見出し画像

子育てパニック 家族も社会 2

 夫婦関係は子どもの心にも安定をもたらす。
(大いに納得。本当に厚洋さんに感謝である。)
と締めくくった前noteを書くことができたのは、【家族が運命と血によって結ばれたとしても、
 そこに安住してしまえばその家族の可能性も
 閉ざされてしまう。】
という(「家族の力」石風社)の著者内田良介氏の言葉に心揺さぶられ、引用させて頂きながら書き進めたものだった。
 今回は、
【子どもの困り事は、「家族システム」の
       行き詰まりのサイン😨かも?】
という。聞きなれない「家族システム」という言葉も気になったが、基本的には、子育ての中心となる父母(夫婦)の在り方について書いてあった。
 前回同様、頗る分かり易い!
 内田先生のお話を引用しながら、真愛の感想を交えて書かせて頂く。 

我が家の紫陽花垣根

 私たちは、一人一人が世界でただ一つの個性的な存在だからこそ、たとえ愛し合う二人であったとしても、お互いを理解し合うのは容易ではない。他者を完全に理解することは不可能ともいえる。
「他者と分り合いたい。」
「自分を分かって欲しい。」
 その願いが完全に満たされないからこそ、人間はコミュニケーションを続けないではいられないのだろう。
 時には、言葉によるコミュニケーションの不十分さを「親密さ」と「想像力」で補う必要があるという。
(内田先生の「人間についての根本的な考え方」がとても分かりやすい。分かり易いというより
“正しく真愛である。”のだ。

ふたつ

 現代の家族は多様化している。
 一人親・同性カップル・別居夫婦…。
 ただ、どのようなカタチであれ、その家族の始まりは別々だった2人の個人の出会いで誕生する。
 その2人の関係を「連合」。
 ある目的のために2人が力を合わせる関係を指し、趣味やゲームで等でつながる「同盟」とは区別するという。
 そして、子どもの問題が生じ易い家族の特徴の一つが「連合」の乏しさであるという。
 お互いの相性によっては「連合」を築き深めるのは簡単ではない。
 一般的に人は似たもの同士か、または、対称的な相手をパートナーに選び易いとされる。
 対称的な相手の場合、豊かな可能性を持つ反面意見が合わず口論になり易いため連合が困難になる。
 関係が改善されないと、いつも言い争うか、もしくは、強い意見に片方が従うという形に日常がパターン化され易い。
 支配と我慢の関係だ。これが極端になると「家族システム」の力が十分に発揮出来なくなるのだという。
 家族の中心である連合(夫婦」が機能しないと家族の構成員は別の連合を作る。
 母と息子・祖母と父・他の誰と母等々。
 それによって、家族関係は歪になり、それが子どもに心理的な負担を与え問題行動が生まれやすくなるという。

群生

 ある家庭の話だ。
 娘が激しい非行に困った。「このままで行けば、施設に入れるしかない。」と警察から言われ父親はどうして良いか分からなくなった。
 そこで、内田氏は、月に一度の「家族面接」の時間をとった。
 この夫婦は,複数の店舗を経営し忙しかったが、「施設入所だけは避けたい。」の思いが家族を繋いだ。
 半年ほど効果が見られなかったという。
 ある時、母親に問うた
「お母さんは結婚前、
 どんなことがしたかったのですか?」
 母親は驚いたように黙り込んだ後、恥ずかしそうに「デザイナー」と呟いた。
 同席していた夫も三人の子どもたちも意外な表情をした。
「そう言えば、お母さん、絵上手だよね。」
と応じた娘の表情はそれまでとは違っていた。
 その頃から、娘の夜間徘徊や友達を巻き込んでのゆすりや喧嘩は鳴りを潜めていったという。
 父親は一人で家族を引っ張ってきていたのだ。
 母親は黙って夫に従い、店を切り盛りしながら子どもを育ててきた。
 子どもは、大人が仕方がなく受け入れた矛盾や諦めに本能的に異を唱えるが、自分が感じた違和感を言葉に出来ないので、【大人を困らせる】問題行動として現さざるを得ないというのだ。

【子どもの困り事は、しばしば「家族システム」の行き詰まりのサインであるという。
 このことがあってから、意外な妻の一面を知った夫が妻の考えや思いを聞くようになり、そうした父親の変化を受け、母親は自分の考えを言うようになり、娘は母親の意見を聞くようになり、高校進学を果たしたそうだ。
 何でも自分一人で決めていた父親が少し母親の意見を取り入れたことで「連合」が強化され、
「家族システム」が蘇ったのだと言う。

紫陽花って連合

 家族に問題が生じた時、今までの対処行動でうまくいかない時、パートナーの意見や子どもの意見に耳を傾けることにより、問題解決の糸口が見つかることは、よくあることである。
 繰り返すが、
【私たちは、一人一人が世界でただ一つの個性的
 な存在だからこそ、たとえ愛し合う二人であっ
 たとしても、お互いを理解し合うのは容易で
 はない。
 他者を完全に理解することは不可能である。
「他者と分り合いたい。」
「自分を分かって欲しい。」
 その願いが完全に満たされないからこそ、
 人間はコミュニケーションをし続けるのだ。

「家族システム」という言葉が分からないままここまで書き進めてきたが、
「家族システム」とは、敏捷心理学用語で、家族を1つのまとまりをもつ生命系としてとらえる理論のことを言うらしい。
 全く知らない真愛は、「家族の在り方?」と読み取っていた。
 システムとは、いくつかの意味のある関係で結びついたサブシステムから構成されるものをさし、「家族システム」とは、夫婦、父子、母子、同胞がそれぞれ特異なサブシステムにより構成される。
 その諸部分は、それぞれが独立して機能することもあれば、全体が連動することもあるというが、ここあたりから読めるが言葉の理解ができない。
 ただ、この考え方が、「子どもの困り事」が起きた時の解決の糸口になることが多いようだ。
 特に、思春期をむかえて、新しい社会(家族からもう少し広がった社会)に移行する頃に起こる問題に対して、【一方向からではなく、複眼的あるいは多面的にとらえる】考え方が良いらしい。
 また、的確に問題の解決にあたる家族療法を実践するのに、理論面からの大きな貢献を果たしているという。(これもことがの理解ができない)

 心に問題を持つ人がいる家族は、現状維持の傾向が強く、システムが硬直化していることがあり、かつては、この病理的な家族の安定性を壊すことが家族療法の目的とされてきだそうだ。
 しかし、現在では機能不全の家族にもそれなりの自己治癒力があることを認めるようになり、
 セラピストはそれを補完・促進する形で援助する方向に変わりつつある。
(そうだよ。いくら病理的だと言えど、自分の家族関係をぶっ壊されて、「はい、そうですか。」何て言えるものか。真愛が精神科医さんを胡散臭いと思った理由だ。)
 家族の「あるがまま」を尊重するセラピスト側の姿勢が、悩みをかかえた家族にも歓迎されている。
(そう!まずあるがままを認めてほしい。
 他の誰でもない私であり、たったひとりの
 愛しい人達なのである。
 厚洋さんと真愛(夫婦・恋人・師弟・親友・
         兄妹・同志…。)
 厚洋さんと息子(父子・友達・年上年下…)
 真愛と息子(母子・今は私の保護者笑笑)
 その家族には、その家族の在り方がある。個々の構成員の生きてきた経験・環境が違うのだから
、100の家族が有れば100の家族システムがあるのだ。
「連合」なんて素晴らしい言葉だが、国連もNATOもなんだかぐちゃぐちゃで、みんな何処の国も言いたいことだけ言って,「相手のことなんて聞こうとしない。」変な社会になっている。
 小ちゃくったって、夫婦・親子もちゃんとした社会だ。一人ひとりが自分の思いを持った人間なのだ。
 だから、自分の思いを話さなくちゃいけない。
 コミュニケーション…。
   話すと同時に、まず、聞くことが大事だ。
 家族が大事ならば、分かろうと聞く努力をすることだ。
 当然もう一方も、自分の思いと自分が向き合い、その思いを相手に伝えるべきである。
 分かってもらおうと努力する必要があるのだ。 
 なんだか、グシャグシャな事を書いていると思う。真愛の能力では処理しきれないが、これだけは言える。

 お互い様なのだ。
 お互いがお互いを思いやってこそ、円やかな社会が生まれる。
 理解しようと努力しよう。
 時には、言葉によるコミュニケーションの不十分さを「親密さ」と「想像力」で補う必要があるという。
 確かにそうだ。
 真愛の下手くそな言語表現では分かってもらえず、イライラしまくる真愛に、もう言っても伝わらないだろうとダンマリを決め込む厚洋さんだった。
 しかし、真愛も偉かったぞ。
 まあの思いを伝えたくって、泣きながら喚きながら自分の思いを語り続けた…。
 いつも…。
   怒り続け、泣き続け疲れるまで語って、静かになった真愛を厚洋さんはいつも抱いてくれた。
 そして、
「分かったよ。俺もいけなかったな。」
って…。
 要するに「想像力」で補ってくれて、
「親密さ」で「連合」の崩壊を食い止めていてくれていたのだ。
 幸せだったのだなあと思う。

 そして、大変かもしれないが、今「連合」を持っている人々を思うととても羨ましい。
 今の真愛は一人である。
 今はちょうど24時。
 何の音もしないから、スマホの文字うちの音がするだけである。
 子育て中の「連合」を持ち、「家族システム」がある方々、今の幸せを本当に大事にしてほしいと思う。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります