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子育てパニック 危険がいっぱい

「おはようございます🌞
 こちら自主休園中の家です。
 Tちゃんのダンスの幅が広がってきました💃🏽」

傘・エプロン・ベッドの上で

 キレッキレのダンスである。
 ベッドの上は何もなく、ちょっとした沈み込みもジャンプ感になる。トランポリンの上に乗った気分かもしれない。
 そんな不安定の中、カメラ目線で曲に合わせて、umbrellaを操り踏みそうなエプロンを垂らして踊るTちゃんの動画に
「凄い。」
としか返せなかった。
 なんとかってサイトにアップしたら、「いいね」いっぱい貰えそうと思っていると、パパから、
「危ねぇなぁ。」
って返信された。
「ベッド。危ないので降ろしました。笑。」
と、ママ。
「good job」
と、安心のパパ。

 もうすぐ立春の温かな光の中で、家族LINEへ
返信。
「笑笑。
 いいご夫婦で❣️
 ママが見てるんだから、大丈夫⁈
 これからはもっともっと危険なことやりますよ 
 親が見てないところでね。
 否定すればするほど、見てないところでやるん
 だね。
 誰かさんみたいにダンクシュートとか。
 しかし、色々あっても素敵な伴侶を見つけて、
 子どもも授かっていい人生送ってる。
 だから、危険もたまにはやらないとね。
 危険が分からない。
 素敵な話を頂きました。」
と返信して、このnoteを書き始めた。

見せたい彼女にの視線

 子育ての中で、何度も子どもに危険なことをやらせてしまっていたことか。
 我が家の場合は、「危険な」で終わらず、火傷をさせてしまったこと、骨折を何度もさせてしまったことが、夫婦二人の大きな後悔でした。
 1番最初の後悔は、夫婦の無知さから起こったのです。
 事は、息子が生まれる前に発生しています。
 真愛が厚洋さんに恋をして、彼と結婚すると決めた時。厚洋さんは言いました。
「我が家の家訓
 酒は血の一滴。
 俺の友達はお前の友達。大事にしろ。
 俺は給料は入れない。」
 それ以外にも、彼の日頃の言動から、彼が亭主関白を望んでいる事はよく分かりました。
 また、真愛の先輩の男の先生からも、
「理想の妻像
 外に出ては才女の如く
 厨にありては女中の如く
 床に入りては娼婦の如くあれ。」
と言われました。
 父の居なかった真愛にとっては、それが妻の姿だと思いました。時代もまだジェンダーフリーではなかった頃です。
 モテそうだった厚洋さんに捨てられるのも嫌だったので、「良い奥さんになろう。」と決心しましたが、1週間と持ちませんでした。
(この話は,本当にあった新婚笑い話です。
 ご希望が有ればいずれ、また…。)

「やれる範囲で良いんだから」
と言われても、一生懸命な真愛は、何度となく自分にヒステリックになりながら、なんとか「良い妻」を2年間続けました。
 しかし、拓を身籠もり身体も動かせなくなり、厚洋さんが家事を代わってやってくれる事も多くなりました。
 産後休暇の後、育児休暇無しで復帰した真愛は、育児、学校の仕事、主婦の仕事がやり切れない自分にイライラし、若干のノイローゼになっていたようです。
 それを見かねた厚洋さんは、「亭主関白」を辞め育児も家事も完全に手伝ってくれていました。
 しかし、真愛の根底には、「厚洋さんに嫌われたくない。」思いと「男を立てるのは当然。」の母の躾がありました。
 だから、手伝いはしてもらっていましたが、彼の言葉に逆らう事はありませんでした。
(真愛にとっては、
 教育実習の時の指導教官でもあり、
 尊敬する人だったからです。)

 ある日曜日でした。
 真愛は、初めての6年生担任だったせいか、毎日を忙しく過ごしていました。
 拓も離乳食ではなくなり、色々な物が食べられるようになっていました。
「パパのチャーハン。美味しいね。
 ママのよりずっと上手❣️」
って、褒めちぎって、その気にさせて厚洋さんがキッチンに立つことが多くなった頃です。
 結婚する前の真愛は、インスタント食品も食べていましたが、厚洋さんと一緒になってからは、全て手作りになりました。
 厚洋さんは、インスタント食品が嫌いだったのです。
 ところがその日のお昼には、拓が食べたいと言ったので「カップラーメン」を作り始めたのです。
(珍しいこともあるんだな。いくら厳格な彼で 
 も、溺愛している息子の言うことならなんでも
 聞いちゃうんだ。)
と思いながら仕事をしていると、
「ギャー!」
という悲鳴の後、拓の大泣き声が聞こえました。
 まだ背の低い息子が、キッチンの上のカップラーメンの中が見たかったらしく、厚洋さんが目を離したすきに、手を伸ばしてカップを引き寄せ。
 カップラーメンに入った熱湯を浴びてしまったのです。
 大火傷です。
 直ぐにお風呂場に連れて行って、服の上から水をかけました。
 何分もかけました。
 親も子どももショック状態です。
(家庭の医学って言う事典も読んではいたのです
 が、無知だったのです。)
 厚洋さんが緊急病院に電話をして、直ぐに連れて行く事になりました。
 火傷のショックと親達の驚と長く水をかけた事で、息子はぐったりとし、身体も冷たくなっていました。
 本当は、濡れたままでも良く、もしも服を脱がせるなら「火傷した部分を皮膚に残して」切り取る事がよかったのですが、拓の愚かな両親は
「服を脱がせてしまった。」のです。
 火傷の傷の上をガーゼで覆い、毛布にくるみ、ぐったりした息子を抱えて、泣きながら愚かな母親は診察室に入りました。
「水を沢山かけた事は良かったですね。
 小さな子は皮膚面積も狭いから、
 火傷は怖いですね。
 うーん。服は剥がさないほうがよかったかな?
 火傷の跡が残るなぁ。」
 カップラーメンを作った厚洋さんの落ち込みようは見ていられませんでした。
 カップラーメンを作らせた真愛の「申し訳なさ」は、どんな言葉で表現しても彼の後悔を拭うことができませんでした。
「ねぇ。痛いのいつ治る?」
 聞かれる度に、
「ごめんね。もうすぐね。」
 夫婦揃って、辛い日々でした。

 火傷の後は、ケロイド状になり小さな息子の胸の真ん中に赤く残りました。
 親バカでしょうが、「可愛い顔にかからないでよかった。」と言葉ではいうものの、お風呂に入って息子の身体を見るたびに「夫婦の無知さ」を後悔しました。

 夏になり、今までなら着せられた、胸を出せる服。襟が大きく開いた服を着せることが出来なくなりました。
「これ、いつ治る?」
と聞かれると、
「これはね。
 拓の勇気の記し。
 ほら、ウルトラマンみたいにね。
 ここを押すと強くなるの!」
と言いながら、(御免なさい。私が悪の。)と思いました。
 それからでしょうか。拓の綺麗だった肌が、アトピー性皮膚炎になり、ガサガサになってきました。
 厚洋さんは何も言いませんでしたが、真愛は、
(私の皮膚の弱さが彼に遺伝したんだ。
 火傷の跡・皮膚の汚いこと。
 皮膚が汚くてお嫁になんて行けないと思って
 いた自分と同じ思いをさせるのだ。)
と思いました。

 今でも、息子の火傷の跡を見ると切なくなります。
 息子は親を思ってくれたのでしょう、火傷の跡について文句を言う事はありませんでした。
 母親に似ず良い子に育ち、火傷の跡のある胸を張って、地区の水泳大会のスタート台に立ちました。

コールしたのは真愛。後ろの監察は厚洋さん


 息子の名前をコールすることの出来た真愛も、監察役員として、後ろに立った厚洋さんも、いじけて育たなかった息子を同じ会場で見ていました。 
 両親がどんなに誇らしかったかは、息子は知らないと思います。

可愛いお嫁さん


 そして、その息子がお嫁さんを連れて来た時の夫婦の歓びが如何に大きかったか、そのお嫁さんとの間に孫が産まれたことがどんなに嬉しかったか。
 厚洋さんは言葉には出しませんでしたが、真愛以上に【安心】したのだと思います。
 彼の後悔の深さは、あの火傷の後から
「カップラーメン」「お湯を注いで食べる物」を食べなくなりました。
 亡くなるまでずっとです。

 愛しい者を傷つけてしまう事。
 愛しい者を傷つけると分かっていたら、防ぎようがあったら…。
と、後悔し続けるのです。

 息子は、カップラーメンが大好きです。
 厚洋さんが亡くなってから、我が家の食材ストックの中には「カップラーメン」が入るようになりました。

 息子が巣立ってからは、厚洋さんと息子の火傷と肌の話はしなくなりました。
 でも、死ぬまで後悔することがあるとするならば、「愛しい者を危険に晒してしまった事」だと思います。
 だから、パパが危険を感じて注意喚起をし、ママが防いだ事は素敵な連携プレイであると思いました。

IEHATA

 だが、これで終わらないのが、maa noteである。Tのカッコいいダンスを見た婆ちゃんは、頭の隅っこに、
(凄いよなぁ。
 あのリズム感と表現力の良さを
 なんか活かせないかしら?
 すきな事ならやらせてやりたいな。
 いろんなこと…。)
という思いがウロウロしていた。
 ご縁とは凄いもので、その晩の国営放送で、「リエハタ」というダンサーの特集を組んでいた。

 多くの人のプロデュースも手掛けている人であり、その人自身も凄いパフォーマーである。

 右膝前十字靱帯を切り、同時に妊娠を確認。
手術できない。早く手術しなければ、踊れなくなるかもしれない。
 踊る事を断念したベッドの上で、上半身だけでダンスをする事を考えた。
 大好きだから、「今やれる事」を発信したのだ。その動画を見たクリス,ブラウンからメッセージが届く。
 彼女のダンスのように目まぐるしく変わる波瀾万丈の人生を歩んでいた。
 ダンスもカッコいいが、彼女の考え方・生き方が素晴らしかった。彼女の言葉を聞いて、
 モヤモヤしていた孫への思いがはっきりした。
 孫のダンスの動画の後の前半部分は、最初に書いたが、その後もある。
「警戒しすぎず、警戒しなさすぎず、ちょうど良い
 辺りで見守りたいところです(bashful grin)
 これからもっとハラハラが始まるんですね💧
 笑。
 私も良く怪我して家に帰ったなぁ。笑笑」
「子どもの成長とともに、悩みも不安も
 大きくなるのですね。
 でも大丈夫。
 kちゃんは、拓君と良く話し合っているから。
 一人で背負い込んじゃ辛いのもね。」
「はいっ(happy face)、
 お母さんにもいつも良いアドバイス頂けて
 めちゃめちゃためになっています✨」
 この両親のもとで育つ孫は、きっと沢山の経験をさせてもらえるだろう。
 そして、その中で小さな危険を体験して、大きな冒険心も身に付けていくだろうと思ったのだ。
 どんなことがあっても、
「自分の好きな事」=「自分の夢」に向かって進める勇気を育てて貰えると思った。

 コロナ禍、不安な政情の中、世の親御さんたちは、「子どもへの危険」に切ない思いをしているのだろうと思う。
 私たちが息子を育てた時代とは随分様相が変わっている。
 ただ、孫のママが言うように、
「警戒し過ぎず、警戒しなさ過ぎず。
 ちょうど良い辺りで見守り、
 沢山の経験値を積み、
 時には危険であろうことも、
 自らの夢に向かって、
 一歩踏み出せる勇気を持てる力」
を身に付けさせたいという願いは、子育ての普遍的なものであると思った。

どんな夢を持つのだろう

 見出しの写真はクズリのお母さんが、子どもを咥えて巣を変えるところ。

巣を変える

 敵から子供を守るため、大きな子供を咥えて移動する。

安全ならば放任

 安全な場所に移動すると、やらせ放題。
 子育ての基本なのかもしれない。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります