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自然が造る幾何学模様

 自然が作り出した「規則的な模様」を見た時、神様っているんだなあと思う。
 何年も植物の花の絵を描いて来た。
 蘭の花の絵を描いていた時に厚洋さんに言われた事がある。
「不思議だな。
 花の形には、植物も動物も同じような形を
 持っているんだな⁈」
「?…。??」
「ほら、見て!
 ここの部分。そっくりなんだぞ。
 お前の…。」
 なんて嫌らしいのだろうと思ったが、そうなのだという。自分では確認のしようがない。
 そう言われてみると、蘭だけではない。
 花といわれる部分には、「祈りを捧げている様な、両手を合わせている様な」形が多い。
 動物も植物も自然が創り出したものの多くは対象なものが多い。線対象だったり、30度の点対象だったりする。
 だから、美しい図形なのかもしれない。
 見出しの写真は、矢車草の苗を買って来て植えてから、1ヶ月ほどした頃の上から撮った写真だ。
 ちょうど、「花の本当の美しさは上から見た時のものだ」という話を読んだ日にチューリップを撮影しに行って、見つけた。

上からのチューリップ
矢車草

 なんとも美しい形である。
 デザインしてできたものではなく、自然が作り上げたこの時期にしか見られない美しい形なのだ。
 人が手を加えたものではない形の美しさ。
 神様。
 それは、自然なのだと思う。

最初の一輪

 花が咲いた。

❣️

 外では、花の方が重くて、花茎が下がってしまう。細い首には水が届きにくいのかもしれない。
 花が咲いたら、玄関の一輪挿しに挿すことにした。

端午の節句
❣️

 美しい形である。
 葉の造形も素晴らしく、花になっても素晴らしかった。
 雌の部分も雄の部分も神の様であった。

我が家の野薔薇

 我が家の野薔薇が5年ぶりに見事に咲いた。
 厚洋さんが、お地蔵様の横から失敬して来た枝を挿木にした。
 鉢の中に挿している間は、幹が太くならず畑の隅に移植をしたら凄い勢いで育った。
 移植したのは、彼が亡くなった翌年だから、畑に下ろしてから2年目になる。
 彼が野薔薇を取って来てくれたのは、真愛が白い花の絵をたくさん描いている時だった。
 以前廃校になった勤務校の講堂前に咲いていた花が可愛くて、取ろうと思ったら「棘」に阻止され断念したことを話したからだ。
 彼は軍手を持って鳥に行ってくれたが、肘の方まで荊棘ガキになっていた。
 あの時、嬉しかった思いをちゃんと伝えていたのか良く思い出せなくなっている。
 しかし、あの時の幸せな時間と共に正確な5弁の花びらが真っ白な香りを際立たせる。

我が家のラベンダー

 ラベンダーも咲き始めた。
 このラベンダーは10年の古木である。
 3本買って来た苗を鉢で育て、プランターに移植し、畑を作った時に日の当たる東側法面に移動した。
 斜めの場所が良くなかったのか、枝はどんどん垂れ下がり駐車場を作った頃から咲かなくなって来ている。
 少ないながら健気に咲くラベンダーの花も不思議な形である。
 正確に互生している葉の様子は模様であり、花先のウサギの耳のような花びらがなんとも可愛い。 
 花が可愛い。
 香りが素晴らしい。
と思っていたラベンダーだったが、「自然が創り出した幾何学模様」の観点で見ても面白い。
 このnoteを書いている部屋から見える「柊」の新芽は

柊の新芽

 厚洋さんが見ていた頃の葉と同じ形をした可愛い棘を持って天に向かっていた。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります