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価値観

 2年ぶりのクリーンデーだった。
 毎年、5月30日前後に「ゴミゼロデー」として、地域の道路に捨てられているゴミ拾いをしたり、溝掃除をしたりしていた。
 このコロナ禍で2年間もやっていなかったのだ。
 我が家では、厚洋さんが元気な頃から、この日の前までに、家の北側の土手を先に掃除してしまっていた。
 厚洋さんも真愛も草刈機でサッパリ刈り取ってしまっていたのだが、退職してからは、
「人が通る土手に
 山野草が群生したらいいだろうね。」
と厚洋さんが言い出して、「紫陽花」や「ホタルブクロ」や「野紺菊」を移植し始めた。
 当然、草刈機ではなく、手刈りで綺麗にして他の人に刈られないように気をつけたのだ。
 厚洋さんが移植してくれた「ホタルブクロ」は
彼が亡くなった翌年沢山の花をつけて、可愛く群生した。
 その写真を「毎日が発見・ガーデニング大賞」に応募し「銀賞」を受賞した。

褒めてもらった土手


 その翌年は、コロナ禍だったので、真愛の手刈りで綺麗にしたが、土手の腐葉土が流れてしまって下の方にしか咲かなかった。
 山野草の群生地を作ることはとても大変なことなのだ。
 我が街の「カタクリの群生地」が手入れができず、乱獲もされて消失しまったと言う話を聞いたことがある。
 どこの山野草もテレビに出る時は素晴らしい咲っぷりをしているが、そこに至るまでの苦労は並大抵ではない。殆どの人はそれを知らないのだろう。
 ただ「美しい!」「綺麗だわあ!」「メルヘンの世界ね。」なんぞと宣うていらっしゃるのだ。

 今年も、我が家の北側の土手は1週間ほど前に、落ち葉掃きをした。草刈機が入らないようにだ。
 そして、土手には「雪の下」と「ホタルブクロ」と「野紺菊」「紫陽花」を残して、シダや笹を手刈りした。
 今年は、なんとか移植しなおしたこともあってホタルブクロも咲きそうであった。
 更に3年間も定着しなかった「雪の下」が可愛い花を咲かせそうになっていた。
 掃除が終わったら写真を撮らなくてはと思っていた。
「紫陽花」は、右折する時に除魔にならない程度に、昨年大きく刈り込んだから、花芽を持たせたまま残した。

ホタルブクロの咲く道

 8時に集合して、ゴミが少ないので、右折した方の土手は落ち葉が積もっているので、全員での大掃除になった。
 真愛は、一輪車で何度も往復した。
 大汗をかいて作業をし、1時間ぐらい経った頃だろう。
「切れ目の良いところで、終わりにしよう。」
ということになって、我が家に入ろうとすると、

 なんと、大切に手刈りをしていた場所が、全て草刈機で刈られてしまっていた。
 草刈機を持っているので、やってあげようと思って買ってくれたのだと思うが、つい、
「あっ。全部苅っちゃったの?
 雪の下を大事にとって置いたのに…。」
と言ってしまった。
 草刈機を使った男性は
「すみません。気がつかなくて。」
と詫びてくれたのだから、我慢すれば良かったのだが、側にいたその方のお母さんが言った。
「知ってる!雪の下ね。あったね。」
と言った後、
「曲がる時、紫陽花があって見えにくいから、
 花が終わったら刈ろうと言ってたの。」
と言う。
 雪の下なんて、地面にへばりついて生えているので何も邪魔にはならないはずである。
「紫陽花は切ってしまってもいいですが、
 雪の下は低いので…。
   ホタルブクロの咲く道を作りたかった…。」
と言いながら思った。
(真愛の思う『山道の美しさ》とこの人
 の《美しさ》は違うのだ。)と。

 野の花の美しさを好む真愛や厚洋さんは特別な人なのかもしれない。
 「雪の下」も「大文字草」も雑草で、草刈機で切ってしまって当然なのだ。

大文字草
ドクダミの花

 だから、ドクダミを育てるなんてことをするのは「お馬鹿」なことなのだ。
 ドクダミを描くなんて考えられないのだ。

ドクダミの絵

 そのお母さんの花の価値は「金額」で決まるらしい。

これは雑草なのだ

 このnoteを書いていたら、気持ちが落ち着いた。
(イライラしている時は、それを書くといい。
 書いているうちに気持ちが整理されて来て
 なんだかホッとする。
 noteは真愛の精神科医さんである。)

で、価値観の相違であるという考えに至った。
 価値観とは、
「どんなことに価値を見出すのか」といった、人の考え方である。「物事の考え方」と言ってもいいだろう。
 星野富弘さんのように
「名もなさそうな小さな花」から「生き方をもらう方もいれば、前述のお母さんのように「雪の下」や「ホタルブクロ」は!雑草なので草刈機で全て刈る邪魔物と嫌う人もいる。

「どう生きるのか」も価値観によって変わる。
 人生において、何を重視するのかといった重大な局面でも、その人が何に価値を感じるかで大きく変化するのだ。
 価値観は人それぞれで、みんな違うことが当然なのだ。どのような価値観を持っていても、間違いとは言えない。
 死ぬほど嫌な人ならば、そう言う価値観からは逃げればいいのだ。
 違う考え方を持つ人と交流するには、相手の価値観を受け入れることが大事なのだ。
 地域の人だから、逃げることはできないから、「この人はそうなんだね。」って思うしかない。
 似たような環境で一緒に暮らしている家族でも、違う価値観を持っているのだから、隣人なら尚更である。
 価値観はこれまでの経験や環境、性格などさまざまな要因で決まるからなのだ。
 真愛とまったく同じ環境にいて、同じ経験を持つ人は存在しないのだ。
 自分の考え方が一般的であると思い込まず、人はそれぞれ違う価値観を持っていて当たり前なのだ。

 となると、厚洋さんと「同じ価値観」だったと思えるのは、厚洋さんが真愛に対して、本当に寄り添い続けてくれていたと言うことだ。
 いや、真愛も大好きな厚洋さんの考え方は、納得するまで聞いた。できるだけ寄り添いたかったのだ。

 夫婦間でも問題となりやすい価値観である。
 もともとは他人である男女が夫婦として同じ家で暮らすと、価値観の違いによる戸惑いも生まれ、すれ違いも起こる。
 結婚してから、あまりにも価値観が違うと別れの原因となることもある。
 真愛と厚洋さんのように、燃え上がって、お付き合いし始めて2週間で結納、4ヶ月で結婚したような2人が、良くぞ43年も持ったものだ。
 お互いの気遣いというより、厚洋さんが精神科医のように真愛に寄り添ってくれていたと思う。(愛されていたんだねぇ。と惚気たい!)

 真愛が調べたサイトでは、
「夫婦間では、お互いに価値観のズレを感じることで問題が生じる。
 例えば、お金の使い方に関する価値観が異なる
 と、トラブルのもとになる。
「貯金はしなくても楽しく暮らせれば良い」と
 考える人と「毎月一定額は老後のために貯め
 なければならない」と考える人では、生活費の 
 使い方で問題が発生しかねない。」
と言う。真愛なんか「給料袋なんか見たことがない。」彼のお給料は彼が使いたいように使った。
 生活費は真愛のお給料で賄った。
 それでいいと思っていた。
 そうだ。この話を同僚にした時
「考えられない!」
と言われた。価値観が違ったのだ。

 サイトには、
「趣味や仕事など、何を優先するかで不一致が
 起きることもあります。
 価値観がズレていても夫婦生活は成り立ちます
 が、お互いに相手の価値観が受け入れられない
 と、いさかいや問題が起こりがちです。
「あなたの考えはおかしい」と一方的に決めつけ 
 ると、相手を精神的に追い詰めることもある
 かもしれません。」
 真愛たちは、その趣味や仕事に対する価値観が似ていたから良かったのだ。
 夫婦でも、友人関係や仕事でも、自分の価値観が正しいと考える人は、ほかの価値観を受け入れられずに、相手に自分の価値観を押し付けてしまうのだ。(真愛のような人だ。)
 個性的なファッションをしている人に対して、「そんな派手な服を着ているのはおかしい」
と言い切ってしまうのも自分の価値観の押し付けで、真愛はよくそう言われたし、厚洋さんもそうだった。
(変わり者の2人だったので、気が合ったのだ。)
【山野草を刈られた】ことで、厚洋さんが真愛を愛してくれていたこと、真愛が厚洋さんを本当に好きだったこと【最高の相性】だったことを再確認することが出来た。
 これもあるべきしてあった『ご縁』だったのだ。
 さて、どうしても受け入れられない価値観の相違が出てきたときは、自分の考え方を柔軟にするのも1つの方法だそうだ。
 相手の意見をすべて受け入れる必要はないが、違う考え方もあると理解するだけでも気持ちに変化が生まれるという。
 確かにそうだ。
 真愛のこの変化がそうだからだ。

 本を読むのもいいようだ。
 さまざまな登場人物が描かれる本には、それぞれ価値観の異なるキャラクターが登場する。
 本の登場人物は、自分とは異なる価値観を持ち、動いているので、多くの本を読み、登場人物の心情を理解しようと努力するうちに、他者の価値観を認められやすくなるらしい。
 人は、許容する多くの価値観を知る作業も必要なのだ。
 物語だけでなく、人生の指南をしてくれるハウツー本なども役に立つ。
「仕事ができる人の考え方」や「人とコミュニケーションを取る方法」などを学ぶことで、価値観を知るだけでなく自らの成長の助けとなると言う。
 ハウツー本を書き、山ほどの本を読んでいた厚洋さんが、真愛の価値観も許容してくれたのかもしれない。
 彼の度量が大きかったのだ。
 そして、彼は言った。
「逃げるのも手だ!」と。
 真愛から逃げないで、ずっと一緒に居てくれて、
「お前が一番好きだった❣️」なんて言われたのだから、真愛は最高の人生を夫・厚洋さんと過ごしたことになる。

教師とは思えない2人だった

 少し大人になった出来事だった。
 すでに老人なくせに、まだまだ伸び代が残っていると思う真愛である。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります