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ニャンコ歴

 猫から猫に新型コロナウィルスが感染するそうだ。ニャンコのためにも私が感染しないことだ。
 我が家には野良ちゃんも家ニャンコも良く来る。(このnoteでも公開したが…。)
 この家を建てた頃にも来た。
 その頃は、周り中が雑木林だったので、
「新しい住人が来たぞ。餌くれるかな?」
って感じで訪れたのだろう。
 大の猫好きな母は、「おいで!」と餌付けをしたが野良猫なので、しっかり射程距離を保って近寄らなかった。
 そんな母を見て、厚洋さんが教え子さんからもらって来たのが、

 初代チャーちゃん↑。
 家にニャンコがいても、我が家の人達は野良ニャンコに餌付けをした、全員が…。
この初代チャーちゃんが一番長生きして、母を看取ってくれた。9月5日、私が勤務から帰って来た時には、もう母は亡くなっていた。側にチャーちゃんがじっとしていた。
 そして、母の後を追うように逝った。 2004の5月だった。
 
 その後、学校で子どもが拾って来たのをもらって来た「ロシアンブルーのチャーちゃん」。
 そのこは、去勢もせず外にも出て行ったので、気が強く我が家の前でよく喧嘩をしていた。
 止めに入った厚洋さんが大怪我をしたのもそのニャンコの時だ。
 出血の酷さに「もう、駄目だ!」
と床に倒れ込んだ厚洋さんを見て「死んでしまう」と思ったほどだった。
 その後、二代目は家出をしたまま帰らなかった。綺麗な猫だったので誰かに拾われたかもしれない。(交通事故に遭った様子はなかった)
 
 その後2年近くニャンコのいない日々だったが、2人とも忙しく「猫が飼いたい」と言えなかった気がする。
 家に人が居ないと野良ちゃんも来なかった。来ていても会えなかったのかもしれない。

 三代目のチャーちゃんは、厚洋さんが退職してから我が家に来た。真愛の教え子から、
「子猫が生まれたのでもらって!」
と頼まれた。小さいうちにもらって厚洋さんの暇潰しに育ててもらおうと考えて、目が開いてすぐもらった。

 ミルクを3時間おきにあげ、おしっこもうんちも親のようにテッシュで促してあげたのは、厚洋さんだった。

 「親バカ」って言う言葉があるが、まさにそれだった。
 どこの猫よりチャーちゃんが一番賢いと思っていた。チャーちゃんもそれに応えるように
 鍵がかかってなければ色々な戸を開けた。立ってドアノブを下ろして開けた時には、「賢い」と思った。
 前のニャンコが去勢していなかったので家出をしたと思った厚洋さんは「可哀だ。男なのに?」と言いながらも手術をさせた。 
 真愛のお仕事の邪魔もたくさんしてくれた。

 厚洋さんは、比較的冷静な人なのに、3.11の時は、「チャーちゃんを抱いて裸足で逃げた。」と言って笑った。
 その頃から外に出るのを許すようになった。
何かがあったら「一人で生きていかれるように」と思ったからだ。
しかし、その年の夏。
 外に出る事を覚えたチャーちゃんは、交通事故に遭った。 
 厚洋さんは、チャーちゃんの亡骸を抱きしめ泣いた。そして、
「親が死んでも泣かなかったのに、
          涙が止まらない。」
と泣いた。そんな彼に、
「私が死んだら泣く?」って聞いたのを覚えている。 彼が何と答えたかは、(拙著「白い花にそえて」文芸社版)でお読みください。

 チャーちゃんが亡くなって、厚洋さんがペットロスになりそうだった。見ていられないと思った丁度その日の新聞にチラシが入った。
「JOYでペット祭り」
 厚洋さんには内緒で見に行った。
 沢山のゲージの中に可愛いニャンコがいっぱい。品定めをしていると真愛の好きな可愛いニャンコがいた。
 しかし、雌猫だった。今までのニャンコ全てが雄だ。「赤ちゃんを産んで捨てるのは嫌だったからだ。」でも、可愛かった触ったら離せなくなると思いながら見ていると、後ろから、
「可愛いな。」
と声をかけられた。厚洋さんだった。
「うん。でも雌なんだよね。」
と言いながら抱こうとするとチビニャンコは
厚洋さんの胸に飛びついた。
ー決まりだー
 チビニャンコは、四代目チャーちゃんになった。
 後で彼が言うには、「お前がペットロスにならないか心配だったので、可愛いのがいたら買おうかと思った。」らしい。
 結果的に真愛が選び、真愛が買った猫なのでチャーちゃんが粗相をすると
「お前の猫だろう?捨てるぞー」
と言われた。可愛がるのは真愛より彼の方が多かった。私は「厚洋さんのペット」だと思っていた。

 語れない程のチャーちゃんとの思い出を作って厚洋さんは逝ってしまった。
 入院して、会えなくなり、毎日「チャーちゃんはどうしてる?」と尋ねた厚洋さんだったし、彼のベットの横には、↑の写真を貼った。
 1日だけ帰って来た夜には、2人と1匹で一緒に寝た。

 四代目チャーちゃんは、初代チャーちゃんのよう祭壇の前から離れなかった。
 しかし、後追いはしなかった。
 厚洋さんが真愛を心配して連れていかなかったのだと思う。
 毎朝、真愛を起こし「ごあん」と言う。
 真愛が泣いていればちゃんと涙を拭いてくれる。チャーちゃんがいなければ生き直す事も出来なかったかもしれない。

 コロナ自粛で太って来た真愛に向かって
「お母んも太って来たよ!」
と、自分のお腹のタプタプを棚に上げて言う。
 
 最後までお読みいただきありがとうございます。
 もし、あなたに可愛い家族(ペット)がいたならば、是非思い出話を記録してみてください。あなたにだけの物語があります。
そして、彼等にどんなに助けられていたか、どんなに幸せな時間をもらっていたか気づき(すでに気づいているかな)感謝のムギュをしたくなりますから…。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります