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白露なのに 重陽の節句なのに

 落葉松の 月影寧き 白露かな
         根岸善雄  馬酔木 20
 忌日とは やがて思ひ出 白露かな
         稲畑廣太郎 ホトトギス   
 正岡子規の「糸瓜忌」

 次の俳句は 正岡子規の『絶筆』の三句。
『糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな』
『をとゝひの糸瓜の水も取らざりき』
『痰一斗糸瓜の水も間にあはず』

「忌日」は「糸瓜忌」何だろうか?
 高濱虚子、河東碧梧桐、内藤鳴雪らが選者だった句集にあった。

 「白露」なのに暑い。
 露なんて見られないほどカラカラだった。
 草取りをしたら熱中症にかかりそうだった。
 颱風後のフェーン現象なんだそうだ。近くの中学校では、体育祭の練習をしていたが、先生方がマスクをつけてテントを、張っていた。
 暑そうだった。

 今日は重陽の節句。  
 旧暦の9月9日だから、本当は、10月だね。

  ー菊の節句ー
 9月9日は五節句の1つである「重陽の節句」。「菊の節句」とも呼ばれ、菊酒を飲んだり、栗ご飯を食べたりして無病息災や長寿を願った。
 最近はあまりなじみがない節句ですが、旧暦を使用していた頃までは五節句を締めくくる最後の行事として盛んに行われていたそうだ。
 我が家では、必ずやった。
 お酒好きな厚洋さんのためだ。
 重陽の節句の行事食を作って喜ばせた。

 ー重陽の節句の由来ー
「重陽の節句」は平安時代の初めに中国より伝わり、古来中国では、奇数は縁起が良い「陽数」、偶数は縁起の悪い「陰数」と考えられた。
 陽数の最大値である「9」が重なる9月9日を「重陽」と呼び、節句の1つとしたのだ。
 旧暦の9月9日は、現在の10月中旬ごろにあたり、まさに菊が美しく咲く時期なので、
 菊は「仙境に咲く霊薬」として、邪気を払い長寿の効能があると信じられていた。
 菊を行事に用いたため、重陽の節句は別名「菊の節句」とも呼ばれている。
 重陽の節句では、菊の香りを移した「菊酒」を飲んで邪気を払い無病息災や長寿を願ったのに、厚洋さんは若くして逝ってしまった。

 日本では、平安時代の初めに宮中行事の1つとなり、菊を眺める宴「観菊の宴」が開催されたり菊を用いた厄払いなどが行われたりした。 
 時代とともに菊の風習は庶民の間でも広がり、江戸時代には五節句の1つとして親しまれる行事になった。
  ー重陽の節句の料理ー
 栗ごはん
 3月3日の「桃の節句」に食べるちらし寿司や、5月5日の「端午の節句」に食べる柏餅のように、重陽の節句にも「行事食」がある。
 行事食とは、1年を通して自然の恵みに感謝し、伝統行事や祭りの際に食べる食事。
 だから健康祈願の意味も含まれており、旬の食材が取り入れられている。

 重陽の節句では、菊を鑑賞しながら「菊酒」を飲むと長寿になると言われている。
 菊酒は、蒸した菊の花びらを器に入れ、冷酒を注ぎ一晩置くことで香りを移して飲む。
 現代では、菊の花びらを散らした盃に冷酒を注いで飲むことが主流だそうだ。
 また、重陽の節句は作物の収穫時期と重なるため、庶民の間では「栗の節句」として「栗ごはん」を食べて祝っていた。

 更にくんち(九日)に茄子を食べると中風にならない」という言い伝えもあり、「くんち」とは、収穫を祝う秋祭りの総称の1つ。
 旧暦の9月9日、重陽の節句の際に行われた祭りであることから、「九日(くんち)」の名前が定着したと言われ、九州で行われる
「長崎くんち」や「唐津くんち」は
その名残だろう。

  ー重陽の節句の行事ー
 重陽の節句は行事食を食べるだけではなく、さまざまな行事が行われていた。

【菊の着せ綿】
 観菊の宴の前日に、菊の花に真綿を被せ、宴が開催される朝に菊の香りと露を含んだ真綿を使用し、顔や体を拭いて無病息災を祈だそうです。昔から、日本でもバーブは、健康に良いとわかっていたのだ。 
 その良い例が【菊湯・菊枕】
 重陽の節句の日は、菊を湯船に浮かべた「菊湯」に入ったり、乾燥した菊の花びらを詰めた「菊枕」で眠ったりします。菊の香りには邪気を払うのだ。

「菊合わせ」「したと言われる。
 大切に育てた菊を持ちよりその美しさを競う催し。現在も、各地で菊の品評会や鑑賞会が行われているのは「菊合わせ」が元だったのだ。

 そういえば、若い頃の厚洋さんは「剣菱」を飲んでたね。拓に注いでもらって嬉しそうだったねえ。
 思い出がどんどん美化されている気がする。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります