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remoteでいいじゃん?

なんとかって言うクリエーターの人が言ってた。
「今、はっきり思うんですよね。
 リモートでいいじゃん。
 時間も空間も節約できて、お互いの自由を
 尊重できる。わざわざ会わなくてもいい。
 これからは、そうなっていくのかな?」
 
 本当?
 remoteでいいの?
 確かに、長い事、外出自粛でひとりで家にいると非日常に慣れてくる。
 最初の頃の「会いたい。誰かに会いたい。」と、気が狂う程のイライラが無くなって来た。
更に、外に出ないから節約になるなんて思ったりした。それは、「慣れ」による麻痺であって正しい判断ではないと自分には言い聞かしていた。 
 しかし、「これからは、リモートで良い。」
と言われて、「何かが間違っているのではないか。」それとも「これからの社会の変化に着いていけないのかも。」と複雑な思いになった。
 リモート飲み会・リモート旅行。
 リモート結婚式
 リモート診療。
 好きな人とのリモート○○○?
あり得ない!
 全てリモート。
 リモート恋愛して、リモート結婚式。
 精子と卵子は、体外受精され人工子宮の中で元気に育ち、リモート子育て・・・。
 確かに人間が誕生日しているのだから、人の世界だ。
 おかしい。間違っていると思うのは古い考え方なのだろうか。

 五感を持って誕生した人間だからこそ
 「触れ合うこと」による大切な感情の感受が必要なのだと思う。
 私は、これからの人間にならなくていい。
「髪を撫でられ・抱きしめられる」ことで、語られる数倍の愛情を感じる人間でありたい。

 リモートやパソコンで済む事もあるのは、大いに認める。このnoteだって不特定多数の方に向けて発信する。
 出版するよりずっと早くずっと安い❣️
 絶対に面白い「書き修行」が出来る。
 真愛は、Kindleアプリも入れたので、電子書籍も面白いとは思う。
 
 しかし、
「リモートで、いいじゃん。」
が許せなかった。

 その反発だった。
 毎年、購入に行っていた枇杷屋さんに行った
何も行かなくても、電話注文も発送もしてくれる。
 しかし、元気な頃の厚洋さんと「デート」代わりに毎年出かけていた事を思い出して、同じ道を走った。 
 亡くなって一年も経たない去年も海の見える枇杷屋さんに行き、奥さんに話を聞いてもらって泣いた。
 今年も、厚洋さんのことを話してウルウルした。拙著も貰って頂き「頑張ったね。」って言ってもらった。
 枇杷屋さんにも昨年の台風で何本も木が折れ大変だったと言う。
「台風に耐えた木の実」である。
 決して、リモートでは分かり合えないことである。電話注文では、絶対に本を渡せた嬉しさは、味わえなかった。

 まだ、雲は残っていたが、夏に向かう空や波を感じた。
 初夏(はつなつ)。

 厚洋さんと教材研究をした
「はまひるがおの小さな海」今西祐行作
のハマヒルガオを見つけた。
 リモートでは、発見できなかった花だ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります