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子育てパニック 語彙力

 孫が1年生に入学してから2ヶ月が経った。
 4月の終わりに遊びに来た頃にはまだまだ
1年生とも幼稚園とも境目のわからない状態だった。
 学校が楽しいと言ってくれるだけで良かった。2ヶ月が過ぎると少し心配になる。
 幼稚園は、英語専門の幼稚園だったが、ママが英語が上手なので先生とも友達とも楽しくやっていたようだ。
 しかし、区立小学校に通うようになって、英語なんかで喋って浮き上がって虐められていないか、最近の子どもように話し言葉が「やばいよね。」とか「マジで!」「ガチで?」
「うざっ!」と孫も使っているのかなと思ってしまう。
 我が家に来たときには、幼稚園の影響で英語の言葉は出るが、日本語なかなか丁寧な日本語を使っていた。
 今頃どうなっていることやら。

梔子に黒揚羽

 昔から子どもたちの語彙力の無さについては厚洋さんとよく話した。
 もちろん、真愛の語彙力も乏しいのだが、時代とともに子供たちの知っている言葉の数量質がどんどん低下しているように思われた。

「語彙力」というのは、知っている言葉の数と量に加えて、その言葉をどれだけ使いこなせるかという質も問われることである。
 厚洋さんと一緒に研修していた時は、「生活言語」などと言う言葉も使った。
 語彙力があると思考力が高まると言う。
 なぜなら、すべての学問や思考の基礎になるのが言葉だからだ。
 千葉大名誉教授・首藤先生の「言葉を育てる」というとても分かりやすい本もある。
 語彙力を磨けば、コミュニケーション能力にも大きな影響を与える。
 語彙力を磨くためには言葉を知ると同時に使うということが大切になってくる。
 今の子ども達の「やば!」「まじ!」は全て短く言いやすい言葉である。
 そして、その言葉に含まれるたくさんな感情使い勝手が良い言葉なのである。
 しかし、便利な言葉だからこそ、その使い方にばっかり偏っていると(こういう時はなんて言えばいいんだ)と考える機会が減り、語彙力は増えることにならない。
 子どもの語彙力を増やそうと思ったら「やばい。」「まじ?」なんて短い若者言葉を使わないほうがいいと思う。
 孫が5月の休みに来た時に首藤先生が作った「1年生も使える言葉辞典」を渡した。
 使っているやらどうやらわからないが、語彙を増やすためには面白い本を読みながら楽しみながら言葉と出会ってくれたら嬉しいと思う。

「語彙力」をアップするためには知らない言葉と出会ったら調べることだ。
 以前真愛が実践したのは、自分たちで辞書を作ると言うことだ。
 当時はスマホなんてなかったから、自分の知っている言葉を書き出して、五十音順に並べ、「自分の辞書」を作る。
 当然、普通の国語辞典も使う。
 しっかり使って新しい言葉をできるだけ見つけると言うことだ。
 その学級には、少々語彙力不足の子がいた。
「学力が低く、授業について来られない。」が引き継ぎの時に聞いた実態だった。
 その学習をした時に、その子が調べてきた言葉に驚いた。
 ま‐かげ【目陰】という言葉。
1 遠くを見るとき、光線を遮るために、
 手を額ひたいにかざすこと。

2 疑わしく思うような目つきをすること。
「気色ばみたる御―こそわづらはしけれ」〈源・東屋〉
 真愛は(手をかざして、まぶしい時に日陰を作ること)をしていたのに、それをまかげと言うということを知らなかった。
 やっているのに、その言葉を知らない。
 驚いた。
 私が驚く事は子どもにとって、とても嬉しいことらしい。
 M君は鼻高々に「まかげ」の言葉を自分の辞書に入れた。
 同時に真愛には忘れられない言葉になった。 
 国語大嫌いだった子が
「国語好きだよ。
 テストできないけど…。」
と言うのだ。それがとても可愛らしかった。
 そして嬉しかった。
 その子は、その学年で手放すまでは真愛のことも「大好きな先生」と言ってくれた。
 手放してからどうなったかわからない。
 今どうしているかもわからない。
 だけど思い出に残る素晴らしい言葉だった。 
 素晴らしい言葉の発見だった。

 最近の真愛の言葉もずいぶん語彙力が無くなって来ていると思う。
 大変嬉しいことにスマホを持っている。
 わからない言葉が出てくれば、必ずスマホで探してみる。
 悲しいかな、歳をとっているので一度探したこともよほどインパクトがないとすぐ忘れる。 
 使わなければ言葉を忘れてしまうのだ。

 まあ、言葉とは、そうやってたくさん生まれてたくさん消えていったんだと思う。
 言葉との出会いを楽しんで、語彙力を伸ばす事はとても素敵なことだ。
 厚洋さんに貸してもらった類語辞典が今でも重宝している。
 ただその類語辞典。
 今はスマホの中にしっかり入っているので、厚洋さんの辞書使う事は少なくなった。
 でも自分の思いをどういう言葉で言い表したら、今の自分の気持ちに近くなるのかと考える時、やはり類語や別の言葉を探したくなる。

 言葉を素晴らしく使っているのが「さだまさし」だ。
 あの人の言葉の使い方は素晴らしい。
 語彙力が豊富だと言う事は、知識も経験も豊富なのである。
 そう!記憶力も豊富な方だ。
 さだまさしのファンレターに言葉の魔術師と書いた記憶がある。
(そうか、こうやって使うのかとか、こんな表
 現の仕方があるのかと思うことが山ほどある
 そんなことを書き出すとノートが終わらない 
 ので、それはまた別の機会にする。)

 さて言語力の磨き方について
・ある方が「即効性を求めすぎない」でと言っ  
 ていた。
 言葉のストックが増えてきたら、アウトプッ
 トにも意識を向けたい。
・体験やエピソードを語る。
 日常で感じたちょっとした気づきや違和感、
 嬉しかったことや残念だったこと、
 悲しかったことや腹を立てたことを子供に話
 してもらう。
 どんな些細な体験であっても、誰かに話すこ
 とで、自分が思ったことを言語化する力が身
 に付いてくるそうだ。

 昔、
「必ず、おうちに帰ったら、子どもさんに
《今日はどうだったの?楽しい話教えて》とか
《困ったことなかった?》とか
 学校の話を聞いてください。」
 と親御さんに言ったことがある。
 母親の真愛はできないくせに、親にはそう頼む教師だったのだ。
 でもそれはとても良いことだったようだ。
 アウトプットすることによって新しい言葉を
 使うこともできるし、自分の気持ちに合った
 言葉を探すこともできる。
・例え話を考える。
 比喩や例え話は、聞き手が感覚的に理解でき
 記憶に残りやすいものである。
 ある状況を説明したいとき、何か例えられる
 ものがないか探してみることを繰り返してい
 くと、表現の幅が広がる。
「楽しいことがあったよ。」と言ったら、
「どんな時と同じくらい楽しかったの?」
 と何かに例える練習をさせると良いのだ。
 楽しいものである。

 語彙を磨こうと考える際、言葉は正しさにとらわれすぎないほうが良いと思っている。
 言葉は常に進化していくものだから、子どもが聞き慣れない言葉や新しい言葉を使っていたら、[正しく使えているかどうか]に目くじらを立てるのではなく、
「よく知ってるね。どこで覚えたの?」
と面白がる程度の気持ちで受け止めてあげる方が良いようだ。
 子どもは「使うな!」というともっと使う。 
 クレヨンしんちゃんの話し方をするなと言ったら、クラス中が野原しんのすけ君になった。
 孫が「やばい!」と使ったら、
「あら!どこで教わったの?
 お姉さんたちの言葉だよね。」
「どこのお姉さんに聞いたの?」
と言えば良いのだ。
 アウトプットが増えれば、受けてからの反応が増えてくる。
 それがポジティブな反応であれば嬉しいし励みになる。
 その反応は新たなインプットになり良い循環が回り始める。
 すると子どもはますます言葉に興味を持つ。
「語彙」は、短期間で急に磨けるものではない。
 日々地道に言葉をストックしたり、意識して言い換えてみたり、類義語を調べてみたり、何かに例えてみたりすることを通じて、磨かれていくものだだからだ。
 即効性を求めて焦るのではなく、新しい言葉との出会いを楽しむことに意識を向けながら語彙力を磨いていって欲しいと思った。

長谷寺で

 さて、長谷寺で何を仕入れて来たのだろう。
今度来た時、たくさんアウトプットをさせてあげたい。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります