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ひとつだけ。

 ひとつだけ実ったグミ。
 野苺や木通を採って来ては、子供のように
「いいだろう。酸っぱいぞ!」って、口に入れてくれた。少ない中でのお裾分け。
 グミの渋みと甘さも…。
自然の甘さと酸味が大好きだった厚洋さんのグミの実がひとつだけ実った。

 樹齢20歳の大きなグミの木を5年前に切った。
 小学校五年生の国語に大川悦生氏の「お母さんの木」と言う物語が入っている。
 出征した五人の息子の代わりに桐の木を育てる。しかし、誰一人帰って来ない。末の五郎が傷つき帰って来た時は、五郎の桐の木の下で亡くなっている母を見つけるのだ。
 最後で五郎が家族に語る。
「切ない桐の木ではなく、甘い実のなるクルミ 
 の木を植えよう。」と。  
 真愛も厚洋さんもこのお話が好きだった。
 北海道出身の彼は、クルミの木も実も好きだった。 
 庭を持つと「実のなる木・びっくりグミ」を植えた。クルミのようには大きくならないと思っていた。しかし、切る年の夏には、遠くから見えるほど真っ赤な実がたわわに実った。
 大きくなり過ぎて、車が置けなくなったので1メートルのところで切った。 
 幹は、直径30センチほどあった。
 
 枝をバラバラに切って捨てたのだが、余りにも可哀想で使い道を考えた。
 紫陽花を植えた斜面の土が流れないように、グミの枝を横にして土留めを作った。
 暫くするとグミの生命力に驚かされた。 
 横に寝かせた木の枝から新芽が吹き、根を張り翌年には、実を付けたのだ。地上20センチの高さに実がなった。
 その後も、グミの木の分身は転殖を繰り返され、今は生垣になっている。
 
 しかし、厚洋さんが亡くなってからは、花はたくさん咲くのだが実がつかなくなっていた。
 そのグミの木に真っ赤な実がなったのだ。
 こんな事を喜ぶなんてバカな奴だと思われるだろう。
 しかし、「ひとつだけ」だからこそ、厚洋さんが口に入れてくれた一粒を思い出すのだと思う。

 ひとつだけ赤くなったサクランボ。  
 サクランボは、一本だけで植えていた時は身がつかなかったが、もう一本サクランボを隣に植えると仲良く満開になり沢山の実をつけた。
「二木のサクランボは、果肉が大きいよね。
 家のは、種は大きいのに痩せてるな。」
って笑いながら食べてくれた。
 昨年はなんとか数個、食べられた。
 今年は、みんな落ちてしまって、1個しか食べられなかった。
 厚洋さんに供えたのも「一粒のサクランボ」だった。宝物のように…。

 梅の実もひとつだけだった。 

 「ひとつだけ・ひとつだけ」と書いているうちに、職業病なのだろう。
 小学4年生の国語に掲載されていた「一つの花・今西祐行作」を思い出した。
 ゆみこは、まだ片言しか話せない女の子。
 戦時中の貧しさから、小さいゆみこの口癖は、「一つだけ」「一つだけちょうだい」だった。
 食べ物がない中でもお母さんは、「ひとつだけね。」と自分たちの分を割いてもあげるからだった。 
 そんな時、お父さんは娘の未来を思い
「この子はどんな子に育つのだろう。
 いっぱいちょうだいって言えるのだろうか」
  欲しがりません、勝つまでは。
     将来なんて見えない時代なのだ。
 「ひとつだけのお芋」 
って言ってゆみこにあげるのだ。 
 そんな小さな幸せを守っていた家族にも赤紙が来た。
 出征するお父さんを見送りに駅に。
 汽車が来る時になって、ゆみこが泣き出すのだ。
「おじきり、ひとつだけちょうだい。」
 出征するお父さんに泣き顔を見せたくないお母さんは、懸命にあやすが泣き止まない。
 「お母さんおにぎりおあげよ。」
 「全部食べちゃったんですの。」
お母さんも悲しく、切ない。
 そんな時、お父さんは、駅のプラットフォームの端っこに咲いていたコスモスの花を見つけて摘んでくるのだ。
 そして、お母さんの抱いているゆみこに
「ひとつだけのお花、
      大事にするんだよう。」
と渡して。
 汽車に乗り、「ひとつだけの花」を見て出征するのだ。

 妻の顔・ゆみこの顔を見ていくのではなく、娘の手に持たせた一輪の花を見ていくのだ。

 数年後、ミシンの音が聞こえるトントンブキの屋根の家から、元気なゆみこの声が聞こえて
「お母さん、今日は・・・。」と元気に買い物に行く。コスモスのトンネルを通って。

 お父さんの帰って来ない家庭で、母が懸命に育てているんだ。明るいゆみこに育ったのだ。
 いっぱいのコスモスに囲まれていることが、父母の愛の大きさと切なさを象徴するようで堪らない。
 「ひとつだけ」と「いっぱい」

 4年生相手に「戦争の悲惨さ・親子の情愛・ひとつだけの意味・反戦・生き方」を読み取らせ語り合った。
 汽車の出る場面の父母の思いを語りながら涙した。
 授業研究会ではなくても、必ず厚洋さんと「戦争文学の扱い方」について話し合った。
と、言うより彼に真愛の指導法を話し助言を貰っていたと思う。
「淡々とやれ!」
と何時も釘を刺された。
 感情移入の強い真愛は、読み取りを曲解させる事があるからだった。
 平和が75年も続いた今。
 戦争文学を読ませなくなったと思う。
 言葉に立ち止まって、読ませなくなった。

 戦争を語る中で、戦争下でも守られていた家族愛・思いやり・優しさ・勇気・真実・博愛etcがあった。
 ところがどうだろう。
 物が溢れる(買い占めて無くなれば高価で買う。)社会で、貧しくてもたくさんの「愛情」に包まれて育つ子が何人いるのだろうか?

「たくさんのグミの実」には無い。
「ひとつだけのグミの実」への想いなのだ。
「ひとつだけ」を誰にあげるのか?

 暫くぶりで
「ひとつだけ」
「ひとりだけ」
「一本だけ」
「ひとつ」でも無ければ
「だけ」でもない。
      「ひとつだけ」

 

 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります