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子育てパニック子どもの声

 政府は「子供の声は騒音ではない」ことを法律で定めることを視野に入れた検討を始めたという話を聞いた。
 背景には、子どもの声が煩いという事で、「公園廃止」になることは問題なのでは?ということからなのだろう。

 子供の声が騒音扱いされる世の中では、子育てなんかできない。
 だが、以前からも「子どもの声が煩い」と言われ、子育てや教育の妨げになっている事はたくさんあった。
 真愛が教員をやって8年目、我が町の大工場で、三交代で働く人が住む学区に移動した年の運動会練習でのことだ。
 応援合戦の練習中に、職員室に電話がかかって来た。
「ガキがうるせぇ!
 黙らせろ!」
とだけ言って切れたという。
 翌年の6年担任の真愛はお得意のダンス指導をした。教員経験も積み、怒鳴り声も本格的になった。
 電話がかかって来た。
「五月蝿え!女黙らせろ!
 殺すぞー。」
教頭先生が、
「マイクを使わないでください。」
「スピーカーの方向を変えたほうが良いな!
 出ないと、殺されるぞ。」
と言われた。
 Y校は、大規模校で厚洋さんがいた頃には、問題教師もいて事件を起こし“ウィークエンダー”って番組が取材にも来た学校だ。
 教頭先生は、真愛の中学校の時の恩師だったので、
「マイク使わなくっても、音量は同じです。」
という真愛に
「殺されるなよ!」
と笑って言った。
 電話はその後かかってこなかったが、きっと嫌な思いをしていたのだと思う。
 真愛は、小学校の教員だっだが『子どもが好き』とは言えなかった。
 日本語が理解できず、声のボリューム調整が出来ない低学年児童を「可愛い」とは思えなかった。
 上司も真愛の特性を知っていたので、低学年の担任にはしなかった。あの宇宙人の中に入れられたら、絶対ノイローゼになると思っていた。厚洋さんも同じで、『俺はガキは好きじゃない』が口癖だった。
 キイキイした高い声が、体質的に合わないのだと思った。
 しかし、自分の子どもの声はなんとかなった。
(夜泣きの時の声は、ノイローゼになったが、 
 母が見ていてくれたので息子を捨てることに
 はならなかった。
 最近のテレビドラマで、子どもの声が五月蝿 
 いと実の子を捨ててしまう親がいるが、
 その寸前のところだったのだろう。)
 また、我が家は大騒ぎをする家ではなかったので、一人息子もその中で育ち、大声を上げることはなかった。息子よりも母親の真愛の方がよく息子を怒鳴っていた気がする。
 静かな生活を好んだ厚洋さんの前では、家族みんな静かだった。
 話は飛ぶが、何故子どもの声がうるさく聞こえるかというと、物理的に子どもの声は
「人間が不快に感じる周波数」で出されているのだ。
 子どもの声の周波数は2000ヘルツだと言われている。
 2000ヘルツというのは耳で聞いたとき、一番大きく聞こえる周波数で、「黒板をひっかく嫌な音」も同じ音域だという。
 虫唾が走る音なのだ。
 不快な音は意識していなくても、どうしても耳に入ってしまう。それは、子どもが生きていくために、大人に守ってもらうために出している音なのだ。
 常に自分の安全のために、ひびかせて親の
視界にいれておいてもらうために、あえてこの周波数の音を出しているという。
 要するに危険から身を守る本能としての周波数(声)なので不快音なのだ。
と言われても、不快なものは不快である。
「子供の声は騒音ではない」
と定められても不快は不快である。

穏やかな小学生

 良き教育者や知識人は、「子供は大きな声を出すのが当然!」「子どもが出す大きな声は、元気があって良い。」と容認する人が多い。
 したがって、「良い人」を演ずるためには、不快な子どもの声を聞いても
「元気で良いわね。可愛いわね。
 やっぱり子どもがいると活気がでるわ!」
と心にもない事を言いながら、お子ちゃまを避けるように動いている真愛がいる。
 自分にも他人にも嘘をついて生きるのは辛い。そんな真愛と同じような人がいる。
 子どもの声にイライラしてしまう母性のない自分は、人間としておかしいのかと悩んでしまう。
 そんな時、思い込みの激しい真愛は、アダルトチルドレンの症状に一致した。
 アダルトチルドレンは、「子どもの声にイライラする。」
 アダルトチルドレンとは、
 生育歴の中で、自分の感情との折り合いがつけにくい、対人関係での距離感が適切に取るのが苦手などの「生きづらさを抱えて生きる人」を意味する。
 原因は、
 身体的虐待、心理的虐待を受けていた。
 ひとり親だったために厳しい母親だった。
「世間様に顔向けできない」と4歳の頃に嘘をついて殴られたり、天神様の木に縛られて捨てられたと思ったこともある。
 しかし、一人で育てる母親のことを思い、いつも良い子で居なければならないと思っていた。母が居なければ生きていけないのも事実だった。それこそが、アダルトチルドレンの考え方だという。
 しかし、毒親ではなかった。
 毒親になるほどの資金源がなかった。
 また、機能不全家族で、ストレスが日常的に存在している家族状態であったと思う。
 ひとり親だったために、親の期待が大き過ぎたし、一人で子育てをする母親は、常に情緒不安定である。
と、こうやって原因を列挙して来ても、真愛の母親は一生懸命に子どもを育てて、孫のお守りもしてくれて、常に我々兄妹を心から慈しんでくれた素晴らしい母親だと思う。
 原因の中に
・親がアダルトチルドレンだったという項目が
 あった。母は妾の子で本妻に育てられている
 継母が素晴らしい人であったことは聞いてい  
 るが、本家の当主のたった一人の娘として
 継母に育てられたその心の中がどうであった
 かは、もうわからない。
 真愛は、生きづらさを抱えて生きた母親の娘である。
・家族が家出をしている。(父が行方知れず)
 母はよく真愛に向かって
「あんたは3代目になっちゃいけない。
 ちゃんとした結婚をしてほしい。」
と事あるごとに言われた。
 それは、祖父が妾として愛し誕生した母であり、その母も妻子ある父と恋に落ち、兄や真愛をこの世に落としたのだ。そして、父は自分の思想・理想を求めて大陸に行ったままだという。「家出任がいる家庭なのだ。」
・家族が病弱(それにかかりきりになる)
 これはない。
・「産みたくなかった」と言われる。
 これもない。
 ここまで書いて来て、やっぱり思い込みの強い真愛だなあと思う。
 多くの家庭が、それなりにたくさんの問題を抱えていて、それら全てを照らし合わせていたら、世の中「みんななんかの心的病になってしまう」ここらで、ひと息入れないと自分で自分を病人にしてしまいそうだ。

母の少女時代

 アダルトチルドレンの性格等の特徴は、次のようなことが挙げられる。
・生きにくさ・生き辛さ(=生きづらさ)
・憂鬱(=ゆううつ)
・抑うつ・無気力 (繰り返される)
・漠然とした不安感・将来の不安・淋しさ
・自己否定感が強い・自己評価が低い
(場合により、完璧主義)
(自己顕示欲が強いこともある。)
・認められたいと言う気持ちが強い
(責任感が強すぎる)
・無意識に「良い子」を演じる
・リストカットなどの自傷行為
(場合により、他人に暴力的)
・情緒不安定・注意集中困難・いらいら
・自分の感情をうまく表現できない
・甘えることが苦手
・対人恐怖が強い
・孤立感がある・社会恐怖を感じる
・他人を信じにくい・だまされやすい
・見捨てられる恐怖がある
・失恋で自暴自棄を感じる
・人との境界が難しい
・疲労しても休まない
・病院も緊急時以外行かない
・楽しむことや休むことに罪悪感 がある
・嗜癖(=しへき)
・依存症的な部分がある
 教職についていた時は、すべて当てはまった。が、退職し厚洋さんが逝ってしまって、一回壊れたので、今は少なくなっている。
 原因不明の身体症状として「慢性的なめまい」「肩こり」「頭痛 」「アレルギー体質」があげられる。
 更に、あるサイトで見つけた特徴として、
「子どもが嫌い」
「甘えている子どもにいらだつ」

 このサイトを見た時に、真愛もACだと思った。婆さんのACもあるんだろうか?
 このサイトの方も、
「これだけ当てはまっていたら、
 もう疑いようもなく。
 初めて私は、
 自分がAC(アダルトチルドレン)
 だと思った。」
と書いてあった。

スイカの子ども

 最近、仕事が佳境に入った息子から、
「子どもの声にイラつく自分は、
 親として変なのではないだろうか?」
と悩み相談のLINEをもらった。
 真愛としては、自分も仕事をしていた頃忙しくなれば、家庭の中での些細なことでもイライラしていたので、それと同じなんだろうと思った。(このnoteを書くまでは…。)
 物静かな厚洋さんでさえ、大きな原稿の締め切りが迫って来るとイライラしているのがわかった。
 外の仕事でストレスが溜まっているのに、家に帰って来て息子の成績が振るわなかったりすると、真愛のイライラは息子に向いた。
 それは、真愛のアダルトチルドレンの性質をしっかり受け継がせてしまったことになるのだ。
 真愛ちゃんパニックである。

未就学児の困りごと

 更に、最近「未就学児の困りごと」が増えている。
 親は、子どものことを考えた人なのだが、その親が学習している1時間半の間、未就学児の子守りをすることになる。
 じっとしていないので、事故に会うのも困るし、一人のボランテアがつく。
 しかし、やりたい放題で言うことを聞かない。食べたいというので食べさせれば、片付けをしない。遊びたいというので、折り紙を与えれば使い放題のやりっぱなしだ。
 当然、2000Hzの声で走り回る。

「子供のちょっとだけ大きめの声が短時間
 続いただけでうるさいと怒りだす人がいる
 のは、どうなのか。」
と子どもの自由身勝手を容認する意見を聞いて真愛はイライラしてしまった。

 発生させる側に原因があるケースだけでなく、受けとる側に原因ありのケースもある。
 繰り返すが、住宅・共同住宅であるマンションにおける騒音問題でもそうだ。
 20世紀まで住宅地内の騒音問題は、
「お酒を飲んで、夜中も騒ぐ人」や
「静かな住宅地内で楽器を大きな音で演奏する人」など、「大きな音を出す人」によって引き起こされるケースが多かった。
 夜中に騒がれたら安眠できないし、静かな住宅地内で楽器を大音量で演奏したら赤ちゃんが起きてしまう。
 三交代の団地の側の学校で、大声で怒鳴る女教師の声は騒音である。
 誰がみても「そんな時間帯やそんな場所で、
 大きな音を出すほうがわるい」
といえる状況によって引き起こされたわけだ。

 ところが、21世紀に入ったあたりから異なる理由でマンションの騒音問題が発生するようになったという。(ここからは、ある情報記事の抜粋である。)

笑い声・足音

 マンションで階下に住むシニア夫婦から、「子供の足音がうるさい」
と文句を言われた子育て世帯があった。
 小さな子供がいる家庭であれば、反射的に謝ってしまう。我が家の子供が走り回ったことがあったのかもしれないからだ。
 その後、注意して暮らしても、やはり「うるさい」といわれてしまう。
 子供が幼稚園から帰ると、すぐ苦情が来るので足音が原因だと思われるが走り回ることも、飛び跳ねることもないという。
 普通に歩いていても、「うるさい」といわれるのは、マンションに構造上の問題があるのかもしれない。そう考えた一家は管理員に相談した。
 「普通の足音が、階下の住まいで非常に大きく聞こえるらしい」。
 相談を受けた管理員は、マンションの事業主である不動産会社に状況を報告。
 不動産会社の社員がマンションを建てた建設会社の設計担当者とともに調査に来た。
 まず、複数の人間が階下の住戸に入り、足音の聞こえ具合を確かめた。
 最初は、子供が普通に歩く。
 次に走ったり、飛び跳ねてみた。
 ここで、不動産会社の社員も建設会社の設計担当者も首をかしげた。
 普通に歩く足音はまったく聞こえず、走る音はわずかに聞こえて、飛び跳ねるとさすがにドスンという音が聞こえる。
が、歩く音はとても騒音とはいえないレベルだった。
 しかし、シニア夫婦は、普通に歩いているときも
「ほら、聞こえる。うるさい」
という。
 調査を行った人間は全員これは面倒な事態だと理解した。
「うるさい。」
と思う人は30デシベル台の音も耐えられないのだ。

 そのシニア夫婦は、テレビも点けず、音楽も聴かず、2人で読書を楽しむ生活スタイル。
 それまで住んでいた木造の一戸建てから、「鉄筋コンクリート造のマンションならば、
 外の音が聞こえず、静かに暮らせるだろう」とマンションに移り住んだ人たちだった。
 もともと、音に対して敏感だったのである。
(どちらかというと、
 厚洋さんも真愛も音には敏感であり、
 良い音を聞きたがった。
 葉ずれの音・風の音・鳥の声。
 だから、赤ん坊の鳴き声なんて
 結構なストレスだったのだ。
 自分の子だから我慢したのだ。)

 音に対して敏感な人たちは、真上に住んでいる家族に小さな子供がいることを知った。
 それで、耳をそばだてるように音を探っていたのではないか。
 とはいえ、高齢になると聴力も下がってくるので、本当に足音が聞こえているのかはわからない。が、それでも本人が「うるさい」といえば、対応しなければならない。
 それが、共同住宅であるマンションの面倒さといえる。
 結局、不動産会社の社員たちは騒音測定器を持ち込み、音の大きさを測った。
 その測定値をレポートにまとめ、騒音が生じているとは認められないと締めくくった。

 このレポートに加え、子供が飛び跳ねることをさせないし、夜間は走ることをさせないことの確約を得て、シニア夫婦は引き下がった。が、「しぶしぶ」だった。
 最後まで納得しなかったのは、数値の解釈だ
 子供が歩いて測定された騒音は、30デシベル台。
 昼の住宅地内や図書館内で40デシベル程度とされるので、30デシベル台はほとんど音がないといってよいレベルだ。
 しかし、シニア夫婦は「30デシベルならば静か、と誰が決めたのか」と不満を表した。
 夫婦は、0デシベルこそ理想の静かさと誤解しているようだった。

 しぶしぶでも納得してくれるケースはよいが、あくまでも「足音がうるさい」といわれてしまうケースもある。
 あげくに、エレベーター内で子供がにらみつけられ、泣きながら帰宅することも……。
 そうなると、転居も考えざるを得ない。

 賃貸ならば、比較的楽に転居できるが、分譲マンションを購入した場合、転居は簡単ではない。
 中古で高く売れるときならばよいが、値下がりしている時期は、経済的な損失を出しながら、転居することになる。

 理不尽なクレームだが、それに反論することで自らにも生じてしまう嫌な気持ち、そして、万一相手が怒ってしまったときに家族に危害が及ぶかもしれない、というリスクを考えれば、さっさと転居し、新しい生活に切り替えたほうがよい。そう判断したためだ。

「子供の声は騒音ではない」
「子どもの声は2000Hzの不快音である。」
「子どもの声にイラつく私はadult children」

 なんともどうまとめて良いかわからない話である。
 いろいろあっても、言えることは、対象者に対する自分の心の有り様が問題なんだろう。
 静かな生活を求めたシニア夫妻は、きっと子どもが嫌いになったと思う。
 当然、子どもたちもその人たちが嫌いになる。嫌な子どもの声を聞きたくなかったら、その場を立ち去れば良いのだ。それが出来ないなら、足音が聞こえないように音楽を楽しめば良いではないか。
 子どもたちも睨まれたと思い込まず、元気に笑顔で「今日は!」って言えば良いではないか。
 絶対にあってはならないことは、
「その不快音を聞かなくするために命を落とすことがあってはならない。」
 まして、子どもは宇宙人である。
 言って聞かせてもその苦しみを理解出来ない言語しか持っていない。
 ならば、子どもの側からシニア自身が身を引くのだ。

 人間とは不思議なもので、「好きな人の声」は耳に心地よいのだ。
 息子が送ってくれただった3秒の厚洋さんの声を時々再生する。
 愛しい人には会いたいし、愛しい人の声を聞きたいと今でも思う。
 だから、「子どもの声に出してイラつく」真愛は、大好きな孫が、「心地よい声」を発するまで、上手い距離を置いて付き合うのが一番かなと思っている。

 46年前の2000Hzの不快音が、今では一番信頼のおける安心感をもたらす音になっている。
 お母んのACの環境に育った息子は、きっと苦労をしているのだろうなぁと思うと申し訳ない。🙇

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります