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愛しい人が逝って 1039日 夏の朝風

 全室全開 全換気。
 我が家が風の通り道の中にあることを再確認。
 換気って、空気の入れ替えだけじゃなくて、気の取り込みだと思う。良い気、朝の爽やかな風を入れると、悩みとか不安とか自分の中の気も入れ換えられる。
 長年飼っていたニャンコちゃんもいなくなったので、網戸も開けて見たが、ど田舎なので虫が入ってくる。虫刺されに弱い真愛は、網戸を閉めた。

 洗濯物も干し終わって、厚洋さんの部屋の畳の上にゴロンと大の字に寝た。
 厚洋さんは58〜65歳までの8年間。
 真愛が学校に行った後、こんな風にしていたのだろうなあと想像した。
 この部屋から写真を撮っても、膝が痛い真愛は座って撮れない。ましてや、彼が元気な頃から畳に大の字に寝転がるなんてことはしなかった。
 こんな視点から、眺めたのは初めてだった。
 狭い山の中の空ですら、窓いっぱいに広がる青い光。朝露が消え去る時の爽やかな空気が身体の邪気を流してくれる。
 真愛の出かけた後の厚洋さんを思った。
 真愛の食事を作り、一緒に食べ送り出す。
 片付けをして、洗濯をしながら、掃除機をかける。洗濯を干して、コーヒーを飲みながら新聞を読んだら、もうやることはない。
 やることなければ、そりゃあ、パチンコに行くわな。後輩が「指導案をみてください。」って言われりゃ、優しくて教えたがりの厚洋さんは、「俺で良ければ見てやるぞ。」って言うよね。
 後輩の悩み相談にものるわね。嫌な噂まで流されて、真愛に泣かれて…。
 それでも、優しいから面倒見ちゃう。優しいんじゃ無くて「暇」だったのだ。
 9時から暇になるのだ。
 デアゴスティーニに何百万もかけて作っていた。道後温泉・帆船・ランボルギーニ・ハーレーダビットソン・デゴイチ・安土城・和時計・伊達政宗の甲冑・アトム・ジープ(亡くなる前にはネジを締める力も無くなっていた。)

 それだって、一日中やってられない。1週間に1セットずつしか発売しないのだから。
 息子にもらったタブレットや自分のパソコンに入れた麻雀ゲームで遊んだり、将棋をやったり、漢字クイズをやったり、ちょっとこ図書ボランティアをやったりしたけど、行きたくなるよね。
 東京に遊びに行ったり、一人でお昼を作るのは面倒臭いから様々に食べに行ったよね。
 そのまま、夕方飲んじゃって、真愛に電話。
「おい。今どこにいる?」
「ごめん。まだ、学校。」
「迎えに来られるか?」
「はい。直ぐ行きます。
 でも、ここからじゃ、結構遅くなるけど
 待ってて。」
「何、食べたい?ハンバーグか?グラタンか?」
 真っ暗な山道を飛ばして走った。嫌ではなかった。真愛は恋人と待ち合わせるように嬉しかった。
 彼はきっと悪いと思っていたんだと思う。実際、「悪いなあ。」って言ってくれたけど、
「真愛は、平気。
 送り迎えは、真愛のデートの時間だもん。」
と言った。

 朝風を孕んで膨らんだカーテンを見ながら、こんなひとりの夏こ朝を過ごしていたのかと思った。
 そして、あの頃の彼の気持ちを思いやる気持ちがなかったから、「寂しさ」が見えなかったのだと思った。
 畳の上で、ダンベル持ち上げ、腹筋運動をした後、
「おっ。赤紫蘇が大きくなったので、
     紫蘇ジュース作ってやろうか!」
「生姜の黒砂糖煮も…。梅の甘露煮も…。
 トマトの寒天ゼリーが良いらしい?」
って、真愛の健康の為にいっぱい作ってくれたんだ。
 A小学校に厚洋さんが勤務していた頃。
 真愛は、同じ地区のN小学校。
 母が亡くなって二人暮らしになった頃に、A小学校の女の先生方が真愛に言ってくれた。
「うちの学校の女の先生は、みんな、
 厚洋先生のお嫁さんになりたいって
 言ってるのよ。」
 そりゃそうだ。家事一切をやってくれる、彼は主夫だったのだ。
 その彼がいたからこそ、真愛は教員をやって来られた。子育ても出来た。
 大の字に寝た瞼が熱くなり、耳に流れた。
 朝風に涙の後は、冷たく乾いていった。
【なんて、幸せな真愛だったのだろう。】
 見えないものを見る眼を持っていなかったんだ。

 母も同じだ。
 拓も厚洋さんも真愛とみんな出掛けてひとりだったのだ。
 夏の朝、いったい何をしていたのだろう。
 写経をしたんだ。
 昔,教えていた書の道に戻ったんだ。
 きっと、長唄を口遊み、庭の花々に声を掛け、ご近所さんと話をしたんだ。
 午後になれば、
「さて、孫が帰って来たら,オヤツに何を食べさ 
 せようか?」
「厚洋さんにはおつまみに糠漬けを。」
「真愛が帰って来たら、夕食の一品を。」
と考えてくれていたのだろう。
 本当に、何も見えていなかったなあ。
 母がお鍋を焦がした見えている現実だけ見て、
「もう、火を使わないで!」と怒鳴ってしまった。あの時、
「ありがとう。食べさせたかったんだね。
 食べたかったな。残念。
 今度は、一緒の時に作ってね。」
って、なぜ言えなかったのだろう。

 風を孕んだカーテンが静かに動き、ぼたぼた落ちる涙がスースーした。
 さっき、術後の目薬をさしたばかりなのに、みんな流してしまった。
 後で、人の思いを知った時、涙は流せても後悔を流し去ることは出来ない。
 もう、「ごめんなさい。」と伝えられなくなった分、誰かに優しくしなくっちゃ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります