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「今でも、キスしてる?」って、そんなのいいだろう?聞かなくったって!901日

 愛しい人が亡くなって901日。彼の入院していた病院のエントランスホールで、名前が呼ばれるのを待っていた。
 福原愛さんの報道が「コロナ禍」も「菅さんの息子」も席巻している。
 なんとも、平和というか、お節介というか、どうでもいい事を公共の電波で伝えているのだろうと呆れる。
 それを見ている自分にも呆れた。
 コメンテーターが言う。
「愛ちゃんと旦那さんは仲が良かったように
 見せていたんですよ。
 1日100回キスをしてたって、
 どっかの密着番組でやってましたよ。」
それを受けて、聞かなくてもいいのに
「あっ。そう?
 ところで、貴方は何回キスしてますか。」
応えるのが仕事なのだろう。
「結構してたんですけどね。
 最近は手も握ってませんね。」

 馬鹿な視聴者、真愛は(あほらし!)と思いながらも、その言葉をキッカケに厚洋さんと過ごした45年間を思い出し、最期の45日間の切なくて甘やかな日々を思い出した。

 今、座っているのが、その時の病院の待合室だからだ。
 この病院の三階。
 ずっとずっと奥の西の空がよく見える部屋だった。
 この一階の待合室を通って、このスマホの機種変更をしてきた。
 正面玄関の鍵が開く6時にここを通り彼の部屋に行った、5時から起きて作った朝食を抱えて…。
 正面玄関の鍵が閉まる10時にここを通り家に帰った。
 10分足らずの家までの道が遠くて、信号待ちで泣いた、「厚洋さんに会いたい」と。

 60を過ぎ老夫婦になった真愛たちの愛の形は静かだった。
 お互いの時間は侵害しない。ちょっとだけ距離をおく。
 共通の話題を楽しみ、お互いのやりたい事を応援した。
 そう、お互いの食事を作り合った。朝食は厚洋さんが。夕食とおつまみは真愛が。互いの事を思って作った。
 一緒に食事に行き、黙って肩を並べる時間を楽しみ、同じ空間にいることを楽しんだ。
 車の中の会話も途中で買ってもらうソフトクリームも嬉しかった。必ず、ソフトクリームのてっぺんは彼の一口。残りを食べるのは間接キスだった。
 外で転びそうな真愛を支えてくれた彼の手にドキドキするような初恋の様な愛に変わっていた。
「背中が痒い。」と、背中を出し、
「虫に刺された。」と、お尻を出し、
「髪をストレートにした。」と、髪の毛を撫でてもらった。
「腰が痛い。」と、マッサージをした。
「足がだるい。」と、揉んであげた。
「肩が凝った。」と、摩って,揉んで、何時間でも毎日やった。彼の身体に触れていた。
「ありがとう!」
って言って、(いい子いい子)と頭を撫でられる度に抱きついた。
 キスなんてしなくなった。
(入院して知った事だが、急激に具合が悪くなっ一年のうちに彼の歯は、だいぶ無くなり、キスしなくなったのだ。キスには、綺麗な歯が必要だったらしい。)

 そんな静愛の二人が、死を見つめながら、
「命がけの恋」をしたのが、この病院だった。
 離れて寝る寂しさに泣いた。
 離れて寝る事を嫌い、
「今、何してる?
 声が聞きたかった。」
って恋人のように電話をして来た厚洋さんだった。
「明日、うんと早く行くからね。
 愛してる。大好きだよ。お休みなさい。」
 ちょっとした行き違いがあって、真愛が駄々を捏ねたこともあって、真愛の「厚洋さんが大好き」の気持ちを分かってくれてからの4週間は、今までの「静愛」を埋めるに余りある日々だった。
 会話をする度に「キス」を
 キスの前には必ず「愛してる」を
 看護師さんの前でも、教え子の前でも、
「愛してる」の大安売りみたいだった。
 亡くなる前日の夜は、恋愛時代にも負けない燃えた二人だった。
 そして、厚洋さんは病院のベットの上で、右腕で真愛を腕枕して寝かせてくれたまま逝った。
 腕枕をしてもらい、彼の鎖骨の匂いを感じながら眠っている真愛を感じながら逝ったのだろう。
 愛は、キスの回数じゃない。
「今でもキスしてる?」
なんて聞かなくていい。
 愛の形は様々であり、秘めやかな甘やかなものだ。
 愛の形は様々であり、清らかで神々しいものでもある。
 愛の形は様々であり、その人らしさなのだ。

 厚洋さんと過ごした病院のテレビは、
 愛?ちゃんの報道をしている。
「今でも、キスしてる?」
って、
「そんなのいいだろう?
 聞かなくったって!」
と思った。


ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります