結婚記念日
44回めの結婚記念日だ。
厚洋さんが亡くなって2回めのひとりぼっちの記念日だ。
41回め4月29日の日記にも「厚洋さんがスイカを買ってきてくれた。1年目の日と同じだね。」と書いてある。
毎年この日には、厚洋さんが必ずスイカと宝石をプレゼントしてくれた。
真愛は、スイカが大好き、最後の晩餐で食べたい物はスイカだ。独身時代のこと。嗅覚の効く真愛は、スイカ🍉の匂いは、部屋に入って直ぐわかるので、職員室に帰って、「あっ。スイカ食べたね。私の分は?」って要求して笑われた。スイカを食べさせておけば静かだった。
45年前の4月29日。
真愛は、花嫁さんだった。大好きな厚洋さんと一緒になる嬉しさとみんなの前に出る恥ずかしさとでドキドキしていた。
お式も終わり、写真撮影も終わり披露宴。
きっちり着せられていた花嫁衣装・重い文金高島田。朝早くから準備したので、苦しいのとドキドキで何も食べていなかった。そんな真愛の前に、当時では珍しい春のスイカがデザートとして並べられていたのだ。
偉い先生の話もお友達の話も耳に入らないほど「スイカ」が気になった。
前日、厚洋さんに「花嫁さんが大口開けて食べるなよ。」と笑われたので、食べられない事が切なかった。
打掛から色振り袖にお色直し、教え子さんからのメッセージと花束をもらって次のお色直しに戻るとき、小学校からの親友が
「マコちゃん。喉乾いたでしょ?お腹も空いてるよね。控室にスイカとサンドイッチ置いとくからね。」
と言ってくれた。天使の囁きだ。
次は、ウェディングドレスになるので、髪をセットする為厚洋さんより早く出た。
自分でも可愛いドレス姿になり、控室に戻った。写真撮影のために厚洋さんも着替えが済んでニコニコしていた。
「何だか変だな。楽士みたいだ。」
「大丈夫。さっきの噺家みたいなのよりずっと似合ってる」と言いながら、幸せとスイカ🍉の匂いを強く吸い込んだ。
が、スイカがない。
「ね。ここにスイカなかった?」
「ああ。あったよ。」
白いデザート皿の上には赤い汁と種が残ったスイカの皮が載っていた。
「どうして食べたの?なんで?真愛のなのに」
「なんで?いっこちゃんが真愛の為に置いといてくれたのに!」
「あっ、そうだったの?
喉乾いてて、美味しかった。ごめん。」
花嫁さんは泣きそうだった。
嫁ぐのが悲しいのではない。スイカを食べられてしまった事が泣きたかった。
腕を組んで歩きながら
「真愛もスイカ食べたかったの」
って言った。
結婚式の写真が出来上がり、アルバムに貼るときに、あの時の「スイカの種」も貼り付けた。
そして、恨めしそうに「スイカ食べたかった。」と言った。
そして、翌年の結婚記念日。
4月29日(天皇誕生日)
厚洋さんは、スイカに顔を描きリボンも付けてプレゼントしてくれたのだ。
甘い愛の囁きはない。
「ホラ❣️好きだろう⁉️」
でも、真愛は抱きついて喜んだ。厚洋さんでは無くスイカにいっぱいキスをしたのを覚えている。厚洋さんが「スイカにか?」と言った事も
それから42回も毎年、必ずスイカ+○○は、続いた。本当に幸せな真愛だと思う。
恥ずかしがり屋でもロマンチストな厚洋さんのお嫁さんで良かった。
昨年の4月29日。
「結婚記念日。ひとりでスイカを食べます。」と、日記に書いてある。
更に、「厚洋さんのお嫁さんにして貰って、本当に幸せでした。ちゃんと伝わっているのかな?病院でいっぱい言ったからちゃんと伝わってるね。だから○○○してのだものね。」(拙著「白い花にそえて」命がけの恋 文芸社版)
と書いた後。
「今、真愛そのものが厚洋さんです。もっと文才も分けてくれれば良いのにね。」
とも付け加えられている。
小学校三年生から書き始めた日記。
途切れ途切れで、最高に幸せだった結婚から数年は「幸せだと詩が書けない。」と記されている。
結婚記念日の今日、改めて思ったことは
「書き残すことの大切さ」だ。
思い出は時の流れにクルクル揉まれ、千切れて薄れて無くなってしまうけれど、書き残すことによって「色鮮やかに蘇る思い出」となる。
厚洋さんと一緒に「結婚記念日」のお祝い。
「あなたのお嫁さんで幸せでした。今も厚洋さんが大好きでいられる幸せをありがとう。」
スイカの匂いも甘さも素晴らしい!
まだ、嗅覚も味覚も異常をきたしていない。
「厚洋さん。守ってくれて有り難う。」
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります