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夜咲き花 1449日

 今年は「夜咲き花」が沢山咲いているようだ。「咲いている。」と言えないところが情け無い。
 以前出版した詩画集「夢幻」は、烏瓜の花が描きたくて上梓したのだが、どうしても詩を書くことができず、題名だけ烏瓜の花をイメージした言葉にしたのだ。
 2000年の夏に原稿を書いたので、烏瓜を描くために、厚洋さんに起こしてもらって夜明け前に森に出かけて行った事を思い出す。

烏瓜の花 

 当時はスマホなんて持っていなかった。
 カメラだって安い物しか持っていなかったので、数輪の花を手折って帰ってきたのだが、家に帰ってついた時は、既に花は萎み葉もクタクタになって哀れな姿になっていた。
 翌日も、厚洋さんに叩き起こしてもらい、スケッチに出かけた。
 だが、30分と持たず帰って来た。
 虫に刺されやすい真愛は、蚊の襲撃を受けて敢えなく後退したのだ。まだ元気だった母にも笑われ、厚洋さんには馬鹿にされた。
「馬鹿だよな。お前!
 翌朝咲きそうな蕾を
 取ってくれば良いだろう?」
「烏瓜って、瓜だから水あげが良いのよ。
 葉っぱ全体を水に入れておいたら
 翌朝、咲くわよ。」
「早く言ってよ!
 この2日間の睡眠不足なんか
 必要なかったじゃない!」
「偉そうに!
 最初に言ったからって、
 ちゃんという事を聞いたか?
 聞かないくせに。
 ね!お義母さん?」
「すいませんねぇ。困った娘で…。」
 要するに、真愛は実母にも最愛の夫にも、いつも揶揄われていてのだ。
 水を張った水盤に烏瓜の蕾の付いた蔓を入れ、台所に置いて、翌朝の開花を待った。
「起きろ!
 咲いたぞ!」
 起こされたのは、夜中だった。
 一般的には、夕方、18時頃から蕾がモコモコッとしてきて、19時頃にはモジャッとして20時には開花するらしい。
 当時の真愛も厚洋さんも「烏瓜の花」は夜咲き、朝には萎れると思っていた。
 家の中だったからか、天候のせいか、起こされたのは、夜中の一時だった。
 厚洋さんが起きて見ていてくれたのか、トイレの度に確認したのか、今となっては分からない。
 9時には寝る厚洋さんに、一緒に「おやすみなさい。」をしたのは覚えている。
 母が存命だったので、2人は2階のダブルベッドで、蒸し暑い夏の夜風を入れながら寝ていたのだ。
 やっぱり、厚洋さんは「開花」を知らせようと起きてくれていなのかな?
 何しろ、静かに叩き起こされ、
「描けよ!
 萎んじゃうぞ。」
って言われて、デッサンした。
 眠気も吹き飛ぶような美しく妖艶な花だった。
(あの時、厚洋さんは真愛のデッサンが終わるまで、リビングで本を読んでいたのだと思う。真夜中にお酒を飲みながら…。)
 真愛のデッサンは二時間足らずで終了。
 3時には、就寝。
 夏休みだったこともあり、翌朝は爆睡。
 厚洋さんは、真愛や母の朝食作りにいつも通り5時には起きていた。
「烏瓜の花」の思い出と一緒に、真愛がどんなに家族に愛されて、幸せだったかを痛感した。
 当然、翌朝に烏瓜の花は萎んでいた。
「烏瓜って、結構、綺麗な花だな。
 真っ白で、蜘蛛の巣みたいで、
 dreamcatcherみたいだ。
 明日も咲くぞ!」
って、厚洋さんが嬉しそうだったのも思い出す。
「夢」のように美しく「幻」の如く咲き終えてしまう。「夢幻花」であると思った。

 森の奥に蔓を垂らし、夜暗くなると、人知れず白いレースを広げて、お嫁入りをし、太陽が登る前に閉じてしまう幻のような花。

烏瓜の花

 今年は「烏瓜の花」がたくさん咲いている。
 真愛は、相変わらずお寝坊さんだが、あの時、じっくり描かせてもらったおかげで、「烏瓜の葉」を車の中からでも見つけられるし、「咲き終わった烏瓜の花」を見つけることもできる。

烏瓜の葉

 厚洋さんのお墓参りに行ったら、霊園の駐車場の壁に烏瓜の葉を見つけた。
 懐かしくなって、数センチ切らせてもらった。
 お墓参りを済ませ、買い物を済ませて帰って来た時は、助手席の烏瓜はクタクタになっていた。
 母に言われたように、全体を水に浸しておいたら復活した。
 細くて弱々しい茎なのにも関わらず、水を吸い上げたその蔓は、硬くしっかりと張った直線だった。
 母も厚洋さんもいなくなったこの家で、
「もう少し頑張らなくちゃ。
 この家を守らなくちゃ。」
と言っている自分に驚いた。

 彼が逝って1449日め。
 今日は、母の祥月命日。
 11日後は、厚洋さんの祥月命日。

「ちゃんと、白い花を描けよ!
 俺は、真愛の描く「白い花の絵」が
 好きだ!」
と厚洋さんの声がした。
 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります