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子育てパニック 献立

 以前、最初の緊急事態宣言が出た頃だ。
 小学校も休校になった。1年も前のことだ。
 その時、学校からのお便りの中に、給食センターからの献立が入っていた。
 男の子は、それをしげしげと見て言った。
「ああーあ。この献立、いいなあ。
 食べたかったな。」
 コロナ禍で学校に行けないことも切ないが、給食を食べられないことも切ないと言うのだ。
 給食を作っている栄養士さんや調理師さんに聞かせてあげたいエピソードだ。
 厚洋さんの教え子さんが「給食センターの栄養士さん」をしていて、隣の学校に厚洋さんが勤務していた事があった。
 彼女は一生懸命に栄養バランスを考えて、献立を作り、食材の費用も考慮して作っていたのに、
「もっと、美味いもの出せないか?
 薄味はうまくないよね。」
なんと、意地の悪い先生なんだろう。体のことを考えて塩分控えめ、バランス良く、調理による食中毒の出ないようにと考えてくれているのに。(本当に申し訳ない。
 しかし、給食の時間になると
「センターの先生方が安い値段で一生懸命考えて
 作ってくれているんだ。感謝して残さず食え」 
 と指導していた。
 今なら、問題になるが、ご飯が残ると、ふりか
 けをかけておにぎりを作って食べさせていた。
 真愛も真似をした。いい時代だったと思う。)

 真愛が子育てをしている時に、厚洋さんに
「お前の献立は、母さんは休み。
 カアサンハヤスミだなぁ。」
と言われた事がある。
 カレー
 アゲモノ・フライドチキン・コロッケ
 サンドイッチ
 ハンバーグ
 ヤキソバ
 スパゲティ
 ミ… 思い出せない。
 これらの料理は、作るのが楽で、子どもが好きな物なので、「ママの手抜き料理というわけだ。
「だって、魚の煮付けなんて食べないんだもの」
と言い返すと、
「それじゃ、体にいいわけないだろう。
 食ったものが体を作るんだ。
 良いものを手を掛けて作れよ。」
と正論を言われた。
(フンッ。自分は好き嫌いが多くて食べない癖に
 子どもと女房には、口うるさい奴め!)と思ったが口答えはできず、何日かは献立を立てて和食中心にした。
 しかし、子どもが残せば、親子喧嘩になり、嫌なムードが流れるので、家族の幸せのために、暗黙の了解で、彼らの好きな物を作った。
 厚洋さんのつまみ用の献立と拓(息子)用の献立だ。お母んとしては頑張ったのだ。

 拓が巣立ち、母が亡くなり二人暮らしになっても、朝食作りは、厚洋さんが。
  おつまみ作りと夕食は真愛が作った。
 その頃の老人家庭の献立は、
「まごわやさしい」だった。
 バランスの良い食事をするために取りたい食材から一文字ずつとり、
まめ 豆(大豆製品)、
ごま(ナッツ類)、
わかめ(海藻類)、
やさい 野菜、
さかな 魚、
しいたけ(キノコ類)、
いも(いも類)
である。一度の食事に全ての食材を取ろうという取り組みだ。
 厚洋さんは真愛の身体のことを考えて、作ってくれた。しかし、
「なんだか、毎日、同じ感じだなあ。
 ごめんな!」
と言ってくれたが、魚の種類も色々だし,お味噌汁の具も工夫してくれた。ただ、ほうれん草の胡麻和えと納豆は364日でた。(元日だけ、真愛のお節とお雑煮だから…。)
 真愛のおつまみノートは何冊もある。和洋中を考え旬の物を取り入れて、彼好みにするのは大変だった。
 一番困るのは、彼があまり食べないので、残り物を真愛が食べるので随分と太ることだった。

 さて、「食」は、一言では語りきれない人間にとって大切で不可解なものだと思う。
 子育てにおいての「食」は、心身の成長に重要な役を占めている。
 食事の献立を考える以前に、日々の食べ物にも困る子がいることは、国として憂えることだ。
(大きな命題なので、別のnoteで考えを述べたい。)
 このnoteは、献立について悩んでいるママに向かって、お馬鹿なお母んの失敗談とこれからちょっと工夫するコツを伝えたいと思ったのに、結局いつもと同じで、文脈バラバラに終わりそうだ。
 でも、頑張って、真愛が工夫したこと。
⓵食事は楽しくしたい。
 だから、子どもの好きな物を食べさせたい。
 その時に副菜とかスープ・汁物で、不足している
 栄養を補う。
⓶毎日の献立は、食材で決まる。
              夕食のみ
 献立は、一つの食材を和洋中で3日で使う。
(お金持ちの方はこんなこと考えなくていい)
 例えば、豆腐・挽肉・胡瓜・ハム・卵などなど
 1日目→麻婆豆腐丼・春雨の中華サラダ
     ワカメのスープ
 2日目→ハンバーグ・ポテトサラダ・野菜スープ
 3日目→サワーライス・炒り豆腐・玉ねぎ卵汁
 なんて、手を変え品を変えて、同じ食材で誤魔
 化す。(サワーライスは、楽で子供は好き。
     酢飯に胡瓜の塩揉み・炒り卵・焼鮭
     を混ぜる。鮭のフレークならもっと楽
 要するに、「今日何をしよう?」と考えるのも
 いいが、予め献立を立てて置くのもいいのだ。
⓷テイクアウトもいい。
 本来なら、外で食べるのもいいことだが、
 コロナ禍でいけないものね。
 そうそう!お惣菜を買うのだってあり。
 教員を母に持つ同僚が
 「俺さぁ。〇〇家のコロッケで育ったな。」
 って言ってた。我が家も同じだった。
 ママがたまに休まないといけない。
⓸パパや子どもと一緒に作るのも凄くいい。
 真愛は、亭主関白の厚洋さんが炒飯を作ってく
 れた時に【ベタ褒め】した。
 本当に美味しかった事もあるが、
「炒飯はパパのが上手。パパのが食べたいねー。
 って言ううちに、アレもこれも、朝食もお弁当
 もずーと作ってくれるようになった。
⓹給食の献立をベースにすると楽。
 栄養士さんが考え抜いて作った献立だもの、
 ちょっとだけ我が家風にすれば良い。

 誰かのために料理ができる楽しさを味わう事です。
 愛しい厚洋さんがいなくなって、一人ぽっちの真愛は、献立なんか必要なくなった。
「食」に思いを馳せることはとても幸せなのである。家族の献立を考えている人は、「とても若く見える。」それは、幸せだからだ。

 これを書いた後、白内障の手術のために入院した。そして、素敵な病院食を食べた。

 七夕祭りの献立だ。
 季節の行事に寄せて、短冊に書いてくれた一言。
「一日も早く良くなりますように。」
「無病息災」を願うお素麺の献立に添えて…。
 献立の根底にあるのは、「心」であると強く思った。

 また、緊急事態宣言だ。
 オリンピックをやると言う。何故だ?

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります