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888日 静愛

 厚洋さんが亡くなってから、今日で888日め。不思議な事に心が波立たなくなった。
 49日までは、気が狂っていた。
 周りの人達が「手が付けられない…。」と呟いた。
 百箇日まで、後追い自殺を考えた。
 毎日のように。
 周りの人達が
「彼は、それを望んでいない。」
と聞いてきたかのように言った。
 
 180日め、納骨の前日の深夜。
 二人だけの結婚式を挙げた。
 wedding dressを纏い、彼の骸を抱きしめた。
 異界の扉は開かず、
 彼は語らず、
 一晩中泣いた。

 191日めの朝。
 彼が夢の中で、私の手を取り
「一緒に進もう❣️」と言ってくれた。
 
 彼岸に連れて行くのではなく、二人がやりたかった事をしに行こうと言ってくれたのだ。
「俺はお前のここに入るから…。」と。
 亡骸と対峙しているのではない。
 彼の命が私の命と共に有る気がした。
 生きていた時のように、同じ方向を向いて手を携えて歩き出した。
 
 彼の望んでいた事を思い返す日々になった。
 周りの人達の優しさに支えられた。


 359日め 
 50年ぶりと言う台風の直撃を受けた。
 泣くことも出来なかった恐怖の中で、
 どれだけ彼に護られていたのか、
 どれだけ彼に愛されていたのか分かった。
 
 颱風(あかしま)が去り、朝日が差した。
今更ながら分かった自分の愚かさと、彼に対する釈罪の想いで涙した。

 366日め 一周忌
 夜が来るのが怖かった。
 薬を飲んでも寝られない夜が続き、彼の夢すら見られなかった。
 彼の教え子・真愛の教え子に、そして、沢山の周りの人達が助けてくれた。
 笑えるようになった真愛に
「その笑顔が見たかった。
         頑張らなくていい。
 伸びやかなあなたらしい貴女がいい。」
厚洋さんが言っていた言葉だった。
 周りの人達の言葉は、厚洋さんが、今、私に伝えたい言葉だと思った。
 
 483日め
 noteを書き始めた。
 一年過ぎても、寂しさは変わらない。
 恋しい思いも変わらない。
 ただ「愛してる❤」の言葉より、
「厚洋さんが好き。大好きな人」の方が似つかわしいと思うようになった。
 noteを書くたびに厚洋さんを思い出し、泣いた。
 狂おしい程に「彼を好きだった自分」を思い出した。
「真愛は、恋をしています。
     もう一度、厚洋さんに…。」
 周りの人達が
「本当に旦那さんの事が好きだったんだね。
 旦那さんは、幸せな人。
 きっと幸せな人生だったんだよ。」
と言ってくれる事が多くなった。

「うん。大好き❣️」
と笑顔で応えられるようにもなった。
「はい!ご馳走様!」
と言われるのが嬉しい。
 
 でも、寂しくって泣く夜もある。
 noteを書き始めて、コロナ禍も始まった。
 独りで過ごす切なさを感じている人達が多くなった。
 noteには、
 636日めから「会いたい」と見出しに書いて公開する様になった。
 700日
 731日
 767日
 853日。
 素数日に切なくなるのは何故だろう?
「割り切れない想いだよ。」
って、厚洋さんに言われた気がする。

 888日め。
 独りで寂しい。
 厚洋さんに会いたい。
 でも、叶わぬ願いがある事を理解するようになった。
 願いでは無く、
《今でも、
 厚洋さんが真愛を愛してくれている。》
実感が持てるようになった。
 燃えるような恋ではないが、音も無く包まれるフリージアの香りのような静かな愛を感じる。
「ごめん。
 暫くあなたのLINEにお便りしませんでした。
 厚ちゃん。
 そちらももうすぐ春ですね。
 沈丁花の花が香り始めました。」

 真愛も静かに厚洋さんを愛せるようになった。
 行動は、相変わらずドタバタとしているけれど…。
「落ち着けよ。
 鍵は閉めたか?電気は消したか?
 急いで事故を起こすんじゃないぞ。
 焦ったって、5分と違わないんだ。
 遅れて行け。
 ゆっくり行け。」
 ゆったりした厚洋さんの声が聞こえる。
 相変わらず、静かに愛してくれている厚洋さんの声が聞こえる。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります