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大晦日

 こんな大晦日を迎えるとは思ってもいなかった。義父が、母が、義母が逝ったお正月は喪に服していたので、お正月の準備はしなかった。
 でも、淋しくはなかった。
 厚洋さんがちゃんといつも通り飲みながら、真愛は、彼のそばで除夜の鐘を聞いたからだ。
 
 彼の部屋に泣きに行ったその年の大晦日は、髪を結い上げ着物を着て、厚洋さんと手を繋いで神野寺に出かけた。
 年越し蕎麦は、マルちゃんの天ぷら蕎麦だった。
 結婚した年もよく歳も大晦日には、着物を着てお山に登った。
 年越し蕎麦は、彼のとった鶏肉出汁で、大きな海老天をのせた「天ぷら蕎麦」になった。
 子どもが生まれてからも、お正月の我が家の習わしは、変わらなかった。
「子どもには、いにしえ人の思いの詰まった
 慣わしをちゃんと教えてやりたい。」
 彼の願い通り、真愛も毎年頑張った。
 次第にそれは、本当に「我が家のしきたり」になった。
 大掃除をし、正月飾りをし、大晦日には「年越し蕎麦」を食べ
「今年一年ご苦労様でした。」
と必ず彼は言ってくれた。

 今年は、LINEで嫁と孫とビデオ電話で話した。息子もちゃんと「年越しそば」を作っていた事が嬉しかった。
「感染拡大で今はどこにも出られない毎日。
 大変な一年だったけど、
 苦しい後には必ず良い事が待っていると思い 
 ます。
 きちんとご挨拶もできませんでしたが、
 本当にお世話になりました。
 来年も宜しくお願いします。
 良いお年をお迎えください。」
「母ちゃん今年もおつかれさま
     来年はワクチン打って遊ぼう。」

 厚洋さんのD NAかな?


 我が家の慣わしは、
 お元日には、
「刃物を使わない。」
「洗濯を干さない。」
「ゴミを掃き出さない。」
 それらが全てできるよう準備して、大晦日の年越し蕎麦を頂くわけだ。
 そして、お山に登って初詣をした。


 この家に越して来てからは、夜に行けなくても、お正月三ヶ日中には、必ず、神野寺に初詣に行き、破魔矢を買ってくれた。
 
 しかし、自分の具合が悪くなっているのがわかっていたのだろう。
 60歳を過ぎてからは、夜遅くまで起きていられなくなり、深夜の初詣は行かなくなった。
 近くの天南寺の除夜の鐘を聞きながら、年を越した。
「昔は、この道も初詣客の車で渋滞したのに 
 ね。」
「うん、大晦日は除夜の鐘の後。車の音で
 寝られなかったのにね。」
 それが、高速が出来て「鹿野山参道」は、競輪選手の練習場と化してしまった。
 今は、観光バスが入り込んだら動けなくなる程、道が狭くなった。(草や樹が道に覆い被さって来てしまったからだ。)
 今夜も除夜の鐘が天南寺から聞こえて来る。
 コロナ禍(今日は、東京の感染者数が1337人)で分散参拝なのだろう。そうあって欲しい。
 こんな大晦日。
 こんなお正月。
を迎えると誰が予想したのだろうか?

 神様は何が気に入らないのだろう?
 人と人が抱き合ってはいけないのだ。
 人が幸せを願ってはいけないのだ。

 私たちは、よほど神様を怒られることをしちゃったのだろう。
『動くな!』
『息をするな!』
『生きるな!』
って、叱られているのだろうか。

 来年は、2021年。
 明日から、
「御免なさい。
 もっと、人間界だけではなく、
 生きとし生けるもの全てのことを考え
 優しくなります。」
 
 良いお年をお迎えください。
 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります