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777日 柊の花

 厚洋さんが亡くなって「777日」とってもいい日だった。延期されていた「さだまさしさんの市原市民会館でのコンサート」は、感染症が拡がっている地域なので中止。寂しい思いをいていたのだが、「まさしんぐWORLD」(ファンクラブ誌)が届き、真愛の送ったイラスト「柊の花」が掲載された。

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 柊の花は、今が盛りと咲き、さださんの詩の通り「宵闇の手探りの中でこそ、仄かに匂う柊の花」である。
 金木犀と同じ「モクセイ科」。

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母は、柊と呼ばず銀木犀と呼んでいた。柊は節分の時鰯の頭を刺して鬼を誘い込む木と言うイメージがあったので、呼びたがらなかった。
 金木犀より柔らかいあの香りは銀木犀と呼ぶに相応しいと思っていた。

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宵闇の手探りの中でこそ 仄かに匂う柊の花
誰も居ない 秋の終わりに咲いて、冬とすれ違いに逝く花
 真愛が初めてこの歌を聞いた時、歌よりもバイオリンの素晴らしさに涙が出た。

 勿論、作曲者が素晴らしい旋律を作ったのだから、さださんの素晴らしさはわかる。
 しかし、彼の曲の多くが素晴らしい編曲で演奏された時、何百倍にも素晴らしくなる。「さだ工務店」と称される方々だが、誰をとっても魅力的だ。この曲は渡辺俊幸さんの編曲だった。
 そして、あの柊の花の香りに相応しい柔らかく、澄んだ秋から冬にかけての空気の音を奏でているのは、澤和樹さん(東京藝術大学学長/バイオリニスト)だと、解説書を呼んでびっくりした。
更に、澤さんの名器“ガルネリ・デル・ジュス”で演奏されたと言う。ストラディバリウスというお高い楽器がある事は知っていたが、名器ではなく弾き手が凄いのだと思った。
 全くのど素人が聞いていて涙が出るのだから、何かの魔法をかけるのかもしれない。生で聞けたらどんなに素敵かなと思った。
 でも、さださんのあの歌詞がなかったら泣けなかったのかもしれない。
 初めて聞いた時は、「誰も居ない末の秋に咲いて 冬とすれ違いに行く花」の部分を「行く」ではなく「逝く」と聞き取ったため、「金木犀の咲いた日に逝った厚洋さんのことが重なり」すれ違いに逝く思いの切なさに泣けた。
 また、厚洋さんは夜の踏切で遮断機が降り、その前を電車が通過すると、決まって「夜汽車を見ると切なくなるし、何処かに旅をしたくならないか?」と必ず言った。真愛も「夜汽車の音は切ない。窓の明かり乗っている人の思いが辛い。冬の夜汽車は涙が出る。」と言った。
 その会話によく似た歌詞
終列車が鉄橋を渡る音 秋風の気紛れなカデンツァ 明日は木枯らしが吹くらしいと 遠い窓の灯りが言う
 これにも涙がポロポロ溢れてきた。
 そして、厚洋さんを疑うという「愚かしい過ち」をしてしまった真愛。亡くなった厚洋さんが穏やかでありますようにと願う真愛。と重なる歌詞。
 夢の中で厚洋さんが
「ひとり寝は辛いな。俺が必ずそばにいるから、大丈夫だよ。」
と言ってくれた事。それが本当であるような歌だった。
 辛い夜を過ごすあなたに いつか本当のさいわいを 届けることが出来ますように 私に許されますように・・・。

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 厚洋さん。あなたが逝って777日目。
 いいことがありました。
 白くて可愛い柊の花が、柔らかな香りで真愛を包んでくれています。
 真愛は、幸せです。
 ありがとう。

 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります