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真愛の幸せ
真愛の幸せは「厚洋さんの我慢」で成り立っていた。
唐突な話ではない。
彼が逝ってしまってから、何度も、何百度も思った事である。
亡くなって1年5ヶ月後から始めたこのnoteに厚洋さんを愛して来た事・厚洋さんに愛されて来た事を綴ってきた。
自己紹介には
「詩画・エッセイ・白い花にそえて」
「詩画集・夢幻」文芸社より出版。
小学館「話のネタ」などの教師向けムック本
を書いた厚洋の妻。
人の笑顔が大好き。
生きる意味を日々探している。」と記したが、本当は、拙著「白い花にそえて」に書き切れなかった真愛と厚洋さんの仲の良さを多くの人に知ってもらいたかった。
年齢的にもラブラブの話はタブーの時代だったので、「うちも旦那が五月蝿くて!」と周りに同調していた真愛だったからだ。
(嫌だね。自分を隠すなんて!)
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他人からは「寡黙で無愛想な男」と思われていた厚洋さんだったが、真愛の前では素敵ないい男だったのだ。
そして、同僚や教え子も気づかなかった、多分、息子ですら分からなかった「愛妻家」であったことを知って欲しくて、いや、自慢したくて書き始めた事だった。
だから、maaのnoteに訪れた方が
「また、惚気話か…。」
と読まれなくなることが多い。
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季節ごとのイベントが大好きな真愛は、夏になれば
「ねぇ!蛍が飛び始めてるって。」
「行こうか。三島に行くか?
貞元に行くか?」
「七夕様よ。
拓君と笹飾りを作ったの。
一緒に浴衣着てね。」
「ああ。
写真まで撮るのか?」
写真に撮られる事が嫌いな厚洋さんは、真愛達を撮影するのは好きなのだが、自分は逃げ回る。それを無理矢理座らせて
「拓君と一緒!
いいでしょう?」
考えてみれば、全てのイベントにそれなりの格好をしてくれたと思う。
写真をよく見ると、格好付けの厚洋さんの浴衣の裾が尻っぱしょりになって太ももまで露わになっている。拓と七夕様を抱えるためだ。
撮られた写真を見るのも嫌がったが、きっとそれは(理想の俺じゃない!)からなのだ。
嫌いな事をやらせる真愛だったのだ。
季節の行事をやる事自体は嫌いではなかった。
むしろ、「日本文化」を大事にしている真愛の様子を嬉しそうに見ていてくれた。
ただ、嫌なのは(人と会う事・知らない人)
(人と一緒にやる事)(人に合わせる事)だった気がする。
だから、真愛の学校でのイベントには差し入れは持って来てくれるが、数分もいないでとっとと帰ってしまう。
真愛の同僚は
「先生の旦那様って、かっこいいわね。
チャラチャラしてなくて、いい男!」
なんて褒めてくれるが、本人は凄く我慢して勇気を出して訪れるのだ。
笑顔なんて振りまけるわけが無い。
(『俺の笑顔は商売のため!』って言ってたも
の。学習中の教え子に向ける笑顔は素晴らし
かった。)
真愛も彼の学校の運動会には、重ならなければ必ず行った。彼の友達で自慢のお店「ロンシャン」のケーキをどっさりと購入していった。
真愛はいつもの如く、派手な若い格好で行く
「えっ!奥平先生の奥様?」
と受付の保護者さんがびっくりした声を出す。
厚洋さんの様子からは、真愛が奥さんのようには見えないようだった。
もっと静かで大人しい女を想像するらしい。
彼の保護者の中には真愛に対して賛否両論があり、「若くて可愛い奥様」「ぶっ飛んでいて強そう」と思われる。
その言葉に対して彼の言った言葉は
「うちの同居人は、自由人だ。」
「可愛いのは外面が良いんだよ。
うちじゃ怖いぞう!」
だったらしい。
(厚洋さん絶対の亭主関白様だったのに
いつも不本意な評価発言だったが、文句は言
えない。)
我が家の家訓も知らず、真愛が彼に尽くしていたり、惚れていたりしていたことを知ってくれているのは、真愛側の同僚であって、厚洋さんは苦労してるように見えるのだ。
そう思っていた。
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しかし、彼が逝ってから彼の友達や同僚から聞いた話は、全く違っていた。
誕生日に真っ赤な花束を抱いて「真愛にプレゼントするんだ!」と嬉しそうにしていた奴だった。
「毎朝の飯作りは大変。
しょうがないだろう?
あいつが一生懸命夜遅くまでやってるんだ。
起きられないなら俺がやるさ!」
「同居人に買って行ってやるんだ。」
もちろん、自分中心の人だったが、必ず頭の隅っこに真愛の事を入れてくれていたようだ。
真愛が仕事で悩んでいると、必ず厚洋さんの顔繋がりで助けてくれることが多かった。
彼の持っている人脈は、教員中心ではなかったので、写真家・建築家・絵描き・飲食店経営者・書家・出版社・物書き・音楽家・政治家漫画家・スポーツ選手・大学教授・あちら系の方も…。(思い出したら凄くいっぱいの職種が出て来た。)
真愛が伸びやかに自由に生きて来たのは
厚洋さんがいてくれたおかげだったのだ。やりたい事をやれたのも彼の手助けがあったからだ。
その時の厚洋さんはきっとたくさんの事を我慢しながらやってくれていたのだ。
例えば、出版社のEさんに真愛の公開研究会の授業で講師をやってもらった時、
計画・送り迎え・接待etc
全部厚洋さんがやってくれた。
「良いよ!
友達だから呼べるよ。
俺が連れてって、俺が送るから…。」
どんな時もそうだった。
彼の思いの底に
(真愛のやりたい事がやれればいい。
あいつの嬉しそうな顔が見たい。
俺の友達がすごいことも分からせたい。
俺って凄いぞって…。)
があったと思うが、そんな顔をしなかった。
お馬鹿な真愛は、嬉しくて
「うちの主人が手伝ってくれての❣️」
と自慢をしていただけだった。
二人とも他人からは、目立っていて嫌がられる存在だったのだと思う。
そんな事を気にしないでやる真愛だから、彼はもっと困っていたのかもしれない。
真愛の幸せな65年間は、彼の我慢で成り立っていたのだ。
古い写真を振り返りながら、この笑顔を支えていてくれた撮影者側の厚洋さんの事を思った。
写真の瞳の中に、笑顔の厚洋さんが映り込んでいる事なんて誰もわかっていないだろうな。
真愛が撮った厚洋さんの写真は、皆んなカッコつけた厚洋さんが多い。
撮った真愛は、「笑って!」なんて言った事がない。
大体、写真を撮る時にレンズを見ない人だった。(隠れ撮りが多かったのだね。)
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優しい厚洋さんは、にゃんこがぐっすり寝られるように座り
「おい。動けねぇ。
チャーの頭が重くて、手が痺れて来た。
どうするよ。」
と言った人だ。
真愛のために、家族のためにたくさんの我慢をしてくれた事にまた気づいてしまった。
古い写真を見返すと「申し訳ない」気持ちになる。
古いアルバムを捲りながら、(本当に愛されていた自分)に巡り合う。
真愛は、幸せである。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります