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穀雨

 今日も雨。傘がない。
 井上陽水さんの歌だ。
 厚洋さんが47年前にもよく歌ってくれた。
 本当によく雨が降る。
 毎日のように降っている。

 ラジオで「今日は穀雨です。」と言っていた。
 そうかぁ。だからだ。
 昨日、一昨日コメリに行ったら、トマトやきゅうりの苗が売っていた。
 買わなくちゃとよく見たら、3月26日発売と書いてあった。1ヶ月近く売れ残っている苗ということだが、なかなか元気な苗だった。
 穀雨には、苗はすでに植えられていなければならない状態なのだ。
 厚洋さんが元気だった頃は、彼の農事ごよみで畑仕事をしていたのでなんの心配もなかった。
 やっぱり真愛だけになると知識とやる気が不足する。
【穀雨】
 穀雨とは「雨降って百穀を潤す」という言葉が語源だそうだ。
「春の柔らかな雨に農作物が潤う」という意味だという。
 二十四節気の6番目で、春を6つに分けたうちの最後の節気。これが終われば「立夏」となり「夏」に入るという。暑くなるんだ。
 毎年4月20日〜5月4日頃が「穀雨」。
 種まきや田植えを始める目安とされ、この頃に降る柔らかく温かな春の雨は、田畑を潤し穀物を成長させるのだ。

遠くの方の水田にも水が張られた

 確かに、昨日の晴れ間に草取りをしようと庭に出たら、まあ元気なスギナやハルジオンや華鬘草・カラスノエンドウ・が蔓延って晴れ間だけでは間に合わないほど伸びていた。

「世の中は三日見ぬ間の桜哉」というが、今年の桜は3月中旬から4月上旬まで1ヶ月近く咲いていた。
(寒い日が続いたり、強い風が吹かなかったこともある。)

 世の中は、本当に桜が散るように変化している。
 コロナウィルスの変異株なんてその最たるものだ。
 いや、コロナ禍よりもコロコロ変わる情報に何が本当かわからなくなったウクライナとロシアの関係…。
 ど田舎に住んでいる真愛のところにも影響が出始めている。
 しかし、季節は巡り「春の終わり」を迎えて
「人の世は三日見ぬ間に伸び放題」
の春の草である。
 これで、立夏を過ぎるともっと伸びるので、
「現世(うつしよ)も一晩経てば草庵」
である。

穀雨は杉林もけむる

「穀雨」の日に思い出した井上陽水さんの曲、
「傘がない」である。君の町に行かなくちゃ、雨にぬれても、行かなくちゃと思える愛しい人がいるのは幸せだよなあ。

雨は静かに降っている

 1972年ごろ、厚洋さんが番傘をさして学校へ行っていた頃だ。
 真愛は教育実習生で、厚洋さんと同じ学校に雨ガッパを着て自転車で通った。
 朝からパンツの中までびっしょり濡れて、靴下を履いているのに、渡り廊下には足の指の跡が付いた。
 真愛を心配してくれて、真っ白い手拭いをおさげ頭の真愛の頭の上にポンッと置いて、無愛想に
「おい。風邪ひくぞ。」
って言った。
 怖そうな先生だけど優しいんだと思ったし、お兄ちゃんみたいだとも思った記憶がある。
 その3年後に結婚した。
 それも「穀雨」の頃、4月29日なのである。
 やっぱりよく雨が降っていた。
 結婚式では来賓の方々が揃って
「雨降って地固まると申しますが…。」
と、頭に付けた。
 厚洋さんと真愛は、それはそれは固まらない泥だったようだ。
 2人で休んでずっと家にいたかった頃だ。
 だから、毎晩のように、晩酌をしながら
♫君に会いに行かなくちゃ♪
と、歌ってくれた歌詞が嬉しかった。

 何度も、何年も過ぎて来た「穀雨」の頃なのに、彼が逝って1312日めの今日、「傘がない」と「穀雨」から厚洋さんからのメッセージをもらった気がする。
「つめたい雨が 今日は心に浸みる
 君の事以外は考えられなくなる
 それはいい事だろう?」
「うんうん。いい事。とっても嬉しい事。
 今の真愛も厚洋さん以外のことは考えられない
 それは、とっても幸せなことだよね。
 まだ、君を愛してる💕って事。」

 最近は「都会」だけではなく、どこでも。
 若者だけではなく多くの人が、自死している。殺し合っている者さえも多い。

 当時も様々なことがあり、世の中は不安だらけだった。しかし、「君以外のことは考えられない。」状態の恋は、素敵だった。
 今でも、厚洋さんに「恋」をしている真愛は、能天気な毎日ポカポカ陽気の「幸せ者」なのだと思う。
 さあ、このnoteを開いちゃったあなた。
 恋をしよう。
 恋をしたら、冷たい雨の中だって、濡れて歩けるようになる。
 今日は「穀雨」。
 結構、冷たい雨が降っている。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります