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子育てパニック 思春期

 我が家の桜の木は、幹も細く枝の広がりもやっと塀に届く程度だった。後ろに咲いている三葉躑躅や山茶花・椿の葉はスカスカで北側のお家の屋根が見える。
 思春期を迎える中学校の入学式に行く前の母子である。

 思春期・青年期は、子どもから大人への脱皮の時期のことをいう。
 第二次性徴の訪れとともに、からだの発育はめざましく、大人らしいからだつきになる。
 小学校の保健体育で
「女の子はおっぱいがちょっと出てきて、
 生理が始まる。
 男の子は、がっしりとした感じになり、
 声変わりしたりするね。
 どっちも陰毛が生えてくることも第二次性徴 
 だね。成長って書かずに性徴って書く。
 性別の特徴だよ。」
 その後、生理や精通の指導をし、心と身体のバランスが悪くなる時期でもある事を教えた。
「男はホルモンの関係で大きくなる。」
というと体重や身長のことではなく別のことを想像して笑われ、真愛は青くなったり赤くなったり保健指導は特に大変だった。
 初任の頃から、男女一緒に学習してこその性教育だと思っていたのでその苦労は…。
  子どもを産み、育て、歳を重ねてくると、あばさん先生は、様々な指導方法を知り、肝も坐る。
 おばあさんになった今、一番上手に性教育ができそうである。
 さて、自分を振り返って思春期は中学校の頃だったと思う。更に女の子は、赤ちゃんから思春期までは、男の子より成長が早く心身ともに「マセてくる」のだが、真愛は痩せっぽちで奥手だったようだ。
 思えば、中学2年の頃に好きになった男の子を思い始めたら、胸がちょっと膨らんだ。
 しかし、身長はその頃から伸び始めたので、真愛の中には男の子っぽいホルモンも出ていたのかもしれない。
(あくまでも個人の状態で、人間の性徴には
 大きな個人差がある。
 厚洋さんなんて、助平な癖に30過ぎまで
 髭が生えなかった。笑笑。
 60を過ぎても教え子に
「先生はねんねだ。」と馬鹿にされる真愛も
 同類である。人の事は笑えない。)

 男の子は、声変わりをした一方、精神的に自分自身に目を向けるようになり、急に親離れを始め、これまでとはちがった価値観を身につけようとする。
「自分とは何か」
「自分は何をしたいのか」
「自分は何を求めているのか」というような自分さがしを始めていく時期にもなるという。
 このように、体・心、そして周囲とのかかわり方が変化していく時期が思春期・青年期だそうだ。
 今だに、自分探しをしている真愛は思春期なのか?
 最近では、思春期・青年期は10歳から30歳に延長されたそうだ。
 今までは、13歳くらいから22歳くらいまでを「思春期・青年期」と呼でいたが、最近では、からだの成長・発育の加速現象により、女子においては10歳前後に初潮を見ることも珍しくなく、思春期の発現が早まって来ている。
 小さいうちから生理があるなんて可哀想な気がする。
 また、高度な知識や技術を必要とする世の中になるとともに、独立と責任を社会から問われる年齢が年々高くなっており、現在では、思春期・青年期は10歳から30歳と言われる。
 現代の「思春期・青年期」は、からだの成熟の早さにくらべ、心の成熟がこれにともなっていないということも問題だという。

思春期

 この写真を最後に息子と一緒の写真はなくなり、次の一枚は孫のお食い初め写真となる。
 長い長い思春期、青年期であった。
 さて、その思春期のすれ違いについての話だ。
 結論から言えば、子どもの本質は変わっていないのに、それを変わったと感ずる親の関わり方の問題だと思う。
 息子の気持ちが分からず、お風呂に入りながら泣いた真愛のようにならないための親の心構えってところかな?
 前述した通り、思春期とは、精神的に自立しようとする時期なので、親から距離を取ろうとするのは当然の事。
 今までのぺたぺたはなくなるのだ。
 真愛の場合は、母一人で育ててくれていたため、また母娘だったためずっと密接にしていた。息子もそうだと思っていたのだ。
・親の前ではいい子にしたくない。
・素直に親の言う事を聞くのは恥ずかしい。
・逆らって生きる事がかっこいい。
(真愛が聞いてた尾崎豊。息子もすきだった。
 尾崎豊は永遠の思春期なのだ。)
・笑い顔を見せない。
・一緒に買い物に行かない。
・学校のことを話さない。
・提出物も見せないで自分で決める。
・自分の部屋に入らせない。

 教員夫婦の親としては、ハラハラ・オロオロし通し…だったのは真愛だけで、厚洋さんはちゃんと彼を信じて何も言わなかった。
 お馬鹿な母親の真愛は、彼の本質的な部分は一つも変わっていないことに気づかず、イライラして息子との関係を壊していたのだ。
 思春期の子どもは、乱暴な言葉を使ったり、悪態をついたりするのが自己表現なのである。
 それを知らない真愛は、子どもと同レベルに下がり、声を荒げ、子どもの変わった事を指摘した。
「こんな子に育てた覚えはない。」と。
「俺は、婆ちゃんに育てられた。
 母さんに育ててもらった覚えはない。」
と、トドメを刺されたのだ。
 共働きで自由に生きていた母親なので、その通りだった。
 その場では泣けずお風呂の湯船に顔を突っ込んで泣いた。家族に声が漏れないように…。
 それが最後の息子との一戦だったと思う。
 その後は、全て父親である厚洋さんにお願いした。
 息子が子どもではなく大人になった気がした。可愛がるだけの存在ではなくなったと理解したのだ。
(孫までいるこの歳になっても息子に対する
 愛しさは変わらないが、頼りになり、尊敬す 
 る対象でもある。)

30年後の桜の木

「子どもの本質は変わっていない」という前提に立って、子どもの挑発に乗らずにいれば良いのだ。
 子どもは、自分が酷い言動をとったと思っている(心の中では悪かったなと思っている)時に、親から同じような態度を取られたり、声を荒げられたりされるとショックを受ける。
 そして、(お母さんは変わってしまった。)と思うのだ。
 親も子どももお互いに
《変わってしまった!》と嘆くのだ。

 我が家の2階のドアには穴が空いていて、それを「well cam」のカードで飾り隠している。
 息子が殴って開けた穴である。
 母親が挑発に乗り、声を荒げた結果の産物である。
 息子はどんなにイライラしても、親に手をあげる事は出来なかったのだ。
(本質は変わらない優しい子だったのだ。)
それを言葉で、声で威圧していた母親は、30年後に後悔している。
 ある子どもコンサルタントは
「息子が思春期の頃、
 私とちょっとした事で言い合いになり、
 風呂場に閉じ篭もったことがありましてね。
 怒りの表現なのか、風呂場に置いてあった物
 を次々に放り投げ、大きな音を立てて私を
 挑発して来たのです。
 それに対して私は普通に風呂場のドアを開け
「元に戻しておいてね。」と、
 それだけ言ったんですね。
 息子は私が優しく言ったので肩透かしを
 食らったようです。
 もしかしたら、腹の中で笑っていたかも
 しれません。
 あの時、私までが興奮して「何をやってるん 
 だ!」などと怒鳴ったら、息子は
 更に輪をかけて反撃して来た事でしょう。
 でも、挑発に乗ってこないから「この親は反
 抗しても無駄だ。」と感じたようです。
 そうした行為はそれっきり二度と起きませ
 んでした。」

 正しく厚洋さんの取った行動である。
 また、厚洋さんは
「なんでお前は、
 子どもと同じレベルに下がるんだ?
 親子喧嘩なんてあり得ないんだ。
 親は年上!(木の上に立って見守る字→親)
 子どもを大きく見守る立場だ。
 お前のは親ではなく、ガキ同士で
 言い争っているんだぞ。」

 本当にガキだと思う。
 こんな親に育てられて苦労したのだろうなあ

 思春期は、子どもが親の言う事を聞かなくなると言うが、子供からすれば、
「子どもの言う事を聞いてくれない、
 思いを理解してくれなくなった。」
と感じているのではないだろうか。
 自分の思いを言っただけなのに、頭から否定されたり、意地悪を言われたりする。
(あの優しい母さんはどこに行ったの?)
 それに追い打ちをかけるように
「そんなに困らせるなら、うちの子じゃない。
 全部自分でやりなさい。
 ご飯も洗濯も掃除も、ママは何もしません」
なんて言われたら、誤解だ。
 大きなすれ違いでお互いの風圧で吹っ飛んでしまう。
(真愛は、それは言えない弱みがあった。 
 朝ご飯もお弁当も厚洋さんが作ってくれて
 いたし、洗濯はおばあちゃんがしてくれた。
 足らなくなればお小遣いもおばあちゃんに
 ねだれた。
 我が家は誰の部屋にも許可なくは入れない
 ルールを作っていたし、共有スペースは
 真愛が綺麗に掃除をした。
 だから、昼は給食、夜の一食ぐらい抜いても
 大丈夫な息子だった。)

 真愛は、偉そうに思春期の子どもは…。なんて書ける母親ではないのだ。
 今となっては、
「あれはあれ」の精神で普通に接し、普段通りの父親とおばあちゃんがいてくれたから、息子は普通に思春期を越えられたのだと思う。
 話しかけて、子どもに無視されたとしても、伝えたいことは伝えるのでいいのだ、冷静に!
 聞いていないようでも耳が悪くない限り、聞こえているし、聞いているし届いている。
 従わないかもしれないが、親の気持ちは分かっているのだ。
 そう言えば、教え子に注意されたことがある。
「先生。言ってないだろうね。
 拓に
「アンタのためにどれだけお金をかけてる
 と思っているの?」って。
 お金のこと、時間のこと、世話のこと。
 子どもは言われなくても分かってるんだよ。
 分かってるし、それには申し訳ないと
 思ってる。
 でも、「ありがとう」なんて小っ恥ずかしい
 し、「じゃあ返すから」とも言えない。
 子どもは辛いんだよ。
 親だけが辛いんじゃない。」

 真愛は、息子を塾に送る時に毎度のようにその言葉を言っていた。
 息子も塾を辞めたそうだった。
 そんな真愛を見透かしたように、大学生になった教え子に言われたのだ。
 息子にIお兄ちゃんに注意された事を話すと、
「I君。よく分かってるね。」
と笑った。
 それからちょっとずつ新しい親子関係に進んで行った気がする。

 思春期だからこそ、冷静になって相手の気持ちを考えた言葉や行動を取れる親でありたいものだ。
 相手の気持ちを考えて言葉を使う行動を取ると言うことは、思春期だけではなく、一生ものである。
 真愛という親は、子育てを通してたくさんの事を学び取らせてもらい、人間として成長させてもらえていたのだと思う。
 思春期を迎えるお子さんをお持ちのあなた
「パニックにならずに、あれはアレの時期!」

今はおばあちゃん



ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります