猫って
猫って猫だ。犬じゃない。
小さいけれどキャンキャン鳴かない。
どこが可愛いのか考えた。
我が家のニャンコは、10歳になるおばさん猫だが、可愛い💕から不思議だ。
人間で56歳にもなると、とんでもなくお婆さんぽい人もいる。しかし、可愛い人も多い。
だが、人間の56歳可愛い人も「可愛い❣️」と抱っこされる三歳児と同じでは無い。
しかし、我が家のチャーちゃんは、56歳のおばさんだが、「可愛い❣️」と抱き上げで頬擦りをしてしまう。
その後、
「重くなったね。腰痛い。
あんた凄く太ったでしょ!」
と文句を言いながら下ろすが…。
抱き上げでいる間中、ゴロゴロと喉を鳴らし
嬉しそうにしてくれている。
そっと定位置に戻すと、思い出したようにゴロゴロを繰り返しながら、微睡んでいく。
その姿を見ていても「可愛い❣️」と思って、また触りたくなる。
もう、56歳のおばさんなのに。
チャーちゃんは、外に一回も出していないので、肉球がまだ柔らかい。
良く寝ていても、爪をしまったあの手先を見ていると、肉球をモミモミしたくなる。
つい、起こして肉球を触る。
眠いのか、仕方がないと思っているのか、抵抗せずに肉球を触らせ、そのうち気持ち良さそうに伸びをする。
堪らなく「可愛い❣️」
大根の葉が好きなチャーちゃんのために葉っぱのついた大根を探す。今の時期は、物産館に行けばあるのだが、夏になると探すのが大変になる。
厚洋さんがチャーちゃんのために「猫草」を買ってきてくれたが、食べなかった。
とっても残念そうだったのを覚えている。そして、大根を食べると知った彼は、良く大根の頭だけを買ってきて「水栽培」をしていた。
「ほら、新しい芽が出てきたぞ。」
と無理矢理大根の側に連れて行くこともあった。
キャットフードしか食べないので、ちょっと違った物を食べそうだと、「嬉しくなって」食べさせてしまう。
なんだかなぁ。
「大好きな人が喜んでくれるのが嬉しい❣️」って感覚を猫に抱いてしまうのだ。
厚洋さんが亡くなって、二人きりで暮らし始めて、2年が経つ。
気がついたら、大根をあまり食べさせてなかった。
最近のチャーちゃんが良く欲しがるのは、ダイエットフードの「ロカボナッツ」だ。袋を開けるだけで飛んできて、
「ちょうだい!」
と言う。
アーモンドは、食べないが、マカデミアナッツとピーナッツは、少しだけ食べる。
噛んであげないと食べないので、噛むまでが大変だ。
「早く、ちょうだい!」
と、真愛のお口辺りをちょいちょいする。
爪を出さず、そっと触ってくるので、
「可愛い❣️」
コーヒーの中に手を突っ込んで、掬い出す姿も見飽きない。この様子を10分も撮った動画を見せたら、馬鹿にされた。
日向ぼっこの後のチャーちゃんのお腹の匂いが好きだ。完全なお日様の匂いがする。
厚洋さんは、毎日チャーちゃんのブラッシングをしてくれた。それも朝のひだまりの中でだ。
二人が気持ち良さそうなので、写真を撮ったが、この後、厚洋さんもチャーちゃんのお腹の匂いを嗅いでいたのだろうか?
想像して笑ってしまった。
猫は猫だ。
犬では無い。
人はそれぞれ好きなものがあり、好きな動物もいるだろう。
だから、犬の好きな人は犬の「可愛いさ」を発見しているのだ。
ヘビを可愛がる人だっている。
「どこが可愛いのか分からない。」のは、その人ではないからだ。
人それぞれの感覚の違いなのだ。
だから、猫が可愛いと言って良いが、可愛くないと言う人の言い分も聞くべきなのだろう。
しかし、「猫が可愛いなんて分からない。」と言われると「ムッ」としてしまう。
自分自身を全否定されたような気がするからだろう。
となると、「食べ物」「色」「服」「音楽」だって感覚で好き嫌いが決まるのだから、
《これが正しい》なんて無い。
ましてや、「あの人は素敵」「あの人は変」なんて論ずる事態が正しく無い。
猫は可愛い❤️
犬も可愛い💕
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります