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MAAちゃんパニック 画像削除
スマホの中の写真データが重くなり過ぎるので、削除を始めた。
このスマホを使い始めたのが
2018年の8月12日。
入院中の厚洋さんの携帯が古くなり、
「携帯を変えて来てくれ!」
と頼まれて、auショップに行ったが、本人ではないので機種変更しか出来ないと言われ、全く未知のこのスマホになった。
厚洋さんは
「重い。分からん!
折れるいつもの奴がいい!
返して来い。」
なんて無理な事を言った。
仕方がなく、真愛名義のガラケイをもう一台購入し厚洋さんに渡した。
しかし、そのガラケイも上手く使えず
「妻に電話をしたいのだが、
どうしたらいいんだ?」
と毎晩、看護師さんを困らせていたらしい。
携帯も厚洋さんも歳をとっていたのだ。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89148572/picture_pc_a9dbd47f6718d8dcc4e5bd20625f3bb9.jpg?width=800)
使えないスマホには、厚洋さんの個人情報も残されたまま、真愛の手元に来た。
それで色々なことが起こったのだ。
(拙著「白い花にそえて」に詳しく書いてある
ので宜しければお読みください。
Kindleでまだ買えるかな?)
そんな出来事がなければ、平々凡々の老夫婦の最期の別れだったろうが、このスマホのおかげで、真愛は「命懸けの恋」をし、愛別離苦の悲しみの海に投げ出されるわけだ。
今となっては、良かったことだと思う。
さて、話を戻す。
4年も使っていると、写真が溜まる。
元々写真を撮ることが好きな真愛は、自分のガラケイでも、EOS KISSカメラでも撮っていたが、スマホでの撮影がこんなに楽なものだとは思わなかった。
残念なことに使い始めの厚洋さんの闘病生活の記録が少ないのは、また使い始めで、連続ジッター音をさせたり、LIVE設定・自撮りだったりと上手に使えなかったのだ。
神様がいるとしたら、悲しい思い出を残さないために、そこだけの記録を取らせなかったのかもしれない。
息子に使い方を教えてもらい。
LINEを入れ、翌年にはnoteを始めた。
すると、見出しの写真をつけるために、驚くほどの写真を撮るようになった。
その全ての写真が捨てられないのだ。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89165341/picture_pc_33f38bed4dee5b7b630a81331a4e59b5.jpg?width=800)
アルバムには「入院」と題して、たった1ヶ月の写真が残っている。
厚洋さんが逝ってしまって、思い出の海の中を漂いながら、たくさんの後悔をした。
携帯に入っていた「彼の留守電の声」を機種変更と一緒に消してしまったこと。
ボイスレコーダーに吹き込んでいた「あちらの厚洋さんへのメッセージ」も操作がわからず削除してしまい、復元に数十万もかかるというので諦めた。
若い頃の厚洋さんは、真愛や息子の写真を沢山撮ってくれたが、一緒に撮ることが少なかった。
2人が退職してからは、一緒に出かけることがあっても写真など撮らなかった。
真愛のホームページ用に彼が撮ってくれていた写真は多い。
二人で一緒に撮った写真が無いことが、堪らなく悲しかった。
だから、note用の写真には「昔のアルバムの写真」を写して転用する。そんな使うための写真なのだから、使ったら削除すればいいものを、後生大事に残してある。
(また、何かのテーマで書いた時に使える
かもしれない。)
ほとんどない事なのに削除できない。
アナログ写真で残っているのに削除できない。
なんだか、誰にも言えない真愛の情けない思いを書いているようで、お読みの方には申し訳ない。
あなたは、スマホの写真はどうしてますか?
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89166418/picture_pc_53343b1a3e2a4124fb408e53d666135b.jpg?width=800)
この写真は、ホームページにも乗せてのだから、Home pageの中からも探せる。
(データーを軽くしているので、画像は荒い)
その元は、パソコンのピクチャーに保存されているので、必要ならばそこから取り出せばいいのだが、スマホの中に入れたまま削除できない。
このnoteにも載せているので、失う事はないのに…。
そう言えば、このnoteに写真をアップするための写真もたくさん保存されている。使ったのなら削除すればいいのに、何故削除しないのだろう。
昔から、ついついやってしまって
「こんなに取っておいて、
いつ使うんだ?
捨てろよ。
母さんとそっくりだ!」
と言われた包装紙やリボンや綺麗な袋を捨てられない性格は、写真にも影響しているのだろう。
いつか使える。
素敵なもの。
未練があるのだ。
こうやって、高齢者の家には不要なものが増えていくのだが、生きていると
(あら!取って置いて良かったわ!)なんてこともあるのだ。捨てられない性格なのだ。
こうやって書いて来て、ようやく50枚分を削除した。
三年日記の去年の蘭を読んだら、500枚・半日かかって削除したと書いてあった。
写真の削除って、
「思いで削除」なんだと思う。
どうでも良い写真は簡単に消せる。
失敗したり、嫌いな写真も即座に消せる。
嫌いな人が写っていたら、破いて捨てた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89166973/picture_pc_93055fcf31b7c72893c79b29c44316d2.png?width=800)
今の真愛は、厚洋さんと共に生きてきた思い出を反芻して生きているのだから、写真を削除できなくていいのだと思った。
人に馬鹿にされても、自分のやりたい事が出来るのが「一人暮らし」「独居老人の完全自由」である。
しかし、スマホの写真保存容量が無くなるのが不安だ。
高額をかけてスマホの機種変更をすれば、もっと保存できるのだろうが、おばあさんは、ケチりながら生活をしているので、ギリギリまでなんとか使いたい。
こんなに写真を楽に撮れる時代になって、みんなどうしているのだろう。
削除した画像を取り戻したいなんて思うことはないのだろうか。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります