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国際交流

 明日は日本語教室でネパールの子にテキストを使って「初級の日本語」の学習の手伝いをする。 
 教室に通って来る人達はみんな勉強熱心だ。
真愛の担当しているC君もとても熱心で、片言の日本語で理解できるまで質問する。
 「学ぶ」姿に真愛の方が学ばせてもらう事が多い。外国の方と接する事で「日本」を客観的に見る事ができる。
 学歴コンプレックスを持ち、努力しない真愛は、語学(英語力)がゼロ。しかし、人間好きなので、若い頃から外人さんに会うと自分から話しかけた。
 厚洋さんは釧路という港町で暮らしていたので、アルバイトに通訳をした事があると言っていた。恥ずかしがり屋の彼は、日本語で喋るより楽だったと言う。だから、洋画は字幕無しで見られる。真愛は、字幕を読む方が大変で長台詞の時は良いシーンを見逃して彼に笑われていた。
 そんな二人が喜んで友達になったのは、学校に来てくれたALTだった。真愛がまず学校でお友達になりお付き合いを始め、厚洋さんの行きつけのお寿司屋さんで食事をしたり、我が町の史跡を案内したり、お祭りに浴衣を着て行ったりと小さな小さな国際交流を楽しんだ。
 帰りの車でいつも話した事は、
「日本人の偏見・差別視。平等感とあるがままの人格を認める心」を子供達に持たせなければならない事、そして、自分達ができる事を何かやりたいと言った。
 ボランティアをやりたかった厚洋さんは退職して時間のゆとりは出来たが身体がついていけなかった。真愛が退職した時は、厚洋さんを置いてボランティア活動には行けなかった。
 彼が亡くなった後暫くして、生き直す事が出来る様になった真愛は、「厚洋さんがやりたかった事をやりたい。」と考えるようになった。
 色々なボランティア活動に参加する様になったのだ。
 その一つが「国際交流協会」に登録して、自分のの出来る事(日本文化・着付け・お茶・お琴etcの伝達のお手伝い)を役立ててみたいと言う思いだった。

 一番最初の活動が日台交流で、台湾の高校生に浴衣を着せる事だった。 
 厚洋さんの作った「伊達政宗の甲冑」と真愛の作った浴衣を着た「市松人形」を背景に撮影会も盛り上がり、厚洋さんが応援してくれていると勝手に思った。
 次は、故郷祭りの浴衣の着付け。外国の方が日本の文化を楽しんでくれている姿は本当に嬉しいものだった。

 その後、マレーシアからの子供さんをホームステイで引き受けた。
 以前子供たちと楽しんでいた日本文化の体験学習の材料が揃っていたので、我が家は、全て日本文化体験場となった。

 マレーシア語は分からない。英語も片言の真愛の「お・も・て・な・し」にとても喜んでくれて、別れる時に「また来ます。ママ」と泣かれた時には、厚洋さんと一緒に「ダネットのサヨナラ」をした時の事を思い出し、「厚ちゃん、やって良かったよ。」と伝えられた。
 国際交流協会のフェスティバルでも着付けを手伝えた。今年度から、週一で「日本文化体験」教室でもやろうかと思っていた矢先の
コロナ禍だった。
 

 今は、C君に土曜日の日本語教室で学びのお手伝いをしているだけだ。
 日本語を教えながら、「己がいかに日本語を体系的に学んでなかったか!」と痛感している。
 はやくコロナ禍が終息して、C君に日本文化の面白さを体験させてあげたいと思っている。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります