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寒の月・春浅き朔・そして三日月をとってやろう!

 これを撮影したのは、寒中である。
 「毎日、1記事公開」を目指しているので、下書きに保存しておいたら、機を逃してしまった。
 月の美しさは、「秋」だ。
と書いた事があるが、「寒中の望月」も素晴らしいではないか!
 与謝蕪村の句に
 「月天心 貧しき町を 通りけり」
 という句がある。

 月が、空の真ん中(天心)に輝いている貧しい町を、いま私は通り過ぎようとしている」
 という意味だ。
 己の影は青白い地面に黒く短く落ちているのだろう。「月天心」から冷たい光を放っている冬の月を想像することはできる。
「蕪村も山頭火の後ろ姿に似ているね。」
 ちょうど、「木枯し紋次郎」って時代劇が流行っていた頃、厚洋さんに教えてもらった。
「寒の月には、哲学がある。」って話を書こうとしたのだが…。

 その続きを書いているのは、「節分」も「立春」も「春一番」も過ぎてしまった2月中旬。
 2021.2.12.02。「並んだね!」
 2021年2月12日午前2時。

 2月12日の月は、「朔」新月である。
 あるんだけど見えないだけの月。

 明後日あたりから、白い三日月が見えるようになるのだろう。は

 近景にスカイツリー。
 遠景に富士山。
 見上げると細い眉月。
        (見つけられましたか?)
 これは、東京からの写真。

 この1日後。
 山の中の我が家からは、枯れた枝に引っ掛かったような三日月が見える。
 
  松谷みよ子さんの
      「ら三日月」
         という詩を思い出す。

いかついくちばしを胸ふかくさしいれ
くらい森をみはりながら
ふくろうは かんがえる

生まれてくる子には
赤い三日月をとってやろう
上にのってゆうらりゆれたり
ころがしたり
くわえたりしてあそぶだろう

森がそこだけ
ぼうっと ひかるだろう
きのこなんかも ひかるだろう

やがて父親となるふくろうの
いかついくちばしが つぶやいている

 厚洋さんが教えてくれた詩だ。
 昨夜(ゆうべ)
『ゴロスケ ホーホー 
        ゴロスケホーホー』
と言う声がした。

 きっと 暗い森を見張ってくれているのだろう。
 そして、つぶやいているのかもしれない。
 
 拓が産まれてから教えてくれた詩だった。
 それまでは、「口下手で人付き合いが悪い・協調性が無い・偉そうに見える」と厚洋さんの評判はよろしくなかった。
(それでも、真愛は大好きだった。)
 そんな厚洋さんが、拓(息子)が生まれて
“子煩悩で・親バカ・家ではよく喋る”
パパになった。
 真愛には、この詩の「ふくろう」が厚洋さんに思えた。
 「赤い三日月をとってやろう」
 「赤い三日月」がいい。きっとオレンジ色がかった赤い月。森の中もぼうと明るくなるだろう。
 「上にのってゆうらりゆれたり
  ころがしたり
  くわえたりしてあそぶだろう」
いかついオスなのに、
森を見張っているオスなのに、
子どもが遊ぶ姿を想像して
「ムフフ…。」
って、厳つい嘴が緩んじゃいそう。
厚洋さんそっくりだと思った。
 
 生まれて来る子どもに
「三日月」をとってやったら
 「森がそこだけ
     ぼうっと ひかるだろう
  きのこなんかも ひかるだろう」
 宝物なのだ。月がではなく子どもが…。
 生まれて来る子のために、こんなに考えてくれていたのだと思うと堪らなく嬉しかった。
 
 その後、拓が10歳のときに、ここ(山の中の我が家)に越して来て、赤い三日月を見た時、2人は同時に呟いた。
「赤い三日月をとってやろう。」
厚洋さんが
 「上にのってゆうらりゆれたり
           ころがしたり
      くわえたりしてあそぶだろう」
と繋げてくれた。
真愛は、
 「森がそこだけ
     ぼうっと ひかるだろう
  きのこなんかも ひかるだろう」
って言って笑ったのを思い出す。

 月を見ても、花を見ても、同じ事を思い出し、同じ詩を口ずさみ、同じ思いになれた2人だったから、片方がいなくなって、自分が半分なくなってしまった。
 
 月には、不思議な力があるらしい。
 亡くなった人に合わせてくれるとか。
 人と人が入れ替わってしまうとか。
 人を恋に落とすとか。
 人格が変わるとか。
 
 確かに不思議だ。
 泣きたくても涙が出なくなる。
     悲しく無いのに涙が出る。

 弥生の夜桜の下には、
  厚洋さんが現れて、
  新しい詩を教えてくれそうな気がする。
 
 三日月が膨らんで、望みが満ちて、朔になる
また、
 三日月から繰り返される永遠の時の流れ
 
 赤い三日月を見たら
「とってちょうだい」
        と言おう。
「あなたは、そこにいるんでしょう?
 三日月に月の光の糸を垂らし
 2人で並んで乗りましょう。
 黙っていてもいいんです。
 見えなくてもいいんです。
 あなたの横に座りたいのです。」

 気づかぬうちに
    涙が溢れた。
 
      



 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります