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霾る(つちふる)
こんなの書いたって読む人いないね。
土降る。
黄砂がタクラマカン砂漠やゴビ砂漠から飛んで飛んで、我が家まで来たのだ。
季語になるくらいだから昔からこの時期にはやって来ていたのだろう。
中国では、紀元前(BC)1150年ごろに「塵雨」と呼ばれていたそうだ。
「雨土」「雨砂」「土霾」「黄霧」とも言うそうだが、「黄砂」が一番分かる。
朝鮮では、『三国史記』トォーウは、怒った神様が雨や雪の代わりに降らせたものと信じられていたらしい。644年ごろには黄砂が混ざったと見られる赤い雪が降った。(日本の大化改新あたりだね。)こりゃ、天変地異・末世を迎えたと思っただろう。
日本では、『吾妻鏡』 文永3年2月1日
「晩に泥の混じる雨降る。希代の怪異なり。」と書かれているそうだ。
天平14年(742年)にも陸奥国で「丹雪」(赤い雪)が降ったとされる。
1477年にも紅雪が降ったとの記録。
書物に「泥雨」「紅雪」「黄雪」など、日本にも黄砂に関する記述がある。
俳句の季語としては「霾(つちふる・ばい)」「霾曇(よなぐもり)などだ。
調べていくうちに、人間が誕生する前から、大気に乗って砂漠の土が運ばれる現象はあったようだ。
人間が「滅多にない事」だから驚いたのであって、地球規模で考えたらそんなことは、当たり前のことなのだ。
今の新型コロナウィルスだって同じなのではないか。生物が誕生した頃から、「感染症」はあったのだ。
エジプトの王様は天然痘で亡くなった。
奈良の大仏は、痘瘡(もがさ)天然痘の終息のために仏様にお縋りしたのだ。
記録にはないが、太古の昔、恐竜の中に感染症が蔓延して死んでいったものがいたのではないだろうか。
増えすぎたものが自然淘汰されるように、ある一種だけが永遠に栄えることはないのだと思う。
壮大な時の流れのなかで、
塵にもならない人間
その中の77億分の1
私が「コロナの馬鹿野郎」って叫んでも
どうなることでもない。
今を受け入れて生きるしかない。
と、考えると俳人が黄砂を
「霾(つちふる)」と季語として使った風流人の素晴らしさと生き方に感動だ。
感染症は、風流にはならないが、外出自粛で小さな事に幸せを感じられるようになった真愛にも「えらい!」と言ってやりたい。
自尊感情だね。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります