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子育てパニック 性教育

「ちっちぇんだよー。
      超可愛い💕
 我が息子が初めて我が子を見て、触った日に母親に言った言葉である。
 父母が小学校教師であったにも関わらず、我が息子に性教育をした覚えがない。
 父親である厚洋さんは、馬鹿がつく子煩悩だったが、恥ずかしがり屋で我が子への性教育をしている姿なんて見たことがない。
 真愛に対しては、変な性教育をたくさんしてくれた。女としては、厚洋さんに育てられたと言って良いだろう。
 母子家庭で、兄も早く自立して家を出た我が家では、男の人のことがよく分からなかった。
 教え子たちに言わせれば、
「先生はネンネなんだよー。」
と何度も馬鹿にされた。(今でも馬鹿にされる)
 そんな真愛が学校の性教育の学習を受けた後、家に帰って厚洋さんに聞いた。
「ねぇ。
 男の人にも初潮みたいに精通ってのがあるんです
 って!知らなかった。
 あなたはいつだったの?」
と、ちゃらっ!と聞いてムッとされた。
 だから、厚洋さんに性教育の話をしちゃいけないと思っていた。
 可愛い息子も10歳になって、自分の部屋を持つとお風呂にも一緒に入らなくなった。
 男の子の性教育は父親がやればいいと思っていた。
 学校では、職業に徹して論理的に説明するような性教育だった。
 しかし、歳をとるとは恥じらいもなくなるというか、性教育「命が生まれる」ことの素晴らしさと子どもを育てることの重要さ・セックスの在り方を関連して話せるようになった。
 快楽のためのセックスしか考えていないと、恥ずかしくて話せないが、「命の神秘・命を育てる」「命」「生きること」を考えるようになるとゼックスの話も変わってくる。
そう言えば、性教育の絵本を厚洋さんが買って来てくれた。

ぼくどこからきたの

 そう言えば、真愛の友達は親に叱られて
「あんたは橋の下から拾ってきた。」
と言われたらしい。
 叱られたことよりも、とても切ない思いをしていた。親は間違ってもそんな意地悪を言ってはいけない。
 真愛の母は、
「こんな子に育てた覚えはない。」
と言ったが、母親であることは否定しなかった。そして、
「あなたがそんな悪さをするのは私のせいです。
 世の中にお詫びしなけれいけません。」
と、直ぐに自殺を図ろうとした。
 やらせなのだろうが、真愛はとんでもない事をしてしまったと思い、
「もうしません。二度としません。」
と謝った。
「あなたはお父さんから任された大切な娘です。
 世の中のためになるように
 世間様に顔向けができないことはしないで
 ちょうだい。」
が口癖だった。
 行方知れずになってしまった父を母は、死ぬまで愛していた。
 真愛は、そんな母を誇りに思っているし、性教育なんか全くしてもらわなかったが、「命を愛する・命を守る」教えはしっかり受け継いでいると思う。
 子どもは男女が愛し合って「生まれる」のだ。

100000000匹の1匹

 この絵本の良さは、
「君は、一億匹の中の一番強い一番賢い1匹が、
 ママの卵子と一緒になった結果なのだ。」
という事を教えてくれる。
 これを聞いた子どもたちの感想は何度やっても同じ。
「僕は生まれる前には一億の中の一番だったのだ。」
と感動するのだ。世に出て、小学校の6年生になると、クラスでできない方になっているが、「一番の時があったのだ。」とびっくりするのだ。
 命とはそんなにも膨大な競争社会の中で勝ち残った素晴らしい物なんだという事だ。

男と女

 男と女の体の仕組みしか書かれていない教科書とは違って、どんな気持ちでセックスをするのか、どんな状態になるのかまで、子どもに分かる言葉と絵で表現されている。
 子どもたちは笑う事もなく、真剣に読み聞かせを聞いていた。

どこから来たのか

 学校の性教育学習の導入に使わせてもらったが、息子にもそれとなく読ませたのだろうか?

 息子は息子で、友達と色々❤️本を回しながら、自力で学んだようだ。
 自分の子供が生まれた時に、発した言葉は、なによりも相応しい性教育を受けていたと確信できる言葉だった。
「可愛いんだよ。ちっちゃいんだよ。
 俺、親父になったよ。
 子どもって凄いね。
 こんな小さい子が大きくなるんだね。
 母ちゃん、俺を産んでくれて、
 ありがとう!」

真愛の編んだセーターで

 泣きたくなるほど嬉しかった息子の言葉であった。
 子は親になった時に親の嬉しさや悲しさや苦労がわかるのだ。
 最近の若い方は、結婚を望まなかったり、子どもを必要としなかったりするらしい。その方の親御さんは
「子どもを持った時の幸せを知らせたい」
と思っているのかも知れない。
 性教育とは、「命」について考えられる事なのだ。
「命」とは「生き方」「他者の生命」をも考えることになるのだと思う。
 孫が生まれて1年後、厚洋さんが逝った。
「孫を見せてくれてありがとう!」である。

命のバトンタッチ

 お食い初めの時は、まだ元気だったので、嬉しそうな顔はしていたが抱くことはしなかった。
 落としそうで、泣きそうで怖かったようだ。
 初節句の時も孫は我が家にやって来たが、厚洋さんは動くことができず、椅子に座ったまま、見ているだけだった。
「よく泣く子で元気がいいな。」
と喜んでいた。
 厚洋さんが初孫にちゃんと触れたのは、
入院した病院のペットでのこと、自分の命が終わると分かっていた時が最初で最後だ。
 孫が帰った後、
「可愛いな。柔らかくって、優しい子だな。
 俺が触っても泣かなかった。 
 いい子に育てているんだな。」
と嬉しそうに笑った。
 息子が親父になった日だ。
 これで、安心して逝けると思ったのだろう。
 真愛は、「命のバトンタッチ」のシーンだったと思う。
 性教育とは「命の大切さ」を学ばせる学習であり、
「命を繋ぐこと」こそが、人間がやらなければならないことだと、今は思っている。 


 人として平等でありながら、男女の差異を認めて、互いに支え合って「神からの使命」を全うしたいものだ。
と思ったが、、性教育とはなかなか難しい。
 
 社会も成熟してきているので、「性」のあり方も違う。
 子どもが欲しくても出来ないカップルだってある。
 どうしてもセックスが出来ない人だっている。
 そのあり方も「愛する」ことは同じなので、一つだけの性教育なんてないのだと思う。
 
 しかし、快楽のみのセックスやお金目的で授かる命もある。
 生まれてきた子どもがネグレクトにあったり、
殺されたりする事件も聞く。
 子どもからすれば、親ガチャ失敗なんていう親もいる。(我が家もそれかな?)

 多様化した社会の中で、子どもたちに
「どのように性教育をしたら良いのか
「どのように人を愛する心を育てたらいいのか?」
 書きながらわからなくなってしまった。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります