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731日 やっぱり逝きたい!

 愛しい人が逝ってしまってから、731日。 
 厚洋さんの祥月命日。(三回忌法要は終了) 
 彼の眠る墓石に映り込んだ真愛は、「やっぱり、一緒に逝きたかった。」と話した。

 私は、沢山の人に支えられて、今日まで幸せに生きてきた。でも、厚洋さんに会いたい。
 やっぱり、厚洋さんの後を追って逝きたかった。着いて逝くなら、一年以内じゃないと此方に執着してしまう。 
 今死んだら、優しく常に心配してくれている息子達が悲しむことが分かる。
 また、この家や私の後始末で迷惑が掛かるだろう。そう思うと「まだ、逝けない。」
 機を逃したのだ。 

 厚洋さんと付き合い始めて、17日で結納。
 4ヶ月後に結婚。
「お前には俺よりもっといい奴がいる。」 
 付き合って9日目に言われた。
 それでも、真愛が厚洋さんから離れなかった。それを選ぶべき機会だったのだ。
 真愛の前にお付き合いした女性も多かった厚洋さん。
 その女性の中で「真愛を一番愛してる。」って言ってもらいたくて、何度も思い出しては焼き餅を焼いた。
 愛しい人の子どもを授かったのも機会だったのだ。「真愛が一番好きだよ。」の確信。

 何度も疑っては、
「真愛は、厚洋さんが好きだから…。」
「大事な俺の嫁さん。」
と髪を撫でられ、抱きしめられて確かめた。
 
 教師としても、共に同じ目的を持って、互いに尊敬し合った。
 同志としても学び続けられた事も、その時その機会を与えられていたのだ。
 
 お互いの趣味を理解し合い、お互いに自由に伸びやかに第二の人生も一緒に暮らした。 
 第二の新婚生活だった。
         穏やかな愛が流れていた。

 孫も生まれた。
 これも「愛の絆」を確認する機会だった。

 苦しくって悲しくって切ない厚洋さんの病気の発見。
「癌の告知・死の宣告」 
 これも機会だったのだ。
 
 死の床で彼が言った言葉。
「お前には俺よりもっといい奴がいたのに!」
 結婚する前から、ずっとずっと思ってるいたのだ。私の事を一番に考えていてくれたのだ。  
自分のことより私の幸せを考えてくれていたのに。私は、何故言わなかったのだろう。
「あなたが好き。」なんて言葉ではなく、
「貴方と一緒の人生以外考えられなかった。」 
「貴方のお嫁さんで幸せだった。」と。

「愛してる。
 世界中で一番愛しているのは、厚洋さん。」  
薄らいでいく意識の中で伝えるのではなく、もっともっと元気なうちから、もっともっと若い頃から伝えたかった。
 厚洋さんは、病床で何度も何度も言ってくれた。
「お前が一番。一番好き。」

 だから、二人が命がけの恋をした。
 その機会をもらったのだ。

 厚洋さんに会いたい。
 あの時、一緒に逝きたかったが、その機会をもらえなかった。
 4月10日の夢で
「一緒に行こう」と手を繋いで歩き出したのに、彼は連れていってはくれなかった。
「俺はお前の中にいる。
     一緒に前に向かって進もう。」
 もう少し生きる機会をくれた。
 若い時と同じように、一緒に同じ方向を向いて、同じ思いで「夢」を追いかけようと言われた気がした。

 いまだに、厚洋さんから沢山の機会をもらっている。
 「やっぱり、逝きたかった。」なんて言ってはいけないのかもしれない。
 2人とも彼方に逝ってしまったら、2人でやりたかった事が出来なくなる。

 厚ちゃんが、言った最後の晩餐。
「お前のお稲荷さんが食いたい。」
 
 彼に初めて食べてもらったのが、結婚なんか予想もしていなかった秋の事。
 彼の口まで運んだ「真愛のお稲荷さん」
「お前のお稲荷さんは甘いんだよな。」
って笑って食べてくれていた。あの日も秋。

 厚洋さんの祥月命日。
 いつもと同じ「お稲荷さん」を供えて、草団子も、小さな金平糖も…。
 もともとは、お酒なんか飲めない人で、あんころ餅を食べてたのにね。甘党だったのだよね。
 好きな物を供えて、「般若心経」唱えて、
また、泣きました。
 季節外れの梔子の花が、今朝、咲きました。輝くように真っ白に「貴方色に染まりたい」って咲きました。
 真愛も今でもそう思っています。

 南無洋徳望真信士。
「あと少し、頑張ってみます。
   だから、もう少し見守ってください。」
            南無正愛鈴麗信女。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります