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子育てパニック 自己肯定感

 孫はコロナ禍で、登園を見合わせている。
 緊急事態宣言が出されて、東京から他県には行けない。県境の保育園に行く事を自粛しているのだ。
 この日は、パパとオセロをしたと言う。
「初めて、最後まで遊べました。」
とLINEが届いた。
 今までは、途中で「やーめた」と考えられなくなったのだろう。ひょっとすると負けるのが分かって居たのかもしれない。

 翌日には、ママが公園で花の冠とネックレスを作ってくれたらしく
「まあちゃんに送る写真のポーズ」
 なんだか真愛にためにポーズと言ったら、
緊張したらしい。
 可愛い孫たちである。
 また、両親ともにコロナ対策をしながらも子供たちを一生懸命に育てているのを感じる。
 そんな中、「コロナ禍での教育」に不安を感じる話を読んだ。
 ー 本当の自己肯定感は社会の中で ー
 当然のことだ。
 あるがままの自分で良いのだと感じるのは、他者がいて、比べるものがあった中で
「ソーシャルスキル」「セルフコントロール」
を身につけていくのだ。
 他者がいなければ、「自分の良い部分」も「悪い部分」も気づけない。
 自分が分からず「あるがまま」というのは、単なる我儘でしかないと思う。
 その自己肯定感が育めない状態がコロナ禍の教育現場だという。
 孫のように登園できなくなった子どもが増えて来ている。

 いや、昨年の新学期は、全国の学校が休校になった。
 子どもたちの「学びに向かう力」が2極されているという。
「学びに向かう力・人間性」とは、
・主体的に学習に取り組む態度
・自己の感情や行動を統制する能力
・多様性を尊重する態度
・優しさや思いやり 等々
 要するに、子どもの「学びたい」「知りたい」「成長したい」という意欲や「人を思いやる心」が、昨年の臨時休校で2種類に分断されたというのだ。
 この「学びに向かう力」を持続できた子どもと、持続する事が難しかった子どもの二極化だそうだ。
 学校が休みになっても、「〜がしたい。」思いを満たしてやろうとする人が側にいたかどうかだ。
 コロナ禍でも毎日働きにいかなければならなかった親御さんも多かったことだろう。
 子ども一人で家にいて、ゲームしかしなかっり、昼食すら食べられなかった低学年の子もいたと思う。
 幼い子を置いても働きに出なければならない親御さんの思いを考えると切ない。
 もちろん、そんな子どもたちが出ないような社会を作らなければならないことは分かるが、何もできなかった自分がいた。

 あの時、テレビでも真愛の周りでも「オンライン」が叫ばれた。「テレワーク」になった息子はいまだに「テレワーク」だ。
 しかし、「オンライン」「テレワーク」の環境が整っているのは、中流社会である。

 子どもや家庭が社会から孤立した状態に置かれていて、「学びに向かう力」を身につけることなどできない。
 対面式の授業には、教師が「学ぶ目的」を伝えたり、子ども同士が触発しあって「学習意欲」を掻き立てられるのだ。
 コロナ禍ではなかったが、厚洋さんが教職に就いていた時、常に言ったことは、
「子どもに学ぶ楽しさを伝えること。
 成長した自分を実感させること。
だった。
 真愛も同じ方向を向いて教員をしてきた。
 それができなくなったとき、子どもたちは
「学校が楽しくなくなる」と思ったからだ。

 更に、昨年は、強制的に「学校に来るな!」だったのだ。
「友達とも会えず、人間関係も築けない。」
「行っても、もう勉強についていけない、
 上手くいかないだろうと思う。」
「朝寝坊も続き、生活習慣が乱れる。」
 大人ですら、ストレスを抱えた1年間だったのに…。
 今年もである。
 最近の子は「弱い」と言われる。
 しかし、今の子供は人からどう見られるかと考え過ぎている気がする。
 よく見せたいから、我慢を過ぎていたり、他者を傷つける事を恐れているのではないだろうか。(幼い頃いじめにあっていた真愛自身の考え方に似ている気もする。)
 多くのストレスを溜め、他者との距離を置いているのかもしれない。
 親御さんも真面目なのだと思う。
 我が子の不登校を自分の責任だと捉え過ぎ、
誰かに相談したり助けを求めたりしなくなっている。
 TVで放映される問題を起こした親ばかりが強調されるのはおかしな事だ。
 誰かを助けようとする気持ちはあるが、人から「助けられる」事は遠慮がちだという。
(真愛の母親がそうだった。遠慮がちというより「助けられる事は恥ずかしい事」と教わった。)
「被援助志向性が低い」という。
 これは、自己肯定感が育まれていない事が原因だという。
 「人と話さず」
 「人と会わず」
 「人と触れず」
 「笑いもせず」
 「泣きもせず」
 「怒りもせず」
ー 何もせず ー
 この先、どんな子どもたちが育つのだろう。
 自己肯定感が高ければ、物事をプラスに捉え易い。
 誰かに助けてもらった時、肯定感の低い人は「私は、弱くてダメな存在だと思われている
 んだろうなあ。
 私を、助けるなんて面倒だろう。
 嫌われたなあ。」
とマイナス思考をしてしまう。
 プラスの人なら、
「ありがとう。助かった!
 今度はあの人が困って居たら、
 私がやれる事を手伝おう。
 良い仲間を持って幸せだ。」
と思うのだ。
 人間関係が希薄になってしまった結果のマイナス思考なのだ。」

 子育てには三つのステージがあるという。
第一ステージ
 0歳から6歳まで「心の土台づくり期」
 親からたくさんの愛情を注いでもらい、世話をされる事で「大人への信頼感」を育む。
 縦の関係を強くする時期。
第二ステージ
 6歳から10歳まで「社会性を身につける期」
 年下の子供たちとの関係。自分の欲求を抑え、相手の気持ちを思いやった行動が求められる時期。
 我慢して一緒に遊んだら、すごく喜んでくれた。「人が喜んでくれるのは嬉しい。」
 意見の違う子とはこうやって関われば良い。「セルフコントロール 自律」の力を育むというのだ。
 縦の関係+横の関係
第三ステージ
 10歳ごろから18歳ごろまで 「思春期」
 親離れの時期
 異なる世代の地域の人たちや親や教師と違う視点や価値観を持った人たちとの出会い。
 自分を認めて勇気づけてくれる存在との出会い。
 この教育環境は、事前に用意する事はできない。大人自身も子供自身も「人として、成長しようとする姿勢を持つ」事がなければ出会っても気づく事はない。
 自分は誰かのためになっているという
「自己有用感」を持つこと。
 縦・横・斜めの関係

 多様な関係を通して「自己肯定感」が育まれて、対人関係を築く「ソーシャルスキル(社会的技能)」や「セルフコントロール」の力も身についてくる。
 家庭や学校だけでなく地域や社会全体で育むものである。
 分かっているが、第三ステージがままならない。 
 日本中がコロナウィルスで猜疑心の塊になっている。変異ウィルスが蔓延防止策を突破し、緊急事態宣言と叫んでもなだれ込んでくる。
 人を信じる温かい心を持ったらその心を消毒しなければならないのだ。
 異常な社会・恐怖政治に気づいていない。
 そんな中で、どう「自己肯定感」を育てたら良いのだろう。
 私は、何をすれば良いのだろう?



ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります