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伝えるは学び

 指揮者バーンスタインは、「教えるということは、教わる事でもある。」と仰ったそうだ。
 日本の誇る指揮者小澤征爾さんの師匠である。
 人間素晴らしい人ほど、他者から多くのことを学んでいると仰る。
 徳の高い人、人格者だからそう思えるのだと思っていたが、ひょんな事から外国籍の方に「日本文化」を伝えようとして、自分自身が学んだ(教えてもらった)事が多かった。

「教えてやるんだ。」と偉そうにしていた若き日の小学校教員・真愛は、子どもに「教えてもらった」と感謝した事が少なかったと思う。
「どうしたら理解してくれるのだろうか?」
と悩む事が多く、悪戦苦闘の毎日だった気がする。
 しかし、歳をとって、「負うた子に教えられる」事が多くなり、ゆとりを持って(待つ事)見守る事が出来るようになると、子どもたちは沢山の面白い発想をしてくれ、様々なことに気づかせてくれた。
 解が一つではない世界に誘ってくれたのだ。
 教えているようで彼等から沢山のことを教わっていた。
 どんな事も上から目線で語っては、楽しいことはない。
 真愛の場合は、特に無い力を有るように虚勢を張っていたので、面白いものは見つけられなかったのだと思う。

伝える


 過日参加した「勝浦雛祭りバスツアー」でのことだった。
 そこには、3歳・8歳のスリランカの女の子もいた。全く日本語が分からない子であり、異国の人には恐怖心すら感じていそうな顔ぶりだった。
 姉妹同士でも言葉を発せず、何だかとてもつまらなそうだった。
 見ていて切ない。
 英語力のない真愛は、身振り手振りで笑顔で接するしか残されていないが、そこは元教員、微笑むことから始め、彼女の動きたい思いを何とか叶えてあげて、少しずつ近づくことができた。
 じゃんけんゲームをしたり、きらきら星を歌ったり無けなしの英語力を駆使して遊んだ。
 すると、さよならが近づくに従って、手を繋いで遊んだり、シンハラ語で話しかけてくれたり、膝の上で居眠りをするまでになった。

 幼子から学ばせてもらったことは、
「笑顔は最高の言語」であること。
 歌を歌う事も、絵を描く事も、ゲームも言語である。
 言葉が通じなくても、伝えたい気持ちがあれば、半分ぐらいは伝わるし、80%ぐらい意思の疎通ができる。
 教えてあげよう何て考えないで、じゃんけんゲームをしたら「フィリピン」と「スリランカ」とでは、出す順番が違うことがわかった。

雛祭り

 二つ目の話だ。
 勝浦雛祭りのバスツアーが終わり、チャットリンを家まで送ることにしたが、まだ時間があるというので、AEONに行って、我が家での雛祭りの買い物をした。
 バスツアー前の「国際交流フェスタ」で着物を着せた後に、「我が家での雛祭り」にお誘いしていた。
 日本のマーケットでのお買い物はなかなか楽しそうだった。
 真愛の考えるお土産は、その土地・国の名物なのだが、最近の子達は「キットカット」「ポッキー」なんてオヤツ系が多い。
 確かに韓国旅行の帰りに「韓国海苔」を買ってきて
「日本にも売っているじゃないか!」
と厚洋さんに馬鹿にされたことがある。
「土産はいらん。
 物は残って勿体無いし、
 食い物は口に合わない。」
 そんな厚洋さんには、テレホンカードが良かったのだが、それも必要に無くなった。
 チャットリンが日本のお菓子を選んだ理由は、安く買えること、軽いこと、母国にも売っているが日本限定っていうのがあると言っていた。
「抹茶味・桜味」なんてチョコを買っていた。
 また、旅行に行くのも楽しいが、地元のマーケットに行って話をするのも面白いようだった。
「これは何?」
と尋ねられて、英語で答えられないで困った。
 学校では、野菜や果物の名前は学ぶが、魚の名前はわからない。貝の名前も教えられなかった。
 英語をもっと楽しみたかったら、もっと単語数を増やすことだと思った。

テストも変わってきているね

 ショッピングの後、厚洋さんの行きつけの「うなぎ 喜多」に行って夕食を取ることにした。
「This is my first experience eating eel.
「うなぎを食べるの初めて。」
「Have you ever eaten tempura?」
 両方とも初めてだった。
 eel.はうなぎ。
 蛤も浅蜊もClam. Clam.
 アサリはManila clamとも言うらしい。 
 シジミはShijimi.
 二枚貝は殆どclams.
 Turban shell. ってサザエのことらしい。 
 確かにターバンみたいだ。
 mussels.はムール貝
 scallop.は帆立貝
 鯖は、mackerel.
 鯵はHorse mackerel.
 鰯は、sardine.
 そうだよね。
「オイルサーディン」って言うもんね。
 お仕事で使う英語でなければ、沢山の名詞や動詞・形容詞が分かっていたら、鰻屋さんでは何とかなる。
 頭の中で英文を構築しなくても、話は何とか通じるものだ。
 どんな状況で話すかによって名詞も変わる。
 だから、英会話の番組が「今日はショッピングの会話です。」と限定する意味が分かった。

 春野菜の天ぷらの美味しさも、「旬」の話も伝えることができた。
 真愛の数少ない英語の単語で何とかなった。
「伝えたい!」と言う気持ちが、何とかしてくれるのだ。
 喋れない真愛の英語とほとんど話せない彼女の日本語の会話は、弥次喜多鎮道中のようで楽しかった。
 食事も終わり、大将からデザートのおまけが出された。
「It's a present from the master」
 可愛い小鉢にりんごと金柑のの甘煮。
そして、大きな花豆に金粉がのせられて出された。
「綺麗ですね❣️」
と写真を撮るチャットリンさん。
「Candied apples.
 Sweet boiled orange!
 違うなぁ。
 これ林檎の甘煮。
 金柑の甘煮。
 この豆?
 ねぇ、マスターこの豆何?」
「この豆?
 ああ、それ花豆だよ。」
 チャットリンさんは、嬉しそうに指差しながら
「これはりんごのあまに。
 きんかんのあまに。
 これは、この豆!」
「いやいや。違う。
 この豆はこの豆じゃない。」
喋っている自分がおかしな奴に思えて笑ってしまった。
 マスターも大笑い。
 kumquatsは金柑。
 花豆は、翻訳するとFlower beanとなるが、正しくは《Runner bean》といい、メキシコ高原原産の《ベニバナインゲン》の事なのだ。
 チャットリンさんに教えてもらった。
と言っても、数分で分かったわけではない。
 彼女が一生懸命にスマホで調べながら、日本語訳を見せながら、真愛の顔を見ながら、一つひとつ段階を踏んで伝えてくれたのだ。
 真愛も自分の知っている英単語を聞き逃さないように頑張った。
 繋げ方に多少の間違いはあったが、彼女と「この豆は、花豆というインゲン豆の種類で、
 マスターが3日がかりで美味しく煮た事」を学ぶことができた。

 人間は人間の中で磨かれ鍛えられる。
 ふんぞり返って聞く耳を持たなかったら、誰にも磨いてもらえない。
 ふんぞり返ってお山の大将で居させてもらったら、誰にも鍛えてもらえない。
 ひとりで地団駄踏んだって、真愛の心はなんの筋力も付かないのだ。

 前述の指揮者小澤征爾さんは
「歳をとったら若い人に教える事が使命」と仰ってそうだ。
 偉大な指揮者だから言えることだ。
 真愛なんか、若い人に教えることは少ない。
若い人に教わることは多いが…。
 それでいいのかもしれない。
 若い人にどんどん聞けばいい。
「面倒くさい婆さんだな!」と思われても聞こう。
 真愛が聴くことによって、その若者は教えながら何かを学んでくれているかもしれないのだ。
 真愛がやれる事は、真愛の周りにいる人を笑顔にする事が出来れば良いのだ。

 真愛は、我が家での「お雛祭り」に、厚洋さんから請け負った雑学知識を偉そうに話してしまった。
「お前!
 偉そうだな!
 話すことより聞くことだ。
 口は一つで、耳ふたつ!
 神様は聞きなさいと仰ってるんだよ!」」
と厚洋さんの声がした。
 人の話を聞くことで、沢山の学びがあり、たくさん教えてもらいちょっと素敵な自分になる。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります