり、誉めてくれたりする彼の笑顔もちゃんとついてくる。
 だが、やっぱり「居ないんだよね。」と思う。

 だから、今日の彼女に思ったように、「気持ち」を「伝えたい人」がいるということは、素晴らしい感情であり、その人が生きて反応してくれる人であれば、それはとても幸せなことであると思った。
 このnoteもそうかもしれない。
 不特定少数の方に真愛の気持ちを伝えたいのだ。
 その反応が「スキ」だったりすると、ヘラヘラ笑っちゃうほど嬉しいのは、伝わったという「幸せ」を味わっているのだ。
 note書けて幸せ❣️
 😁🤗💓😂🙂😊


ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります