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時の記念日

 6月10日は時の記念日である。
 歳を取ると時の流れが早く感じる。それは当然な事で、「ジャネーの法則」という。
 この法則は「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」ということ。
 歳を取るにつれて自分の人生における
「1年」の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が早く過ぎると感じるということ。
 1歳の時に感じた1年を1/1とすると、2歳の時の1年は1/2「逆数」に比例することとなり1歳の時の2倍速く感じるようになるのだ。
 3歳になると3倍早くなるので、
1年は約122日くらいの体感なのだそうだ。
 真愛は、2歳の時の記憶が無いので分からない。
 しかし、2歳の体感と今の体感を比べると2歳の時は1年が138日だったのが、今は5日で終わっているそうだ。
 100歳になったら「じぁーね。」なんて手を挙げているうちに1年が終わるのだ。
 まあ、歳をとって苦しい365日だったら生きる気力なんて無くなってしまうから、あっという間に過ぎれば良い。
 しかし、体感は短くても、現実は生活費がしっかり365日分掛かるので苦しい。

 ジャネーの法則については、このnoteのどっかに書いた気がするが、認知症なのか、公開記事が多くなくたのか、どちらか分からないが見出しすら思い出せない。
 とにかく、一年があっという間に過ぎる。
 2024年ももう半年が終わろうとしているのだ。

我が家の和時計

 我が家には、厚洋さんが作った「和時計」がある。いつもは2階の書斎(本の部屋)に置いてある。
 6月になると降ろしてきて、玄関に設えたのは、厚洋さんがいる時。
 彼の嬉しそうな顔が見たかったので、両手に抱えて階段をお尻で降りながら移動させた。
 厚洋さんが逝ってしまい、喜んでくれる人がいないと移動させなくなった。
 時々分銅を上げて振り子を動かす程度だった。
 だが、今年は玄関まで下ろしてきた。
 6月3日で、厚洋さんが逝った年齢と同じ人なってしまったが、厚洋さんは迎えに来てはくれなかった。
「まだ、生きてて良いぞ!
 やり残した事があるだろう。
 途中で辞めるなよ。
 楽天的なお前の良さでもあるが
 自分をそこまで!
 と決めつけるのは勿体無いだろう。
 また、生き直せ!」
と言われたようで、和時計を玄関に下ろして分銅を引っ張り上げたのだ。
チャッ。チャツ。チャッ。チャツ。
チャッ。チャツ。チャッ。チャツ。
とどうも不規則な音がする。
 真愛の不整脈のような規則正しい不規則な動きをする。
 厚洋さんがこの和時計を作ったのは2012年
すでに12年も経つのだから、歪みが出てもおかしくない。
 そもそも、出来上がって数日で
「なんだかおかしいぞ。
 この時計な、
 分銅も振り子も動くんだけど、
 針が回らないんだな。」
「あら?
 見てくれは最高なのにね。
 時を刻まない時計もいいんじゃない?
 若いまんまだもの。」

 褒めたつもりだったが、だいぶ傷ついていたようだった。
 彼の作ったリャゴスティーニの作品で、しっかり出来て凄かったのは、「ランボルギーニ・カウンタック」の赤い車だ。最高の出来だったので、葬儀の時の「厚洋さんコーナー」に飾った。(担当の葬儀会社の方がとても良くしてくれてので、子どもさんがいるというのであげてしまった。)
 道後温泉旅館も安土城も上手だったが、場所をとったので、数年経つと自分で解体していた。(真愛も解体作業に楽しく加わるのだが、厚洋さんはちょっと悲しそうだったな。)
 バイクも機関車もjeepも作ったが、動かないことが多かった。
 今残っているのは、「和時計」「政宗の鎧」
「Atom」は、作り終えずに逝ってしまって、続きを作った真愛はプラモデルの作り方が分からず、結局「Atom」は動かない。
 だから、変なリズムでも動いているのはこの「和時計」だけなのだ。

時を刻む

 変則的な音だけれど、時を刻む音を聞けるのは嬉しい。
 その音を聞きながら、この日になると彼と「時計」についてたくさん話した事を思い出す。
 小学校の教員同士だったので、小3の説明文のなかに「時計の話」があり、教材研究をしながら大脱線をするのだ。
「日時計」の始まりを読みながら、マヤ人が作った神殿には、春分と秋分で蛇だか龍だかが登るんだとか。
 時を刻むということは、天体の動きが分かって無いとできない凄い事なんだとか。
 日本にも時計があって、「線香時計」とか「水時計」とかで時を測っていたというクダリを検証しようとお風呂場にバケツや洗面器・お鍋まで持って行き時を測った。
 線香時計は意外に簡単で、見る事を忘れなければなかなか正確に時を知ることができる。
 線香時計のチリン♩という鈴が落ちる音が好きだった。
 この和時計も本当は鈴で時を知らせるはずなのだが、聞いたことはない。

 時を告げなくなった時計が
 ただひたすらに動いている

 動いている事が時を刻んでいる証
 動かなくなっても 
 そこにあるだけで
 思い出を刻み続けている


 気がついたら、針が一回転していた。
 3日前に見た時は、下を向いていたのに、真愛は写真を撮るのを忘れた。
 くる時を待つことは出来るが、逝ってしまった時は戻せない。
(この和時計の針を操作する
       手立てがわからない。)
 今の真愛には、厚洋さんの和時計が
      お似合いなのかもしれない。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります