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子育てパニック 夢の中のトイレ

 孫たちが七五三のお参りで我が家に来る。コロナ禍で1年以上会っていない。
 しかし、LINE動画で沢山の様子が送られてくるので、2人ともずいぶん大きくなっているのが分かる。
 今回は、まだ感染症が終息したわけではないし、孫達はまだワクチンを接種していないので
「お泊まり」は無しなのだが、(ひょっとしたら、気が変わって泊まるかも…。)なんて淡い期待を持ってしまう。
 一応、お布団を干して、寒くても大丈夫なように毛布もクリーニング袋から出した。
 シーツのケースの中から懐かしいものが出てきた。
 厚洋さんが入院中に、たった一晩の一時帰宅用に使った防水シーツが出てきた。
 厚洋さんの切ない思い出よりも、そのシーツを捨てずに残そうと思った理由を思い出した。
 孫が泊まりに来た時に、オネショを気にしていたら使おうと思ったのだ。
 予想通り、コロナ第一波後の6月頃のお泊まりで使った。
 だが、その時はまだ夜はオムツをしていたので、漏れを心配しての防水シーツ使いだった。
 その孫も4歳半になった。
 下の孫が3歳。

 水性ペンでネイルアートショップごっこを始めるほどに育った。
 オムツは完全に取れたのだろう。

 かつて、教員をやっている時に、小学校に入学してもおむつが取れない子がいた。頭の良い子で優しく思いやりもあり、我々を困らせる事が無かったが、トイレの時だけが悩みだった。
 小さな学校なので、全校で活動する。
 真愛の担任していた5・6年生は、7人だった。
 小さい学校の児童は、兄弟や姉妹のように生活をする。6年生ともなると、お母さん、お父さんのように下級生を守る気持ちが強くなる。
 だから、「彼の生活習慣」については、薄々気づいていたが、絶対に触れなかった。
 更に、彼の自尊意識を傷つけないように、彼が失敗しないように気を配る。
 6年生は「神対応」をしてくれた。
 だが、本人が苦しんだ。自分の生活習慣を改善したいのだが、「精神的ストレス」からか、「習慣」だからかオムツがないと不安なのだ。

 歳を取り、クシャミをしたら失禁しちゃった時の驚きと悲しみと同じなのかもしれない。
 いや、その後の遠出の時や過激なスポーツをする時に生理用ナップキンを付けて安心感を味わうと、それが癖になる。
 それが「新しい生活習慣」になった時の気持ちなのだろう。
 真愛の場合は、退職してから水泳をし、畑仕事をし、厚洋さんに言われて運動もしていたので、「骨盤底筋」がしっかりしているらしい。
 膀胱にしっかり溜める力もあるみたいで、あまりお世話にならない。
(若い頃から、?運動が良かったとするとなら、
          厚洋さんに感謝である。)
 しかし、これから辿る道でもある。

 話を戻す。
 オムツが取れなくなるのは、外す時期に保育者が、うまく誘導してあげられなかった事が多い。
 手が足らず、オムツをさせておく方が楽だったとか、寒い時期と外す時期が重なり、翌シーズンになったら、尿意を教えなくなったとかだ。
 今のオムツは、真愛が息子を育てた頃と違い、とても快適にできている。
 濡れてもサラサラなのだ。
 いつでも、便器がくっついているので
「尿意」「排尿」「気持ち悪さ」「泣く」なんて活動がないのだ。
 子育てが楽になって来た分だけ、子どもが身につけなければならない「行動」や「感情」が育てられない気もする。

 元気に遊んだ日は、うんと疲れる。沢山の水も飲む。当然夜は、爆睡である。

 真愛は、夜尿症がひどかった。ちゃんとオムツは外れたが、オネショで母を困らせた。
 小さい時は覚えていないが、小学校2・3年年生頃が酷かった気がする。
 父に会えなくなり、母・兄と家畜診療所の用務員室に引っ越し、子供心にも未来への不安を抱えたのだと思う。
 その頃にはオネショパッドなんてない。
 ひたすらオネショをしないことを願うだけだ。
 しかし、オネショをするまでは、気持ちよく寝るのだ。
 よく見た夢は、トイレに行く夢だった。
 内容は覚えていないが、必ず夢の中で
「トイレに行きたい。」と思うのは覚えている。そして、トイレを探す夢が多い。
 その時に、起きれば「失敗しない。」のだが、起きずに夢の中で、「気持ち良く」放尿してしまうのだ。今でも覚えているが、その時の気持ち良さは得も言われぬものだった。
 冬なんて、暖かなものが流れ出ると最高の気分だった。
 しかし、その数秒後に「ハッ」として目覚め
「やちゃった!」
と思うのだ。
 せんべい布団は、ビッシャリと濡れる。
 オネショ癖の真愛は、母を起こすこともなく、自分で夜着と下技を取り替え、新聞紙を敷いてその上に寝た。
 自分の体温でオネショ布団を乾かす事になる。
 面白いことに、オネショをして直ぐに起きて処理をするので、地図は千葉県地図ぐらいで収まる。脱いだ夜着で、即、拭いてから新聞紙を敷くので、布団綿まで浸み込まなかった。
 せんべいの様に薄く硬くなった綿だったので、浸み込まなかったのかもしれない。不幸中の幸いである。
 寒い冬の明け方にやらかしてしまうと、処理後の新聞紙の上に寝る時が切なかった。
 ガサガサと音はするわ、新聞のゴワゴワが痛いわ、じわじわと湿り気が伝わって来るわ、「もう水を飲まないぞ。」と思いながら眠りに落ちた。
 最後のオネショは、小学校6年生の春だった。
 こんなに長いのは、病的だったのかもしれない。{資料を読むと「病気」と出てくる。)
 その後も、夢の中でトイレに行きたくなる事があったが、必ず「起きる」事ができた。

 オネショは、子どもやしつけのせいではないそうだ。オネショは病気なのだ。
「夜尿症」である。
 子どもの夜尿症は膀胱の容量が小さい。
 夜間の尿量が多い。
 睡眠中に尿意で目を覚ます事ができない。etc
が、原因だそうだ。
(まさしく、真愛の夢の中のトイレである。)

🟠家庭でできる対策は、
 夕食後から寝るまでは2時間ほど空ける。
 寝る2時間前には水分を取らない様にする。
 寝る前に排尿をする。
 早寝早起き・規則正しい生活リズムに
 気をつける。
🟠大切なのは「焦らず」「怒らず」「起こさず」
 親は、オネショの処理でイライラするかもしれ
 ないが、子どもは親のイライラや焦りを敏感に
 感じ、かえって悪循環を起こす。
 まして、姉妹で比べるなんでもっての外。
「本人は悪かったと思っているんです。
 でも、夢のトイレで用を…。なんです。」
🟠親が前向きに
 本人が落ち込んでいたら励ます。
 オネショをしなかったら褒める。
 内緒でオネショをしなかった日に丸を付けてみ
 るのも良い。
 どんな事をした日だったか原因が掴めるかも?
 そして、長くしなかった日が続いたら、褒めて
 あげる。
 自分でも、
「こんな生活をしてればオネショをしないだ。」 
 って自信になる。
🟠オムツを使って、「起こさない。」
 寝具や下着が濡れてしまう事が気になる様であ
 れば、就寝中にオムツをするのも良い手だ。
(今は、パンツ式のおむつがあり、幸せだと思
 う。真愛の時は、オムツは手拭いのような綿。
 オムツを使用してもオネショは地図に変化し
 た。)
 寝ている時に自分で尿意を認識できる事が重要
 なので、就寝中に親が起こすのも良くない。
 起こす時期が浅い眠りでなければ、夢の中で
 トイレに行っているのと同じなのである。
🟠なかなか改善しなかったら
 病気が原因であることもある。
 小児科、小児泌尿器科に相談するべきだ。
 生活指導的な治療をすることで、治癒率を数倍
 も高めると聞く。 

 オネショは改善できる。必ず!
 本人が一番切ない思いをしているのだから、
「焦らず」「怒らず」沢山褒めてやってほしい。
 小学生になっても、真愛の様に地図を描く子がいたら、ちょっと真愛ちゃんの話をしてほしい。
 ひょっとすると
「ウン。トイレを見つけるんだ。
 気持ち良くするとオネショになってる。」
って経験を話してくれるかもしれない。
 そうしたら、
「真愛ちゃんはね…。」
と話してやってほしい。
 夢の中にトイレが出てくるって、
「それ、起きろって合図なんだよ。」
 真っ赤な山茶花も咲いて、随分と寒くなって来た。寒いと起きるのが面倒臭い。
 合図があっても、布団の中でギリギリまで我慢しちゃうのは、骨盤底筋が丈夫な人でなければやってはいけない。
 くれぐれも、保育に携わる人は「オネショ」を怒ってはいけない。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります