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穀雨 新緑 雨の音

 4月20日が穀雨だと言う。
 太陽黄径30度「清明」から数えて15日目頃。春季の最後の節気。
 それまでには、5日ほど早いが「春雨」が降った。いや、「雷も鳴る豪雨」だった。
 「穀雨」は、春雨が百穀を潤すことから名づけられたもので、雨で潤った田畑は種まきの好期となる。
 この時季に、特に雨が多いというわけではないが、穀雨以降、降雨量が多くなり始めると言われる。
「清明」になると雪が降らなくなり、
「穀雨」になると霜が降りることもなくなる
という言葉があるようだが、我が家はまだまだ朝晩はストーブがないと風邪を引く。
 南の地方ではトンボが飛び始め、冬服やストーブとも完全に別れる季節だそうだ。
昔から、この日を田植えの準備をする目安にしているようで、我が家の周りの田んぼでも水が張られ夜は美しい湖になる。

↑ここが田圃なのだ。
 コロナ禍になる前に行った伊勢湾の夜景も美しかった↓が、我が家の田圃の夜景↑も「穀雨」前夜は最高である。

 夜の美しさの話になってしまったが、雨後の新緑が美しかった。

「新緑」とか「青葉」は夏の季語だと思うが、その柔らかそうな若芽の美しさは、「穀雨」の前だと思う。

 猫は日向よりもやや涼しい所を好むようになり、外は若葉が香り始めている。

 小さな可愛い若葉の先が紅に染まっているのも良い。
 紅の二尺伸びたる薔薇の芽の
       針柔らかに 春雨の降る
 真愛も厚洋さんも好きな正岡子規の歌だ。
 芽吹きの最初は紅が多い。
 冬を越して来る芽は、茶色で木肌のような色をしているが、ちょっと芽の先が割れて出てくる葉の多くが薄紅色であり、とても色っぽいことを今年、発見した。

 山椒の芽もそうだったが、今は、花が咲きそうになっている。

 これは、春から赤い紅葉の「イロハモミジ」だ。秋にも鮮やかな赤になるが、芽吹き直後の「モミジ」は、独特の柔らかい紅である。

 具合の悪くなった厚洋さんが、家から出なくなった頃だった。
「野薔薇が咲いてたよ。
 白い花だ。書くんだろう?」
と、引っ掻き傷をつけた手で手渡された。
 描き終わった野薔薇を挿木にした。
 その野薔薇が今年は大きく育ち可愛い花芽をつけている。
 まだ若い野薔薇でも、針は柔らかくない。
 花芽がついているから、結構な大人なのだろう。折られないように針は小さいが尖っている。
 しかし、葉の先端はまだ若い。
「若い」ことは、「柔らかい」のだ。
 人も同じだ。
 年をとって、人の言うことを聞かなくなった大人の心は、自我でガチガチに硬くなっている。年をとると「硬く 頑なになる」のだ。
 柔らかな美しい若葉を見ながら、
「年をとっても、
 人の言葉に耳を傾け、
 新しいものにも柔軟に対応できる
    柔らかな心を持った人でいたい。」
と思った。
 若いって良いなあ。
 柔らかいって良いなあ。
 


ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります